道化遊戯 正義しか見なかった刑事と正義の味方になれなかった探偵の回想 道暗寺晴道 その3
「実際、高宮館長がどこまで噛んでいると思います?」
九段下桂華タワー。
その中にある桂華ホテル九段下大ホールの無料立食パーティーの席の端で神戸総司教授と道暗寺晴道警視の二人が、地下の事件を肴に雑談に興じていた。
二人とも高宮館長こと高宮晴香館長の私設読書会通称『高宮ゼミナール』の人間だからこそ、あの本狂いで物語狂いでハッピーエンド主義者の彼女が事件に関与している時点で大事にはならないだろうと察していたのである。
とはいえ、ハッピーエンドになったとしても、責任問題は出るのが人間社会というもので。この茶番劇の後に楽しい暗闘が待っていると分かると、己に害がないとはいえ二人とも頭が痛くなるのは仕方ないだろう。
「それを語るならば、新宿ジオフロントのテロ未遂……はなかった事になっていたんでしたね。
あれから語るべきでしょう。
なかった事になるからこそ、それを目当てに有象無象が集まった。
振付師なら、そうしたでしょうね」
神戸教授の発言を道暗寺警視はただ聞いている。
こういうニュースに対しての解説はテレビのコメンテーターとしても活躍している神戸教授の最も得意とするところだったからだ。
「高宮館長は違うと?」
「あの人が関与するのならば、誰が主役かを考えるべきでしょう。
刑事が事件を解決したならば、観客としてはめでたしめでたしじゃないですか。
けど、あの件は、名も知らぬ一般人がなかった事にした。
高宮館長だったらきっとこう言うでしょうね」
神戸教授の言葉を横から奪ったのは、このパーティーの主賓の一人だった。
「『こんなの面白くないじゃない!』我らのマドンナなら言いそうだな。
失礼。彼女の話をしていたので割り込ませてもらった」
「お気になさらず。岩沢都知事。良いのですか?
こういう場所だから、いろいろ有象無象が来るでしょうに?」
「そういうのは秘書や副知事に任せている。
今、その副知事の一人が、その件で奔走しているみたいだけどね」
「またご愁傷様で……」
岩沢都知事の快活な言葉に二人はなんとも言えない顔をする。
何しろ昭和論壇のマドンナ時代を知る生き残りなのだから。岩沢都知事は懐かしそうな顔で続きを口にする。
「あの人は物語狂いであると同時に、天才的な編集者だ。
現実の事件を平気で推理小説に見立てるなんて事をする危なさもあったが、それも魅力……話がそれたな。
悪は裁かれ、正義は勇者によって証明される。
新宿の件で彼女が編集したいのは、多分そこだろうな」
都知事の言葉に二人は察した。
『正義は勇者によって証明される』。
となれば……
都知事の言葉に、神戸教授と道暗寺警視は顔を見合わせた。
ここまで言われれば、あの地下で今起きている事の意味はもう明らかだった。
「つまり、都知事。
高宮館長は最後に“誰か”を表へ立たせたい、と?」
神戸教授の問いに、岩沢都知事はグラスを軽く揺らした。
中身はノンアルコールだが、仕草だけは酒豪のそれである。
「そうだろうな。
悪党が悪党のまま闇へ消え、正義が正義のまま語られぬなど、あの人は一番嫌う。
何しろ、現実を小説として読みたがる悪癖の持ち主だからな」
「それはまた、難儀な……」
道暗寺がぼやくと、都知事は快活に笑った。
「難儀だとも。
だが、あの人の厄介なところは、ただ面白がるだけじゃない所だ。
筋が通らん結末を嫌う。
だから、悪は裁かれねばならんし、正義は誰かが引き受けねばならん」
「けれど、現実はそう綺麗に割り切れませんよ」
神戸教授が低く返す。
テレビのコメンテーターの声ではなく、高宮ゼミ生としての声だった。
「今日の地下で動いているのは、正義の味方になりたい人間ばかりではない。
むしろ、見なかった事にしたい人間の方がまともです。
このパーティーがいい例じゃないですか。
あくまで結婚式とは別だけど、祝い事だからと我々も祝福するという段取りなのに。
誰だって、事件なんてなかった方がいい」
「そこだ」
都知事の目が細くなる。
快活さの奥に、作家が一行の言葉を推敲する時のような鋭さが差した。
「だが、あの人はそこだけは分かっていない。
誰が動いているのか立場上知らない事になっているのだが、そいつは勇者になりたいから動くんじゃない。
新宿の件の報告書を読んだが、おそらく逆だ。
何も起こらなかった事にしたい。
祝言の日ぐらいは、誰にも血を見せたくない。
生活の側にいる、まっとうな人間だ」
道暗寺はそれで察した。
だからこそ、岩沢都知事は面白そうにしているのだ。
「……なるほど。
高宮館長が欲しがる“勇者”は、勇者になりたくない人間の方ですか」
「そういうことだ」
都知事は頷く。
事件を解決した勇者は何も言わずに去った。
それでは面白くないからと、事件を集めて解決させて、大団円にしたいだけなのだ。
当事者たちの思惑なんて気にすることなく、物語の美しさの為に。
「自分が英雄だと思っている人間は、大抵舞台を壊す。
だが、物語の外にいたがる人間ほど、追い詰められた時に一番真っ当な選択をする。
あの人は、そういう人間の機微には疎いんだ」
神戸教授が苦笑した。
「ひどい編集ですね」
「あの人は、最後の一線で書く側には回れなかったんだろうな」
あっさりと言い切る都知事に、二人ともため息しか出ない。
「じゃあ、地下の事件は……」
「派手には終わらんよ」
岩沢都知事は神戸の言葉を遮った。
「派手に終わったら、今日の主役は花嫁花婿ではなくなる。
あの人の読み違いはそこだ。当人はご祝儀ぐらいにしか考えていないのだろうな。
だから、地上は祝祭のまま進み、その真下で、悪党は裁かれ、正義は証明される。
ただし、その正義を背負う当人だけは、最後までそんなもの望んでいないから、なかった事にしてしまう。物語ではとりえない主人公の選択だよ」
神戸教授も、道暗寺警視も、もう何も言えなかった。
それが最も高宮館長らしく、そして最も性格の悪い筋書きだから破綻すると分かってしまったからだ。
やがて、都知事は愉快そうに笑う。
「本狂いで、物語狂いで、我々が知る最高の編集者。
……われらのマドンナは、だから作家になれなかったんだよ。彼女は……」
繰り返した都知事の声に、哀愁と憐憫が入っているのを二人は気づかないふりをした。
それを察した都知事はおそらく与えられた台詞のように役を決める。
「さて。
なら我々は観客席で見届けるとしようじゃないか。
今は悪が事故に見せかけて人を消そうとし、正義がそれを止める。
ずいぶん古典的だが、だからこそ強い」
そして、グラスを軽く掲げて言った。
「地下で誰が足掻こうと、地上では乾杯の時間だ。
強い物語に逆らって、それでも人として終わるなら本物だよ」
岩沢都知事の改変。
高宮館長がいる事で、表現回りに口を出せないようにした。
あのあたりの昭和世代とよく話をしたが、彼らのマドンナ信仰はどこから来ているのか……今になっては皆旅立ったので聞くことはできないのだが……
若かりし頃の高宮館長
「ねぇ。岩沢くん。芥川賞を受賞したあれできるの?」(わくわく)
(絶句する岩沢を前に大爆笑する〇端康成と〇島由紀夫)
そんな妄想が見えたのでこの話がでっち上げられた。




