道化遊戯 正義しか見なかった刑事と正義の味方になれなかった探偵の回想 三田守 その5
三田守が神奈水樹を連れて九段下駅へ降りる道すがら。
二人の間で交わされるのは、ネットカフェの副店長とそこを使う援交学生でなく、新宿ジオフロントでテロを防いだパートナーとしての会話。
三田守からすればもう一回もやりたくなかった腐れ縁という奴である。
「で、どうやって無かった事にするんですかぁ?」
神奈水樹のわざとらしく挑発するような質問に三田守は同じように肩をすくめた。
ろくでもない事でも、一度経験しておけば落ち着くのは人のあるあるであり、男女関係と同じように厄介事と思っているあたりが三田守の真面目系クズたる面目躍如なのだが、それを指摘する人間はこの場にいない訳で。
「水樹ちゃん。今回の件は何が楽って走り回らなくていいって事だよ」
「あー。新宿ジオフロントの時は一人で走り回る羽目になりましたからねー」
テロリストである振付師が誰に化けているか分からない状況で、警察と自衛隊の爆発物処理班が疑心暗鬼で動けなかった状況だったからこそ、彼一人が神奈水樹の無線サポートの元で広大な新宿ジオフロントを走り回ってテロを回避できたのである。
そういう体験を一度すると、今回の件は走り回らなくていい分楽だと三田守は思っていた。
「何しろ九段下駅に潜んでいるだろう誰かを見つければいいんだからね」
「だからどうやって、その誰かを見つけるんですか?」
VIP向けエレベーターで一階に降りてゆく。
エレベーターガールのメイドと神奈水樹が見ている中、三田守は堂々と言い放った。
「水樹ちゃん。ただのネットカフェ店員が誰かに化けている奴なんて見つけられる訳ないじゃないか」
神奈水樹とエレベーターガールメイドの白い目を三田守は気にしない。
三田守はクズではない。真面目系クズなのだ。
だから、仕事をするふりをする。
「何をするにもまずは九段下交番だ。
夏目警部に話を聞いて、動けるようにならないと、不審人物で二人とも捕まってしまうよ」
「本当に三田さんって形式的な事大好きですよねー」
「あながち馬鹿にできないんだよ。これ」
エレベーターガールメイドからの白眼視が消えているなんて二人とも気にすることなくエレベーターは一階に到着する。
ドアが開き、エレベーターガールメイドが一礼する中、二人は九段下駅の地下には向かわずに、そのまま外に出て九段下交番の方へ歩いてゆく。
交番に入ると、交番内で勤務している警官に探偵の身分証明書を見せて告げる。
「近藤探偵事務所の探偵助手の三田守です。
夏目警部はいらっしゃいますか?」
「おう。来たか。
新宿ジオフロントの英雄様が。
こっちに来てくれ」
警官たちが三田守たちを所長室に素通りさせるのも彼の名前が警官たちに轟いているからで、何とも言えない顔をする三田守の耳に、その轟いた名前で夏目警部が呼ぶ。
「その呼び名止めてくださいよ。一応元犯罪者崩れなんで。俺」
「名は体を表すって小野先輩がよく言っていたよ。
少なくとも、今の君は犯罪者崩れではなく新宿ジオフロントの英雄だ。我々がそう扱う事に慣れたらどうだい?」
「そんなものに慣れたくないですよ。堅苦しいので」
「そりゃそうだ」
軽口を叩きつつ状況を説明する。
テーブルには広大な九段下駅の地図が広げられていた。
「とりあえず、地下の騒ぎは落ち着いて、売り込みに来た連中は二人を除いて九段下の取調室でお話し中だ。その二人の内一人が、花嫁の元男で、もう一人がそいつを始末する為にヤクザなりマフィアに雇われた殺し屋って訳だ。
元男の方はホームから落ちて地下鉄東西線の引き込み線の方に居るらしいが、殺し屋がいるからそれ以上の確認はできず、目下その殺し屋の確保に全力を傾けている訳だ。
何か質問は?」
「はーい!その殺し屋って本当にいるんですか?」
当たり前のように質問する神奈水樹だが、彼女の言葉が外れた事はまずないのを夏目警部も知っていたのでその補足説明をする。
「居ない方に賭けるのはちょっと怖いね。
だから、居ない事が分かってから花嫁の元男を確保しようという訳だ」
神奈水樹のもっともな疑問に、夏目警部も肩をすくめるしかない。
居ない方に賭けるには、この地下は複雑すぎたし、今日という日は何もかもが込み入りすぎていた。
「居ないと分かるまでは居る前提で動く。
それが一番無難なんだが――」
そこまで言いかけた時、机の上の無線機から短い雑音が走った。
次いで、聞き覚えのある低い声が流れる。
『こちらゲオルギー。確認だ。
元男が飯田橋駅側へ上がった可能性はないのか?』
所長室の空気が一瞬だけ止まった。
夏目警部がすぐに無線へ手を伸ばす。
「飯田橋駅側、ですか?」
『引き込み線の方へ逃げたように見えているだけだ。
警戒している人間なら、あそこでじっとしているより、一度上に抜ける方が自然だろう』
その言葉に、神奈水樹がぱちりと瞬きをした。
一方で、三田守は地図の上に置かれた指をじっと見ている。
「……なるほど」
夏目が低く唸る。
飯田橋駅には駅員が居るだろうが警備員が常駐している訳ではない。
そして、九段下駅と飯田橋駅の距離は1キロも離れていなかった。
「可能性はありますね。
飯田橋駅側も当たってみますか。
九段下駅の警備は足りているので、何人か連れて行ってください」
『そうしてくれ。俺もつけられたメイド二人と共に飯田橋駅の方へ向かう』
そこで無線が切れる。
雑音だけが一瞬残って、すぐに消えた。
夏目警部はすでに次の判断へ頭を切り替えている顔だった。
「悪いが、二人とも少し待って――」
「いや」
ぽつりと三田守が口を挟んだ。
その声に、夏目も神奈水樹も目を向ける。
「元男、本当にまだ引き込み線の方に居る前提で話してましたけど、そもそもそれ、そんなに固く見ていいんですか?」
「どういう意味だい?」
三田は地図の飯田橋寄りを指でなぞる。
自分でもまだ考えがまとまりきっていないのだろう。言葉は少し遅い。
「だって、その人、逃げるだけの人じゃないんでしょう?
自分を売りに来たんですよね。
だったら、見つかりやすい所でじっとしてるより、一回上に抜けて、もう一回九段下に戻る方が売りやすいじゃないですか」
夏目警部が黙る。
神奈水樹が横から口を挟んだ。
「しかも、さっきまでの騒ぎで駅の中めちゃくちゃだったんですよね?
急病人だの、改札封鎖だの、救急導線だの。
そういう時って、じっと隠れるより、人の流れに混じって動いた方が消えやすいんじゃないですか?」
「……そうだね」
夏目が苦笑する。
「君たち、やっぱりただの店員と女子中学生じゃないな」
「ただの店員です」
「援交学生です」
二人が即答したので、夏目はますます苦笑した。
「その自己申告で納得できる現場じゃないんだよなぁ……」
だが、三田の顔はまだ晴れない。
違和感は、まだ別のところに残っていた。
「夏目さん」
「ん?」
「今の無線ですけど……」
三田はそこで一度言葉を切る。
何が引っかかっているのか、探るように。
「ゲオルギーさんって、九段下駅の地理、そんなに分かってましたっけ?」
「いや、今日初めて入ってもらったんだよ」
「ですよね」
神奈水樹もそこで、はっとしたように顔を上げた。
「じゃあ、飯田橋駅側に上がったかもしれないって、誰がゲオルギーさんに教えたんですか?」
「……」
夏目警部は答えなかった。
答えられない、というより、その問いをいま自分も飲み込んだ顔だった。




