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せっちん!  作者: 濱野乱
空蝉編
65/97

誰がために鐘は鳴る


「僕が言葉を使う時はね」

とハンプティ•ダンプティはあざけるように言いました。

「その言葉は、僕がその言葉のために選んだ意味を持つようになるんだよ。僕が選んだものとぴったり、同じ意味にね」


ルイスキャロル著 鏡の国のアリス






「おーえすおーえす」

ぐんだんちょう、と書かれた鉢巻を締めた、せっちんクローンが、校庭で軍配を振る。


クローンたちは的確な分業をして、花火玉を筒に詰め、戦況に応じて打ち上げる手筈になっていた。


花火を打ち上げる際の轟音のために聴覚が麻痺し、地上にいる彼女たちは、しばらく戦闘が終了した事に気づかなかった。


「うちかたやめー!」


ぐんだんちょうが目ざとく異変を察知し、打ち上げを止めさせた。


「でんれい! おるか! せんきょうを、ほうこくせい!」


すぐさま、旗を背負った伝令が息を切らせ駆け寄ってくる。


「かをり、せっちんぺあ。なのをじょうくうにて、げきは! はくあ、にーなにしょうり!」


一斉に歓声が上がる。本体と感覚を同期しているわけではないため、クローンたちは戦闘終了を遅れて知ったのだった。


「はて」

興奮冷めやらぬクローンたちにおいて、花火玉を詰めようとしていた工廠せっちんは、一人煙晴れぬ空を見やった。


「るーらーが、いなくなったら、わらわたちはどうなるんじゃ……?」



「羽が生えるってどんな気持ち?」

カヲリ=ムシューダは、さらなる空の高みへと飛翔する中、背後で羽ばたくせっちんに向けてこう訊ねた。雲の向こう側、夕日の光が迫ってくるように感じられた。


「きんにくのえんちょうであることは、かわらんからのう。かたが、ひきつるかんじがするわい」


「もう少しだけ頑張って。お願い」


翼は痛々しい白い羽毛をまき散らしながら、次第に高度を上げていく。


長時間滞空したせいか、カヲリの空への恐怖心は薄れかけていた。強風が顔に当たっても悲鳴を上げないし、足は不要な動きをしない。気圧が低くなり、空気が薄くなる中でも平静でいられた。


「ねえ、せっちん」


「ん」


せっちんを飛行に専念させたいが、訊ねずにはいられないことがある。


「ナノとニーナは、陽菜の……」

カヲリの手には、ナノを斬った感触が残っていた。よもや、ナノもカヲリがせっちんを踏み台にして斬りこんでくるとは予想できなかったようだ。


「きにやむな。もうおわったことじゃ」


あの二人の強さは、陽菜の想いの強さの裏返しでもある。それでもカヲリは陽菜を迎えに行く。


さきほどまで、校庭にいたクローンたちが手を振る姿が確認できていたが、それも定かではなくなっていた。建物さえもこじんまりとしてきた。


群青の空は部分的に茜色のグラデーションに変化している。むき出しの肩には肌寒い空気が飛び交っている。


陽菜は両手を広げて漂っていた。海面を浮かぶように仰向けで、ふとしたきっかけで目覚めそうな雰囲気のままの姿でカヲリと遭遇する。


「陽菜」


呼びかけても陽菜の目は固く閉じられたままだ。ドレスの裾が波打っている。


「あ! おい!」


カヲリはおんぶ紐を自ら外し、数メートル先にいた陽菜の元に飛んだ。抱き寄せれば、すぐさま降下が始まる。


「殴ってもいい。怒ってもいい。全部受け止める。だからもう逃げるのはやめよう。貴女と私は友達だよ」


風切り音を立て、二人は地上に近づいてった。


急激な気圧の変化により、カヲリは途中で意識を失った。陽菜を抱きしめたまま絶対に離すまいとした。


「まったく、むちゃをしよる」

自分の肩を叩きながら、せっちんが不平を言う。急降下で二人を拾うのに苦労したようだ。


カヲリと陽菜は、無事に校庭にたどり着いた。意識が戻った時にはブルーシートに陽菜と隣合って寝かされていた。カヲリの鼻に、四つ折りの紙が落ちてきて、それで目が覚めたのだ。周りにも大量に散っており、表面に、名前、裏側に逆五芒星の印がついている。カヲリの名前や、陽菜の名前もある。恐らく選挙の腹いせに破棄された投票用紙と思われる。まるで競馬場だ。


「こいつが支配者ですか」 


ハクアが陽菜の顔を興味深そうにのぞきこむ。


「可愛い寝顔じゃねえですか。こんな小娘が、振られた腹いせに時空を超えるなんて全く大したタマですぅ」


陽菜は繰り返す世界で、幸彦と一緒になることを望んだのだろうか。そう考えるとカヲリは身を切られるような思いがした。


「でも、もうこんなことはさせたくないよ。きっと話せばわかってくれると思う」

カヲリは、軽くせきこむハクアを見やる。彼女の安否が気になり出していた。


「ねえ、ハクア」


「おらーっ! ぼんくら共!」


カヲリが今後の展望を訊ねようとすると、ハクアはクローンたちを叱りに行ってしまった。花火玉を転がして遊ぼうとしていたのだ。確かに危ない。 


校舎から暢気に時を告げるチャイムが聞こえてきた。授業も既に終わっているのに、誰のための合図なのだろうか。


「そなたには、れいをいわねばなるまい」


せっちんがカヲリの足元に正座した。


「やめてよ。水くさいじゃない」


「いや。そなたはぞんぶんに”やく”をはたしてくれた。ぞんぶんにな」


せっちんは目を細めて、クローンの撤収作業を見守る。


「これで不幸の連鎖は止まるのよね」


「ああ」


陽菜を立ち直らせることはできるだろうか。いや、今こそ希望的にならなければ。おせっかいだろうが、失恋の痛みを乗り越えさせるのが、自分の役目だと信じる。


「でも陽菜が言った通り、本当は私、人の幸せを妬む卑しい人間なのかも」


「しょげてんじゃねえです!」

ハクアがカヲリの弱気を叱咤した。


「確かに行き違いはあったのかもしれませんが、お前は十分そいつに親身に接してきたじゃないですか。後は西野っていうそいつの問題ですよ」


「ハクア……」


ハクアの言うとおりである。自分の問題は自分で乗り越える他ないのだ。陽菜の失敗はキャストに問題を押しつけてきたことにある。


「それにしても螺々さん、死んじゃったんだね……」


いなくなった者に思いを馳せるのに遅すぎるということはない。

人を食ったような態度が幾分懐かしくなる。失われたものはもう戻らない。それを陽菜は誰より知っていたはずなのに。


「あのアマも途中で命を落とすことを覚悟していたと思いますよ。いけ好かない奴でしたが、それはもう仕方のないことです」


歯がゆそうに語るハクアも責任を感じているようだ。


時にドライ判断を下すキャストたちを、カヲリはこれまで受け入れにくいと感じていたが、最後になって彼らも我慢を重ねてきたのだと知る。


「そうだ! ハクア、どうやって戻ってきたの? 消えちゃったでしょ、あの時」


ハクアはカヲリの隣に腰を下ろした。


「吾輩は、既に死亡しています」


螺々が死亡したことで、ハクアも消滅した。一度消滅したキャストを呼び戻すことは、せっちんでも不可能だ。不可能は不可能で対処するに限る。暴食の虎に働いてもらい、ハクアの骨だけを回収できたという。


「骨を……」


「です。それにせっちんが肉付けをしてくれました。つまり、今の吾輩はゾンビみたいなものですね。フランケンシュタインの怪物でもいいですけど」


肉体を復元できても、本来魂は戻らないはずである。科学の範疇から完全に逸脱した奇跡が起こったとしか言いようがない。

「あのさ、ハクア」

「はい?」

ハクアの唇から血が垂れてきた。もうハンカチで拭うことも止めていた。


「陽菜が支配者をやめたら、貴女たちはどうなるの?」


美しく冴えた夕日に二人は目をこらした。


「今度こそ本当に消えるんでしょうね。どうせ今の吾輩の体は時間制限付きでしたし、それに」

ハクアは安らいだ表情で、微笑んだ。


「吾輩の存在が消えても残せるものがあったと考えれば、悔いなどありますか。もう十分ですぅ」

カヲリは泣きじゃくり、駄々をこねるようにハクアの首にしがみつく。


「行っちゃやだ! やだ……」 


「お前もすぐ忘れるですよ。大人になるってそういうことです」


出会わなければ良い出会いと幸彦はかつて形容したが、カヲリはそんなものはないと改めて思う。ここまで誰一人として欠けていれば、たどり着くことはできなかった。カヲリは真の星を見つけた。惑星にも引けを取らない掛け替えのない美しい星だった。


「おい、めざめるぞ!」


緊迫した声で、せっちんが風雲を告げる。眠り姫が重たげに瞼を開ける所であった。三人は、陽菜の周りを取り囲んだ。


カヲリは陽菜の前髪をかきわけ、名前を呼ぶ。


「陽菜、陽菜、聞こえる?」

陽菜は聞き取れない言葉を二、三漏らした後、半身を起こした。意識が晴れないようで、目をこすり辺りを見回す仕草が目立つ。彼女の左胸の鎖骨上に、逆五芒星のアザのようなものができていたが、カヲリは特に気に留めなかった。


「良かったあ……、私のことわかる?」 


「カヲ、リ」

黒目がちな瞳孔がしっかりとカヲリを捉えていた。


「やれやれ、翼を生やすとは恐れ入ったよ。本当に助かった。空から戻る術がなかっ

たからね」


「え? 記憶があるの? 空にい」


陽菜の正確な発話に、疑問を持つ時間はなかった。


カヲリの腹部に、拳大のガラス片が深く突き刺さっていた。目の前にいる陽菜の仕業だと気づき愕然する。


「なん、で」


カヲリは精神的な動揺と痛みで、うつ伏せに倒れた。


「カヲリ! しっかりするですっ!」


異変に気づいたハクアに抱き起こされ、陽菜から距離を取る。収拾の気配が掴めない。


「貴女、一体誰?」 

カヲリは何とか気を持ち直し、陽菜と対峙した。

陽菜はしなをつくって、薄笑いを浮かべる。


「誰って、陽菜だよ? 幸彦君のことが大好きな女の子。カヲリの親友。忘れちゃったのー? ひどーぉい」


「分かるような嘘をつかないで。陽菜はそんなに素直な子じゃないわ」


陽菜(?)はあどけない表情から、口元を引き締め口調をがらりと変える。


「ふふっ、さすが自称友達を標榜するだけのことはあるね」


「答えなさいよ、ナノかニーナが化けてるの?」


「どちらも不正解♪」

陽菜(?)の両隣に光彩と共に現れたのは、ナノとニーナ。二人とも衣服に埃の跡も見えず、戦闘など経なかったように意気軒昂としている。 


ハクアは目を剥いた。


「こいつら……、さっき吾輩たちが倒したはず」


「そうじゃのう。ふしぎじゃのう。しっかりかくにんせなんだか? くびをはねてのう」


空気を裂く。

ハクアの帽子が、水平に切り落とされる。せっちんの抜き打ちによる斬撃だと、誰もが暫く気づかなかった。


理不尽に一変した状況を前に、ハクアはその手をわなわなと震わせ、吠える。


「てめえ! トチ狂ったですか? 自分がやってることがわかってるですか?」

せっちんは、無言で太刀を下段に構える。


カヲリは反旗を翻したせっちんに、懇願するように近づいた。


「ねえ、せっちん、嘘でしょ。なんでこんな」

「よるな」

せっちんは、刃物と一体化したような鋭い覇気を放つ。

「よれば、きる!」


カヲリは腰を抜かした。せっちんの豹変、無傷のニーナ、ナノ、そして陽菜の姿をした見知らぬ誰かに圧倒されてしまう。


「おいおい、カヲリ、本当に私が誰かわからないのかい? ショックだなあ。ショック死しそうだよ。ま、二度ほど死んだんだがね」


ハクアは、陽菜の姿をした何者かの正体に思い至る。


「その老成した喋り方! お前……、まさか、螺々ですか? 丑之森螺々」


陽菜はわざとらしい拍手で応える。

「ハラショー。さすが一時は我が盟友だったことはある。わかってもらえて光栄だよ」 


螺々と名乗った陽菜は、ニーナ、ナノ、せっちんの首をつかんで自分の足元に置いた。


「私はね、肉体を捨て、魂だけ移動する術を持っている。詳しいことは伏せるが、それで西野陽菜の体を奪った」


「陽菜の体を……なんで」


カヲリの周囲から音が消えた。


「決まってるだろ。支配者の力を手に入れるためさ。この日のために準備をして、確実な隙ができるのを待っていたんだよ。思ったより簡単で拍子抜けしてるがね」


「よく言うよ、私たちのおかげでしょ」


ナノが横から茶々を入れる。


「傲慢と、私が内通してたからこそ、その体を手に入れられたんだから」


「いつからです?」

ハクアが激しい怒りを滲ませて、訊ねる。


「いつからもなにも、わらわはそなたらのみかただといったおぼえはない。わらわには、わらわの”たいめい”がある。そのために、“うしのもり″につくときめたまでじゃ。

しいていうなら、みつやくをかわしたのは、あのよるじゃ、わらわとなのが、よなかに、でかけたであろう?」


せっちんは、迷いを微塵も感じさせず、水の流れるように応えた。


ハクアと、カヲリはせっちんを仲間だと信じていた。裏切りなど夢想だにしない。

だが、今は何よりも優先させるべきことがある。


「陽菜を」


カヲリは腹の痛みを一時忘れ、声を張り上げる。


「私の友達を返しなさいよ!」


「騒ぐな。鼓膜に響くんだよ、君の声」


螺々はなれない陽菜の体でぎこちなさそうに歩くと、カヲリの鼻柱にめがけて蹴りをめり込ませる。ヒールが瞼を切り、血が吹き出た。


「誰のせいでこんなことになったと思う? 友達友達と、独りよがりに喚きやがって糞餓鬼が! 少しは反省したらどうなんだ。ええ?」


螺々は淡々と暴力を振るい、カヲリの意気地を砕く。


「一体化してるからわかるよ。西野陽菜は心底、君を憎んでいる。私が代わって、罰を与えてやらなくちゃならないね。どうせ君はもう役済みだ」


螺々は、糾弾するようにカヲリに向かって指を突きつけた。


「支配者権限において命ずる! 全力でそこの不埒者を誅滅するのだあ!」


ナノは静かに頷き、ニーナは不服そうに「はいはい」と生返事をする。

「糸車」

「紡ぐ」

「輪廻」

「メビウスの輪」


ニーナとナノの二人の右足が、漆黒の帯となって解け合う。足先から毛先まで人型の境を失い、帯は天上に向かい円を描く。蛇のようにとぐろを巻く円周は狭まり、ついには特異点という零に達した。


「天地をめ。テスカポリトカ


ハクアはカヲリに肩を貸し、ゆっくりその場を離れる。


螺々は力試しとばかりに己の手は汚さないつもりのようだ。追ってこない。


ニーナとナノは姿を現さない。それでも気配は以前より大きく感じている。肌にざらざらと不快な感触がよぎる。


「戦略的、撤退ですぅ。次はあいつらに目にもの見せてやりましょう」


戦意を喪失し歩く気力のないカヲリを勇気づけるが、ハクアの残り時間も迫っていた。


「カヲリ、お前だけは絶対生き延びるですよ。あの西野って女は一発ぶん殴ったくらいじゃ更正できねえみたいですからね。そのためにも、体を取り戻してやらなくちゃ。ねばり強いお前ならきっと……」


グラウンドの中程でハクアは喋らなくなり首をがくんと垂らし、動かなくなった。帽子が空に舞い上がり、視界からきえる。


「ハクア……?」


カヲリはハクアの体を支えるのを諦め、その場に置いて校門に向かった。強風に足がふらついた。腹に刺さったガラス片の傷口からは止めどなく血が流れ、乾いた校庭の土に跡を残した。


どさっ、とカヲリの目の前に、何か重たいものが落下した。見慣れたジャケットの袖にくるまれた生身の腕だった。胴体からねじ切ったように、骨がいびつに割れてつながっている。


「ハクア。ブッシュド・ノエルが食べたいって言ってたよね。腕だけじゃ食べられないよ」


カヲリの心は折れ、グラウンドに突っ伏した。風は肌を刺すように吹き荒れているにもかかわらず、音は全くしない。無音の闇。これが彼女の望んだ罰なのか。


「黙ってクリスマス大会抜けたから、灰村先輩怒ってるかなあ。来栖先輩、どうしてるだろう。寺田君を殴りたかったー。それ以上に私を殴りたい。雪乃ちゃんに謝らないと。あの娘はクリスマスどこで過ごすのかな。みんな」


空を流星が走った。余りに短く、目に留めた者はほんのわずかしかいなかった。


「ごめん。先にいくね」


 (2)

 

赤いフレームの眼鏡が、象に踏み潰されたようにひしゃげてグラウンドに落下した。


「うしのもり」


せっちんは、太刀を鞘に納め息を吐いた。


「かをりといっしょに、わらわの、くろーんまでけしとんでしまったではないか」


グラウンドにいた大勢いたクローンの姿はなく、千切れた手首や、骨の残骸が無造作に転がる。


「悪い悪い。この技、加減がきかないんだよ。また作ればいいじゃないか。ハクアを作った時みたいに」


不満顔のせっちんの肩を抱き寄せ、機嫌を取る。


「それにしても皮肉なものだね。ペテロはキリストから天国の鍵を授けられたそうだよ。それが今や、異教の神の力を持つ双子を従える私の手中にある。君が西野陽菜を追い詰めなかったら、私はここにこうして立つことはできなかっただろう。礼を言うよ、カヲリ=ムシューダ」


カヲリの消滅を見届けた後、螺々は物憂げに瞳を伏せたが、それも束の間、快哉を叫ぶ。


「ハラショー! ようやく手に入れたぞ。支配者の力を」


仏頂面のせっちんの脇に手を入れ持ち上げ、戦利品のように高く持ち上げる。


「空間と時間を支配し、次元を超越する神に匹敵する力だ。これで天国に一歩近づけたわけだ。ハッハッハめでたいめでたい」


「水を差すようだけれど。ちょっと聞いて欲しいんだ」

童女ナノが、今か今かと螺々の面前に立った。


「何だ、改まって。もう我々は一心同体だ。忌憚なく意見を述べてくれて構わんよ」

有頂天の螺々を見据え、ナノはどこか愉悦をもって、絶望を与える。


「西野陽菜は支配者ルーラーじゃないんだよね」


それを聞いたナノの隣にいたニーナも、螺々と同じように目が点になった。


「どういう意味だ?」


「そのまんまの意味。やっぱ知らなかったんだ。ぷっ、だっさ」


螺々は、せっちんを投げ捨て、ナノを乱暴に突き飛ばした。ナノはわざと仰向けにひっくり返る。


「私は支配者権限を預かってるとしか言ってないよ。私とニーナのゲストは確かに西野陽菜だけれど、西野陽菜が支配者だとは一言も言ってなかったと思うんだけど」


「騙したのか。しかし、私は支配者に会っている。あれは紛れもなく西野陽菜だった」


「ファーストフードのあれね。あれは、私が化けてたの。伊藤もあの時は知らなかったんじゃないかな。あいつ見境いないし」


ナノは含みを持たせ、笑う。

時折、ナノが陽菜の真似をして登校することもあった。幸彦に過剰に甘えていたのがナノである。カヲリが匂いを感じなかったのは、ナノが化けていたから。彼女の性質が視覚を騙す光だからこそできた芸当である。


「では支配者とは何者だ。どこにいる?」


「そ、れ、は、内緒。女の子は秘密が多いほど輝くんだよ♡ 知らないの?」


虚と実は混沌としていた。本物の陽菜は果たしてカヲリと顔を合わせていたのか。本当に幸彦に恋をしていたのか。


「丑之森螺々。貴女もその他大勢の観客と同じく支配者の描いた物語に踊らされていた一人にすぎなかったんだよ。それは私たちキャストも同じ。特異点を目指し突き進む哀れな人形なんだよね」


話に入っていけないニーナは呆然と両腕を垂らし、口を開けていた。


「ついていけねー……」

せっちんが、そっとニーナの脇をくすぐった。


「わっ! 何しやがる」


「うかぬかおじゃの」


ニーナは、別人のようにはしゃぐ姉の姿に疎外感を覚えていた。陽菜を支配者として仰いでいたし、人一倍衝撃を受けている。ニーナは腹芸ができるほど器用ではないから、ナノは打ち明けなかったのだろう。


それに陽菜に対する裏切りも全く知らされていない。これからのことに不安を感じていたのだった。


「あたしが見てたのって、何だったんだろう。本当のことって何? わからなくなっちまったよ」


「ほんとうのことなど、どうでもよいではないか」


ニーナはこの小さな子供に戦慄する。自身の迷いを見抜かれたようにも思った。

「だいじなのは、なにをのぞむかじゃ。そうではないか?」

「そ、そうか。そうかもしれねえな……」


ニーナの中に釈然としない感情が芽生えていた。それが表に出るのは、まだ少し先になる。

絶望したかに見えた螺々だったが、ある可能性を見出していた。


「私の知らないゲストが、まだ他にいる……!?」


ナノは表情を微細に変化させた。それはほとんど余人に計れないほどのゆらぎでもあった。


「以前の世界も今回も、ゲストとキャストが完全に一致した組み合わせはない。これは偶然か? それが必然だったとしたら」


ナノには否定も肯定も許されていない。曖昧に目を細める。


「気になるなら、物語を続けなよ。 今度は西野陽菜主演の舞台だよ。協力してあげてもいいけど」

「誰に向かって物を言っている。既に君らは私の奴隷だ。口答えは許さん」

「やーん、資本家みたい。こわーい、たすけてニーナ、せっちん」 


ナノはせっちんたちを巻き込み、悲劇を煽る。


「残りのゲストを必ず見つけだし、支配者に成り代わってやる。私はあきらめんぞ」


息巻く螺々をそっちのけにし、ナノはとことこと、グラウンドに放置されていた脚立付きの古びたハンディカメラの元に移動した。

埃まみれのレンズをのぞき込み一言。


「そろそろフィルムが切れそうなので、スタジオにお返ししまーす。またねー」


目も開き切らぬ幼い黒猫が、画面を横切り、劇終…


 


 


 









「むっ」

どうやら”ふぃるむ”があまっておったようじゃ。


るーらーのけいかくせいのなさには、こまったものよ。


わらわが、すこし”ま”をつなぐほかあるまいて。


では、ゆきひこのはなしでも、しようかの。

わすれておったか? 

だいじなことじゃぞ。



はいむらかすみに、みくだりはんをつきつけられたことは、おぼえておるか。


あのあと、くるすみくによびだされた、ゆきひこは、いいあらそいになり、かいだんからつきおとされた。


じごうじとくよの。

しんゆうに、のりかえたとおもわれたら、はらだちまぎれに、ころされそうにもなるわい。くわばらくわばら。


それでも、この”ぷれいぼーい”のえらいところは、あいてをいっさいうらまぬところじゃ。たとえ、ころされかけてもな。ま、おたがいなっとくずくのかんけいじゃからの。いたみわけというわけじゃ。


ゆきひこの”みぎ”あしくびは、ふくざつこっせつしとった。それでもあるばしょに、まっすぐむかった。


いもうと、”ゆきの”の、すむまんしょんじゃ。

ゆきのは、まんしょんのものおきべやに、とじこめられておった。


かってなおやよ。せけんていが、だいじとぬかしてな、ふらふらそとをであるくなという。いままでかってをしいた、おやのやることとはおもえぬな。


ゆきのは、くらいものおきをいっさいでることをゆるされなんだ。せっちんすらもじゃぞ。

このばあい、わらわのことではなく、かわやのことじゃ。ねんのため。


ゆきのは、おさないころにつかっていた”おまる”をものおきからみつけた。そこにようをたすほかなかった。


しょくじも、はじめは、ひに、さんかいあったものが、にかいになり、いっかいになり、ついにはなくなった。さいそくすると、どなられるでな、だまっておった。


だんぼうのないさむい、へやで、ゆきのは、かびくさいほんをかかえて、たえる。ゆいいつのきぼうは、くりすますの、おでかけじゃ。

くりすますの、れすとらんに、さんにんで。やくそくしたのじゃ。たしかに。

じゃが、そのひが、きても、ゆきのが、そとへでることはなかった。


ははと、ままちちは、ゆきのをおいて、がいしょくにでかけた。


ものおきにいれたのを、わすれておったのじゃ。わすれるくらいならほうっておいてくれたら、すくわれたであろう。


ゆきのは、えいようじょうたいの”あっか”から、はいえんにかかっておった。


うすれいくいしきで、ずっと”あに”のなをよんだ。

あには、いつも、ゆきのをたすけてくれた。こんかいも、きっときてくれるとしんじた。


じじつ、ゆきひこは、ゆきのをすくいだそうと、いろいろなものをかなぐりすててきたんじゃ。こいびとをきずつけ、じぶんをあいしてくれたものにせをむけ、さいあいのものをがけからつきおとした。


それでえたかねで、ゆきのをさらおうとしておった。さわぎをおこせば、こばやしけは、ひとめにさらされる。もはや、ぎゃくたいをかくしだてはできぬ。


じぶんだけで、ゆきのをすくえるちからがあると、かしんしていたもじじつじゃ。ごうまんじゃのう。


きずついたあしで、まんしょんについた、ゆきひこは、ゆきのをさがした。ものおきにいるとはゆめにもおもわぬ。

さがしあぐね、ものおきをあけると、はなをつくあくしゅうがする。


ゆきのは、ちいさくからだをまるめ、こときれておった。あかごのようにちいさくなってな。


ゆきひこは、ものおきをかたづける。ふりをしていた。ゆきのをみつけなければ、じじつをうけいれずにすむからのう。ふんにょうにまみれた”おまる”が、こがねいろにみえたのは、できすぎか。


ゆきひこは、かぞくがばらばらになったのが、はずかしかったのじゃ。からっぽのいえが、いとわしかった。だからかぞくにこしつした。

ゆきのがいなくなったひろいいえというのは、ゆきひこにとってはからっぽとおなじだったのかもしれん。

ああ、すきまかぜがふいて、さむくなってきたわい。

 


……、さて、ふぃるむもこれでおわりか。

ゆきひこが、このあとどうなったか、わらわもしらぬ。

わらわが、かかわれるのは、”ものがたり”のうちがわだけでの。


ときに、るーらーにしたがうことで、まもれるものもあろう。

わらわも、ごうまんか?


かもしれんのう。ゆきひこがそうじゃからのう。

さがしていたおまるがこのようなばしょで、みつかるとはおもわなんだ。いろいろあるいてみるものじゃ。しょうじき、みつけたくはなかったが。


はくあには、わるいことをした。あったら、わびのひとつもかけてやらねば。


なんじゃと? まだふぃるむが、のこっておるとな。

しかたないのう。”じかいよこく”でもするがいい。

わらわのしごとも、なかばおわったようなものじゃからな。

……、いまは、この”おまる”をきれいにすることに、せんねんするとしよう。


さらばじゃ。にどと、あえぬことをきたいする。


 (1)


カヲリ=ムシューダは、友人のアイコとマイに挟まれて学校の廊下を歩いていた。


「えー! カヲリン、専門学校行くことにしたのー?」


寒さが本格的になってきて、校舎内の冷えも侮れない。マイは口元まで引き上げたマフラーをもごもごさせて叫んだ。


「うん、最近料理に凝っちゃって。手に職つけるならそっち方面に進もうかな。母さんと父さんにも相談してるの」


「マジか。でもきっと向いてるよ。ムシューダは食べてる時が、一番幸せそうだもん」


アイコがカヲリの進路を肯定してくれた。アイコは大学進学、マイは看護学校と、進路は違っているが、それぞれの目標に向かう志は同じである。


「そうだ、翔さんと進展あった?」

アイコが鼻息荒くカヲリに詰め寄る。 

「二人が期待するようなことにはならなかったよ。食べ過ぎだって言われました」

「ヤバ。フられたの? カヲリン」


本当は、カヲリの方から距離を取ろうと翔に提案した。お互いの気持ちが離れて自然消滅するより、良い思い出だけを残したいというエゴを押しつけたのである。


翔は名残惜しそうにしていたが、彼ならその舌の根もかわかぬうちに、他の女性をくどくくらいの魂胆はありそうである。カヲリは特に気にしない。


カヲリたちの向かいから、マッシュボブの可愛い女子が悠々とやってきた。


「あっ」 

カヲリは、その女子の顔を見て立ち止まった。女子はカヲリをよけようとせず、そのまま肩にぶつかって通り過ぎた。


「何あれ、感じ悪っ!」

アイコが相手に聞こえるように、甲高い声で非難した。 

「あれって、あれじゃね?」

マイが思わせぶりに、カヲリの腕を揺さぶった。


「あいつ転校生だよ! 父親が県議会議員で汚職した奴でしょ」

アイコが付け加えた。

それはここ最近のニュースで持ちきりの話題だった。一人の県議が空出張を繰り返し、不正を働いていたというのだ。


「でも、あの娘は何も悪いことしてないよね。偏見持ったらよくないと思う」


カヲリが正論を言うと、アイコたちは不満をひた隠しにしたひねこびた笑みを浮かべる。

白いレースのハンカチが廊下に落ちていた。カヲリが拾うと中に小さい紙がくるまれている。

そこには、よれよれの筆で、こう書かれていた。

「すまぬ」 


カヲリは、息を切らせて女子の後を追った。程なくして、可憐な背中に近づいた。

「おーい、待ってー」

前を歩いていた女子は足を止め、カヲリを横目でにらんだ。

「ハンカチ、貴女のだよね?」

「……、知らない」


温厚なカヲリは、めげずに女子にハンカチを手渡した。

「そんな怖い顔しないでよ。すごい可愛いのに」

「うっせ。消えろ」

取りつく島もなくカヲリの腕を振り払い、女子は去っていった。


「名前なんていうんだろ、あの娘。友達になれたらいいな」

 

カヲリは期待に胸を膨らませ、アイコたちと合流した。きっと友情を育めるという確信があった。あの娘は自分たちと同じだから。


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