道化遊戯 正義しか見なかった刑事と正義の味方になれなかった探偵の回想 ゲオルギー・リジコフ その4
小野健一警視が駅職員から九段下駅の地図を取り寄せる。
客向けではなく警備向けの奴で、客向けには書かれていない通路などがしっかりと書かれている物だった。自分が九段下交番の主だった頃から、この地下はだいぶ変わった事が記されていた。
「何だ?この迷宮は?」
横で見ていたゲオルギー・リジコフの呆れ声に小野警視は地図を睨んだままぼやく。
「九段下桂華タワーの主を逃がすために地下を掘り返したのさ。
日本橋川の桟橋に繋がる地下通路と、竹橋駅複々線化工事にかこつけた桂華商会本社ビルまでの地下直通通路と……男が落ちたのはたしか東西線だったな?」
確認した小野が地下鉄東西線ホームに向かおうとして引き留められる。
留めたのは北斗千春の手だった。
「どちらへ?」
「そりゃ、現場に決まっているだろうが?」
「へー。結婚式を放り出してですか?」
ぞくりと周囲の人間ににも悪寒が走るほどの声。笑顔なのにまったく目が笑っていない。
隣に居た三田守でも分かる。地雷を踏んだと。
『花嫁の昔の男が動いてるって分かってて、祝辞なんざ述べていられるほど、俺は器用じゃない』
なんて、後輩の夏目賢太郎警部に見栄を切ったが、そんな男の見栄というものを女が理解する訳もなく。
そして、美人が怒るとどうにもならないという事を三田守は隣で見る事になった。
「千春さん。この事件は……」
「これだけの人が居るのに、貴方が動く必要はないでしょう?」
「だが、昔の男が……」
「女にとって、昔は昔、今は今です。
さぁ、お連れしてください」
小野の左右にさも当然のように警備メイド二人がつく。
大人しく拘束されたのは、ここで暴れてニュースになったらというのもあるし、警備メイドがしっかりとその手の訓練をしていたというのもある。だが、三田守は見てしまった。
あのおやっさんこと小野警視の額に浮かぶ脂汗を。
「さあ。旦那様。私たちも行きましょうか」
もちろん、旦那様こと三田守も見逃される訳もなく、小野警視ほど抵抗する事もなく、ついてきたユーラ・タチアナと共に九段下桂華タワーにドナドナされていったのである。
残ったのは、ここが持ち場だったゲオルギー・リジコフと彼付きのメイド二人のみ。
もちろん、他の駅員や警備員、メイドなどは動かせるが、自ら動けるのは実質的にゲオルギーのみとなっていた。
「こちら。ゲオルギー。
小野警視と愉快な仲間たちが九段下桂華タワーに連行されていったがいいのか?」
『あなたもその愉快な仲間に入っているのですが、あなたまでドナドナされると、消えた人間が追えなくなるんですよ』
「酸素マスクをつけていれば、最悪替え玉は可能と」
無線機越しの夏目は返事をせず、命令を告げる。
『ホームまで降りて確認だけで結構です。
そこから先は彼女に任せます』
「了解。で、メイドさんよ。
あんた一人か?」
と、確認する前に警備のメイド二人が彼女の後ろに控えていた。
ゲオルギーを入れて四人。
馬鹿騒ぎにならなければ、十分な人数だろう。
『了解。馬鹿騒ぎが起きない事を祈ってくれ』
東西線九段下駅ホームへ続く通路は、さきほどまでの騒ぎが嘘のように静まり返っていた。
もちろん、本当に平穏が戻った訳ではない。
ただ、騒ぎを起こした人間も、止めようとした人間も、すでに別の場所へ視線を奪われているだけである。
先頭を行くメイドが、通路の途中で歩みを緩めた。
それに合わせて後ろの二人も自然に間隔を調整する。
業務として訓練されているのだろうが、軍隊とも警察とも違う、実に“会社”らしい洗練だった。
「足音が少ないな」
ゲオルギーがぼそりと言うと、先頭のメイドが肩越しに答える。
「地下鉄東西線は、今、止めていますから。
急患が出たのでというのが理由です。
我々の確認の後、運転が再開される事になるでしょう」
「止めた、か。
騒ぎが起きた場所を空けるのは正しいが、空いた場所は使いやすい」
「ですから、あなたが来ているのでしょう?」
淡々とした返しに、ゲオルギーは鼻を鳴らす。
見上げれば監視カメラ。見下ろせば線路。逃げ場の少ない地下空間は、追うには便利で、逃げるにも便利だった。
階段を下り切ると、東西線ホームにはまだ緊張の余韻が残っていた。
駅員が一人、黄色い規制テープを巻き直しており、その脇で若い警官がメモを取っている。
ホーム端には吐瀉物の跡があり、清掃員が掃除を始めていた。
だが、ゲオルギーの目を引いたのはそこではない。
「……あそこだな」
彼が顎で示した先には、ホーム端の非常口があった。
普段は乗客の目に留まらぬよう無愛想に閉ざされている扉だが、今はわずかに閉まりきっていなかった。
「開けたのは、あれか」
「ええ。ホームに落ちた人間へ上から直接行けないからと、あちらを使ったと報告が」
「その後に急患が出て、救急導線が上で開いた」
「はい」
ゲオルギーはゆっくりとホームを横切る。
パワードスーツの重量が床に鈍い振動を落とすが、彼の歩き方そのものは静かだった。
ホーム端の非常口の前でしゃがみ込み、扉の下を見やる。
「何で東西線なんだ?
この下の半蔵門線と都営新宿線の方が隠れるならば楽だろうに?」
呟きながらゲオルギーは立ち上がり、非常口の取っ手を試しに押す。
鍵は掛かっておらず、ぎい、と乾いた音を立てて扉が数センチだけ開く。
その隙間から、ホーム脇の保守通路がのぞいた。
「地図を見せてくれ」
「どうぞ」
騒ぎの間、監視カメラにはそれらしい男は映っていなかった。
だとしたら、ホームに上がっていないのではと考え、ホームに上がらなかった場合の選択肢を確認してゆくと、その選択肢らしきものが地図に写っていた。
「これはなんだ?」
「引き上げ線ですね。
朝のラッシュで西船橋方面に折り返すのに使っているんですよ。
あと、お嬢様の専用列車の待機場所になっていて、ホームを通らずにこの引き上げ線に行けるルート……」
説明していたメイドの口が止まり、三人のメイドの空気が変わった。
笑顔の仮面の奥にある警備の顔になる。
「九段下桂華タワー警備室。
そちらのカメラに、引き込み線脱出ルートからの人影は映っていないか!?」
『……繋がる通路には何も映ってはいないはずだが……緊急時の非常出口だぞ』
抜け道を警戒した場合、その警戒から抜け道の存在を知らせてしまうという奴だ。
だから、その抜け道の前後をカメラなどでチェックする訳だか、抜け道そのものに男が入っていたらこちらから出向かねば確認のしようがない。
今回みたいに、売りに来た後ろ暗い男にとって格好の隠れ場所となる。
「こちらゲオルギー。
メイド三人をこれから、引き込み線の方に送り出す」
『こちら夏目。待て。
非常口に二人残して戻ってきてくれ』
「……何があった?」
広域ではなく秘匿回線で夏目は告げる。
それは、事態が次のステージに移った事を示していた。
『不審物が仕掛けられたと封鎖した九段下駅のコインロッカーから、今回の売主たちの商品が出てきた。
金塊と……食券がな』
金塊は分かるが、何で食券で夏目が深刻そうな顔をしているのかゲオルギーには分からない。が、彼は命じられるがままお付きのメイドと共に東西線九段下駅ホームを去る事になったのである。
九段下駅引き込み線
https://www.youtube.com/watch?v=5R7KZzHpbFo
竹橋駅複々線化はオリ設定




