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せっちん!  作者: 濱野乱
澪標編
87/97

I’m home(後編)


小豆島の南西部海岸には、エンジェルロードと呼ばれる観光名所がある。


一日二回、引き潮になった時に限り、沖合の岩山まで続く砂州が現れる。


ここを大切な人と歩けば幸せになれると、まことしやかに語り継がれていた。


「あーあ、幸彦君と来たかったなぁ」


下駄の鼻緒を両手に引っかけ、砂州の波打ち際を歩くナノは、無念そうに唇を尖らせる。


ニーナはその背後で決まり悪げに立っている。黒のオフショルダーのトップスと、ダメージデニム、サンダルを履き、頭にはカンカン帽を載せている。


「悪かったな。あたしと一緒で」


「そうだね。女子力低いニーナと来てもあんまりおもしろくないよ」 


無碍に扱われても、ニーナは耐えなくてはならなかった。それというのもニーナが美堂薫子に敗北したためだ。それも能力を出し切った上で、徒手空拳に敗れたとあっては、申し開きのしようがない。


「ねえ、ナノ。こんなところで寄り道してていいの?」


話題を切り替え、主導権を握られないようにする。オシオキを恐れていたのもあるが、別に気になることもあった。


幸彦を一人歩きさせることにニーナは不安に感じ始めている。せっちんが尾行しているが、怪我でもしたり、切符をなくしたりしたら困るだろうという親心のようなものが芽生えていた。


「幸彦君の最後のお願いだから聞かなきゃ駄目って言ったのニーナじゃん。それにこの世界そのものが寄り道みたいなものなんだから」 


秩序は完成していると豪語したが、それもまだ真の意味では未完成だ。


丑之森螺々が西野陽菜に成り代わっていることが主な要因だ。


高校生の陽菜がこの世界で存在することは許されない。この世界は西野陽菜や、小林雪乃が死亡したいわば正統な歴史を歩んでいる。矛盾を解消するために事を起こす必要があるが、ニーナは気が進まない。自然、態度もとげとげしくなる。

「ナノが悪いんだろ? 丑之森に体をやったりするから」


ニーナが何も知らないのをいいことに、ナノは螺々に陽菜の存在を奪わせた。


西野陽菜は、どの世界においても死亡してしまう。それを回避するための裏技的措置だ。


ただ、螺々は西野陽菜ではないため、幸彦の失望を思うとニーナはやりきれなかった。


ことの始めとして、ナノはこの世界の幸彦と契約し、西野陽菜を救うと豪語したらしい。それも約束を履行する気がそもそもあっのか怪しい。


「ユッキーの所に行って謝ろう。陽菜は一人だけなんだ。偽物なんかで誤魔化したら駄目だ」

 

「そうだね、ニーナ」


ナノは鈴を転がすような声で快諾した。


ニーナは胸をなで下ろす。やはり二人の考えは最終的に同じ結論を得るという安心を得る。


「でも、その前に、することがあるんだ」


ナノは振り向きざま、片手を軽く払った。ニーナは大きく飛びのき、帽子が砂の上に落ちる。帽子はつばの部分からまっぷつたつに分かれていた。


「どういうつもりだ? ナノ」


前傾姿勢のニーナは、ナノの乱心を問いただす。こめかみに冷たい汗が流れた。


「ねえ、ニーナ。ニーナの言う通りだね。西野陽菜は一人でいいと思わない?」

 

 

 二


陽菜という名前の娘は二人にいた。


一人は、生を受けて幾ばくもなく亡くなっている。享年は五歳だった。


その陽菜は、母親から熱心な教育を受けていた。代議士の家に生まれた娘として恥じないように小学校に上がる前から、読み書きだけでなくバレエ、水泳など枚挙に暇がないほど英才教育が施されていた。


幼い陽菜も、母の期待に応えようとその厳しい環境に食らいついていた。

それでも能力のミスマッチというのは必ず生じてしまう。


陽菜は水が大の苦手であった。理由は判明している。熱海に海水浴に出かけた際、足が釣って溺れかけたのだ。それからというもの、水泳教室に頑として通わなくなった。


母は焦った。陽菜の評価が下がることは、自分の評価が下がることを意味する。西野家に嫁ぐと決めた時、母は自分の人生を諦めた。勤めていた愛着のあった会社を辞め、夫の選挙活動を支えた。二人三脚でなければ選挙は戦えないと聞いていたからだ。表だって活動するのが得意でなかったため、心身に負担がかかるのは避けられなかった。それでも踏ん張ることができたのは、居場所を失うことを極度に恐れたためだ。


陽菜が生まれた時も苦渋を嘗めた。夫や、義父は表面上は喜んでいたが、跡継ぎの男子が欲しかったに違いない。


これ以上、周りからの評価が下がるのを恐れた母は、陽菜の特訓を怠らなかった。お風呂で顔を水につけさせた。ほんのわずかな時間からでもなれさせれば大丈夫だと考えたのだ。

しかし、陽菜は初めて母に反抗した。


「もう、疲れました。実家に帰らせてもらいます」


テレビのドラマか何かで覚えたのだろう。陽菜は冗談半分でそう言った。子供は大人の真似をしたがる。悪気はなかったはずだ。


だがその時の母の心は磨耗していて、些細な刺激にも耐えられなかった。心の重心があらぬ方向にねじ曲がる。 


あらんかぎりの力で陽菜の髪を掴み、湯を張ったお風呂の中に沈めた。


母は、狼が吠えるように喉を鳴らす。


「私には……、帰る場所なんてないの……、ここだけが私の居場所なのよ。どうしてわかってくれないの!」


水中でもがいていた陽菜がぐったりと手足を伸ばし、動かなくなっているのに気づくと、母は我に返ったように悲鳴を上げる。


「誰か! 来てください。陽菜が、娘が、お風呂で溺れているの」


母は自分に都合のいいストーリーをでっち上げた。創作したのではなく、本当にそういう事実があったと思いこんでいたのだ。身も世もなく泣き、陽菜の後を追うとまで口走った。


使用人の証言と照らし合わせ、西野家は彼女の仕業だと気づいていたが口裏を合わせ、事故を装った。事は彼女一人の責任ではすまないのだ。


その後は、母は統合失調症の診断を受けた。部外者は彼女が愛娘を失ったことにより精神を病んだのだと噂した。


「あたしは、”陽菜”じゃない! それはナノだ」


ニーナは手で両耳を塞いだ。浴槽で溺死したの陽菜を基に創られたのは、ナノだ。ナノが姉で、ニーナは妹という序列はいつの頃からかあり、それをニーナは自然に受け入れていた。 


高校生になった陽菜にも”姉”の影響は色濃く反映していたのだろう。それゆえ二つに分かれた魂は、それぞれが意志を持ち行動するようになったとも言える。


「どうしてそんなにムキになるの? そんなのどうでもいいじゃない。西野陽菜は一人だけでいい。今ここで決めようよ」


ナノの頑迷なまでの意思にニーナは辟易した。個を確立するために全宇宙の西野陽菜を滅ぼしてしまいかねない。


しかし、幸彦が望んでいるのはその中のたった一人のはずなのだ。ニーナはその気持ちを大切にしたかった。


「本気なんだな。またユッキーを騙すのは許さないぞ」


元より血の気は多い性質だ。ニーナは拳を構える。


「そうこなくちゃ。ニーナ大好き♪」 


ナノは下駄を脱ぎ、素足になった。下駄は波にさらわれ、水中に没した。


「先手は譲ってあげる。いつでもいいよ」


「へえ……、その余裕がいつまで持つかな」


砂を跳ね上げ、高速で蛇行する何かがナノの背後から迫っていた。

見え隠れしていたのは、火の粉。まるで生き物のようにのたうち、ナノの腕に絡みついた。

 

「これは……!?」


ナノの右手首に赤銅色のロープが巻き付く。荒縄のように太くで切断するのは骨が折れそうだ。


「これでもう逃げられないぜ」


ニーナの足首に直結している。ロープは熱に反応して圧力を高める仕様だ。ナノが能力を使えば、確実に手首を圧搾する。その名も爆竜索。


「ふーん」 


ナノはロープのついた手首をぼんやりと持ち上げる。


「どうぞ。あげるよ、右手」


ニーナが唖然として足を止めている間に、ナノの右手ははじけるような音を立て、砂の上に落ちた。作りもののような傷口からは、煙が上がっている。ナノは涙を堪え、足を内股にして震えていた。


「な、何してんだよ!」


ニーナはナノの行動が理解できずにわなないた。演技にしては、露骨すぎて返って何か裏があると勘ぐってしまう。 


「だって邪魔だったんだもん。これで戦えるでしょう!」


ナノは傷をものともせず、舞うように飛び込んでくる。


ニーナは迷った後、横薙ぎの一閃を鼻先すれすれでかわす。互いのリーチは熟知している。ゆえに決め手を欠くのは目に見えていた。戦いは長引く。少なくともナノはそう考えていた。 


ニーナの前蹴りが、ナノの帯を抉るように突き上げる。ナノは下腹を押さえ、うずくまった。


「なあ、もうやめね? 多分戦ったら、あたし勝っちゃうよ」


相性的に、ナノに分が悪い。近接戦はお手のもののニーナは常にナノの先手を打つことができる。


ナノの両足に既に爆竜索をからませておいた。蹴った際に取り付けておいたのだ。


「ニーナ、腕を上げたね」


ナノはニーナを甘く見すぎていた。能力のコントロールが以前とは比較にならないほど向上している。


「どんだけ幸彦君を独り占めしたいんだよ」


ため息混じりにナノが指摘すると、ニーナはむきになって反論する。


「ち、ちげーし! かんけーねーし!」


二本のロープが両足にからみ、能力を使えば両足は失われる。かといって、ナノが独力でニーナの隙をつくことは不可能に近い。


「もうこの辺でいいだろ、降参しな」


生まれて初めて優位に立ったことに、ニーナは驚き、恐れてもいた。

ナノがこのまま大人しく引き下がる性分なものか。

「うーん。やだ」


予想どおり、ナノは挑発するように素足をぶらぶらさせる。


「ほ、本気だぞ! 足がちぎれるんだぞ! いいのか」


ニーナ、ナノは光のキャストである。つまりその正体は、電磁波に過ぎない。


二人の体はガラスに映すことで初めて実体を得て、世界に干渉できる。そのため、物理的な刺激ならガラスが壊れるだけですむが、能力による傷害はその限りではない。それも同じ性質を持つ二人なら影響は甚大なのではないか。


「私は負けない。負けるのはニーナだよ。予言してあげる。ニーナは溺れ死ぬ」


忌まわしい宣言は、ニーナの心を乱すのに十分だった。


ロープが容赦なくすぼまり、ナノの豆腐のように柔らかい素足に食い込む。 


ニーナはその凶行から目をそらす。ナノは足を失い、倒れた。爆竜索が、縮むように巻き戻る。


「ナノ? ナノ? だいじょ……」


良心の呵責に耐えられなくなったニーナはナノの方に駆け寄ろうとするが、足が重く前に踏み出すことができない。両足についた爆竜索が、海に引きずられるように沈んでいた。まるで重石がついているようにロープが張りつめる。誰の仕業が容易に想像がついた。


「ナノ! 何をした」


ナノは声を押し殺し笑っていた。


「言ったでしょ、こうなるって。ごめんね、ニーナ」


ニーナは膝を曲げ踏ん張るが、海中に引きずられる。能力が解除できない。


ナノはニーナの爆竜索のコントロールを既に奪っていたのだ。元々同じ源流を持つキャスト、手綱を握るのはわけはなかった。直結する類の能力だったのがニーナにとって仇となった。


「意外と頑張るねー、じゃ。これで終わりにしよ」


海中から新たに三本目のロープが蛸の足のように飛び出し、ニーナの首をねじり上げる。骨を砕くようなすさまじい圧力が喉を容赦なく圧迫した。


「があっ! 何で爆竜索がこんなに……」


ナノは砂の上で首を起こし、にやにやとニーナの苦しむ様を堪能する。


「簡単なクイズだよ。ニーナの両足のロープは私の両足がくっついて海中から引っ張ってるの。さて問題です。ニーナの首に巻き付いてるロープはどこから来たのかな? 答えられたら助けてあげちゃう」


ニーナは狭まる気道から懸命に酸素を吸うのに必死で、ナノの声が聞こえていないらしかった。


体を仰け反らせ、束縛に抗っていたニーナだったが、一分と持たず、全身を海中に引きずり込まれる。


肌を蝕むような冷たい海水、光を遮る暗い海に、ニーナの心も風前の灯火となっていた。


「どーせ……」


幸彦の一番には、自分はなれない。西野陽菜こそ、幸彦の隣にふさわしい。理由を深く考えたことはない。


「ユッキーの側にいてあげたかっただけなんだ、あたしは。それ以外何も望んでない」


海上が見る見る遠のく。伸ばした指先が意図せず歪む。視界は万華鏡を覗いたように遠近感を失っていった。

水中では光は直進することができず、屈折する。二人の能力は水中では無意味だった。


爆竜索を引きちぎろうとしたが、それと連動してニーナの体が海に溶け出すように、うすくなった。


往生際が悪いニーナだったが、今回はすっぱりあきらめた。足手まといで出来の悪い妹を切ろうという白状な理由を知りながらも、これまで恩情を受けていたことに甘えていた自分も悪いのだと見切りをつけた。


ナノを恨む気持ちは微塵もない。ナノはキャストとして演じるだけでは飽きたらず、西野陽菜そのものに成り代わろうとしている。その気持ちは痛いほど理解できた。手が届きそうで届かない世界に、ナノは痺れを切らしたのだろう。


ニーナは遠くで見るだけで幸せだった。怠惰というのは方便で、恐ろしかったのだ。西野陽菜の存在を否定するとは自分たちの存在も否定することになる。その禁忌を乗り越える覚悟はニーナにはなかった。


偽物なんかで誤魔化したら駄目だという自分の言葉がふいに跳ね返ってくるようで、涙がこぼれる。


ナノがこの矛盾に気づかないはずがない。偽物だからこそ、ホンモノに成り代わろうとしているのだ。


「ねえ、ナノ……、やっぱりあたしたち……」


黒い海草のような淀みが、海底から伸びている。花弁のように広がり、ニーナを包み込んだ。全身を咀嚼し、意識を奪う。


「これで本当にユッキーのこと救えるのかな? あたしバカだからわかんねえや」 




 三


ナノの両手足は回復していたが、砕けるのを恐れるようにゆっくり立ち上がる。


長い夢から覚めたように気分は晴れやかだ。足りなかったパズルのピースがあるべきところに戻った全能感に身震いが起こる。


「ニーナが悪いんだよ。素直になればって前に言ったじゃない」


ニーナとナノは陰と陽。


ナノはニーナを吸収し、一つの存在へと回帰した。今のところ見た目に変化はないが、全身に血が通うような高ぶりは、期待以上のものだった。


長い時を過ごした妹を滅ぼした後悔は浮かばない。むしろニーナをより深く抱きしめているような錯覚を覚える。


「ニーナは要らない子なんかじゃないよ。私の中で生き続けて。一緒にあの場所に帰ろう」


胸に手を置き、慈しむ。姉妹は真の意味で一つになったのだ。

 

ナノの頭に載った白い花弁が水気を失い、朽ちたように散った。

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