イカロスの翼
翼を生やさずに生まれてきたのなら、
翼を生やすために、
どんな障害も乗り越えなさい。
ココ・シャネル
(5)
屋上まで、火薬の濃い臭いと煙が漂ってきた。
「死ィねやああああああっ!」
先発バッター、嫉妬のハクア。興奮を押さえ切れぬ様子で距離を詰め、怠惰のニーナに向けて金属バットを横なぎにフルスイング!
「なっ……!?」
花火に気を取られていたニーナの側頭部にバットが直撃。そのまま屋上のフェンスに背中から激突、フェンスごと吹き飛ばされ落下していった。迷うことなき一撃はまさに必殺と呼ぶにふさわしい。
「URYYYYYYYYYYY!」
ハクアは勝利の雄叫びを上げ、バットを滅茶苦茶に振り回す。まるで理性を失ってしまったかのようだ。カヲリはバットに当たらないようにムカデ運動でよける。
そうかと思えば、ハクアの表情は急に弛緩したものになり、バットをゆるりと地面に下ろした。鼻から一筋の血が垂れている。もくもくとジャケットの胸ポケットから出したハンカチで拭いた。
「はしゃぎすぎじゃ」
蛮勇を諫めるように、せっちんがハクアの背中を叩く。
「カチコミには勢いが肝心……、先手を打ったまでですぅ」
カヲリは懐かしい幼女たちのやり取りに、いてもたってもいられず、地面からはね起きた。
「ハクア! 無事だったのね!」
歓喜の呼び声に、ハクアはろくにカヲリを見もせず軽く手を振った。
「誰かと思えば雌豚じゃねえですか。だらしねえ体晒して、どこの養豚場から抜け出してきたかと思ったです」
「あ、本物だ。やったー」
以前と変わらぬ毒舌のハクアを力一杯抱きしめる。胸でもがき苦しんでいたが、酸欠で顔を出した。
「ぷはっ! せっかく地獄から戻ってきたのに、おめーのスイカップで殺す気ですか!」
「ごめんごめん。でも心配してたんだからね」
経緯は今のところ不明だが、せっちんはハクアを帰還させた。役者は揃ったと言える。
「勝手に盛り上がって、バッカじゃないの」
ナノが忌々しそうに、顔をしかめた。
「何人でこようが同じことなんだけど。邪魔するなら、ここで葬ってあげるよ」
せっちんは得意げに一歩前に出てナノの正面に立った。
「どうやら、きづいておらぬな。これは”さとい”そなたらしくないのう」
気づけばハクアも訳知りらしい不敵な笑みを浮かべている。
カヲリは秘匿された作戦を察することができず、ナノと同じように状況に流されるだけだった。
花火がまた炸裂した。煙は増すばかりだ。
「まさか……!?」
ナノはここにきて焦りの色を浮かべた。せっちんたちの狙いに気づいたようだ。
すぐさま童女の人型から数千の光の蝶に形を変え、空へと三々五々散っていった。
ハクアは手でひさしを作り、飛び去る蝶を見送る。
「ニーナと合流するつもりのようです。予定通りですね」
「ああ」
二人は納得しているが、カヲリは未だ飲み込めない。
「いいかげん説明してよ! 何なの、この花火は関係あるの?」
ハクアはカヲリを無視し、せっちんと向かい合う。
「武運を。勝手に死ぬんじゃねえですよ」
「そなたもな」
互いを鼓舞し、拳を突き合わせるとハクアはフェンスのない屋上を助走をつけて飛び降り、視界から消えた。
「こわいか」
せっちんが、カヲリの手を握る。
「うん。でも貴女たちが来てくれたから、やれる気がする」
一人の時より、勇気が沸いてくる。
最終決戦の火蓋が切って落とされた。
(4)
校庭に落ちたニーナは、口に溜まった血を吐いた。折れた前歯が血に混じっている。
上空には鈍色の煙がわだかまったままだ。花火のパフォーマンスは延々とやむ気配がない。地上にも煙は立ちこめて見通しは悪い。
たとえ敵がどんな戦術を取ろうが、ニーナには関係ない。何も考えない方が力を発揮できると自覚しているのだ。
煙のわずかな変化を感じ取り、右側に素早く顔を向ける。
バットの鋭いスイングが迫る。今度は十分反応可能だ。インパクトに合わせ拳を突き出す。バットは内側にへこみ、明後日の方向に跳ねとばされた。襲撃者はすぐに距離を取る。
「良い度胸じゃん、クソチビ」
微風で煙がわずかに晴れ、五メートル先のハクアの姿が詳かになる。
「接近戦であたしに勝てると思ったか? まぐれ当たりでノコノコ近づいてきやがって」
ニーナはハクアが無策で突っ込んできたと信じて疑わない。
「どうやって戻ってきたか知らねえが、丑之森と一緒にあのまま死んでりゃよかったのによ」
「やはり螺々を殺ったのは、お前らでしたか」
「あっけなかったぜ。どうせお前も同じ末路だ」
ニーナは引導を渡そうと能力を使おうとしたが、火はおろかガラス片も出せない。初めての経験に、完全に我を失う。
「あれ、何でだ、何でだよ……」
その慌てぶりとは対照的に、ハクアは厳かなな表情で辞典のページをめくっている。
「この煙は保険みてえなものですぅ。ま、吾輩の能力があれば、怠惰如き瞬殺。お前は既にできあがっているのですよ」
その頃、ナノは光子状態で丸岡高校上空を漂っていた。校庭に近寄れないのだ。
「煙の粒子で光を反射させ、私たちの能力を封じる。ちゃんと対策を立ててきたんだ。ハナマルをあげちゃおうかな」
ナノは童女の形態を取り、背中に生えた蝶を模した楕円形の翅による送風で煙を払った。
ナノの目線の先に、せっちんを負ぶったカヲリの姿がある。せっちんの背中には、巨大な一対の翼が控えている。純白の羽の連なりは、白鳥を模していると思われた。細胞を変異させ、飛行を可能にしたのだ。
カヲリは下を見ないように顎を上げていた。数十メートル眼下に、校舎の屋上がある。おんぶ紐でつながっているとはいえ、せっちんの翼がなければ校庭に落下してしまう。
「タイマン希望なんだけどな、傲慢」
ナノはカヲリを無視して話し始める。
「しかたあるまい。それに、そなたが、ほんとうにころしたいのは、”かをり”であろう」
翼をしならせ、せっちんは挑発するように応えた。
「まあいいや。じゃ、いくよ」
目の据わったナノの左手には、ガラスでできた思しき透明な長槍が光っていた。柄の部分だけで一メートル弱ある。両手で構え、突撃の態勢を取る。
「や、やだ。来るわよ!」
カヲリは恐怖しながらも、抜き身の菊一文字則宗を青眼に構えた。
「あんずるな。あやつはそなたをこうげきできぬ」
ナノは翅を大きくばたつかせ、カヲリたちの周りをぐるぐる回っている。蝶というより、まるで獲物に襲いかかろうとする蜂だ。
「そんなの信じられないわ。だって私に罰を与えるって言ってたのよ」
「それはいっていの”てじゅん”をふんでのことじゃ」
斜めから突進してきたナノの槍が、カヲリの頬を掠める。せっちんは煙のたまりに垂直下降して難を逃れた。
「ほらー! せっちんだけで戦った方がいいって」
「おかしいのう……」
せっちんは頼りなさそうにつぶやく。カヲリの不安は頂点に達しようとしていた。
「あー! もうだめ、私たち死ぬんだ。ほら、来るわ、飛んでくるー!」
カヲリの予想は外れた。一分経っても、ナノは襲ってこない。
「あれ……、どうして」
煙が光を拡散させて能力を妨害しているため、ナノにしたらもっと焦って激しい攻撃を加えてきてもおかしくないのだが、その気配はない。
「わらわのいったとおりであろう」
せっちんによれば、ナノとニーナは高いコストパフォーマンスを誇る代償に、支配者権限にかなり依存しているらしい。
ルールを破れば、罰が待っている。ニーナはそれを疑問を持たずに受け入れていたが、そこに陥穽があった。
本来、罰とは上位下達が基本である。川の水は海に流れるが、その逆は通常あり得ない。ニーナを罰するのは、姉のナノ。然してナノへの罰は、如何なる者の手により為されるべきか。
「支配者ね。ナノは支配者のオシオキを恐れているんだ」
「さよう。あやつの、つよさゆえ、かなりの”りすく”があるのであろうよ」
最強クラスのキャスト故の弱点。さらに以前の世界でハクアに対して伝家の宝刀、双魔鏡を一度使用している。反射こそ能力の要と看破され、攻め手はほぼ封殺された。
「だからなんだって言うんだよ」
ナノの極光を放つ翅の隣粉は、光子となり昇天していく。崩れゆく翅を懸命に振るって滞空していたが、翅だけではない。体の維持も難しくなっていた。気を抜けば、光子に分解されてしまう。そうすれば逃げるのは容易だが、ナノのプライドが許さない。地上のニーナも同様だ。
それ以前に敵前逃亡すれば、支配者は二人を決して許さないだろう。
「時間がない。これで決める」
ナノは野球ボールサイズのガラス球を、カヲリたちの背後から投擲した。
カヲリは煙の流れから、球の軌跡を読む。
「せっちん!」
「おう!」
息を合わせ、一瞬で上空に退避するべく、翼を上下に羽ばたかせた。重力にあらがう反動で、体に負荷がかかる。せっちんの羽は自分の体細胞から作っている。激痛をこらえた。時間がないのはこちらも同じだ。
ガラス球はカヲリたちの真下を通過するに思えた。
ところが、
「いかん! かをり、めをとじよ!」
せっちんの警告が間に合うかどうかのタイミングで、ガラス球が破裂した。中から目を射るような強く白い光があふれ出る。さらに破裂した細かなガラスがせっちんの翼に穴を穿った。
「……、そうだよ。不慮の事故ってことにすればいい」
ナノは左手の爪を噛みながら、つぶやいた。
「そうすれば、支配者から怒られない。やっぱ私天才♪」
病的な笑みを浮かべながら、槍を構え渾身の力を翅に込める。粒子となって消える自身の秩序をものともせず、急降下。
「これで終わりだ! 泥棒猫。私の恋を邪魔したことを地獄で悔いるがいい! アハ、アハハハハッ……」
槍の先端が、カヲリの胸に刺さるイメージを雄弁に持っていたにもかかわらず、穂先は虚しく空を切る。煙の先には何者の姿もない。翅が限界を越え、錆び付いた羽音を立て動きを止めた。
「悪いけど」
ナノの頭上から決然とした声が降り注ぐ。カヲリがはるか高度を取っていた。
「貴女は私の友達じゃない。だから貴女には謝らない」
カヲリは上段に太刀を構え、全身全霊の覚悟を込める。まるで刀と体が一本の線のように統一された、美しい構え。
ナノの翅はもう機能していない。悪鬼の如く顔を歪める。空を見上げるだけで避ける術を持たなかった。
「この泥棒猫がああああああああああああッ!」
カヲリは落下の勢いを太刀に載せ、ナノの体を垂直に断ち斬った。
勢い止まらず地面がみるみる迫る中、翼を再生させた、せっちんにキャッチされ、命びろいする。
「アハッ……」
ナノの大きな瞳から大粒の血の涙が垂れ流され、苦しげに腕は中空をかきむしる。翅は鉛色に変色し崩れ、美しい着物は青白い炎に焼かれ溶けた。
「アハハハハハハハアーハハハハハハハハハハッ」
断末魔の哄笑の後、人型を保てなくなり、無数のガラスの蝶となって霧散。その蝶も腐食して黒ずんだ翅が砕け、空の階から墜落した。
(3)
校舎に西側の壁で、ニーナは虫の息の状況にある。
ナノが作ったのと同じ槍が、ニーナの両肩、両大腿部に串刺さり、標本のように壁に縫いつけられていた。
「……、何をした」
血走った目で、ニーナが校庭を睨む。
目線の先、煙渦巻く中心に、ハクアが悠然と佇んでいた。
「何なんだ、てめえのその能力……、あたしの体に何をしたアアアアアっ!」
全身から火の粉を撒き、凶暴性を解放したニーナは、灼熱の槍を二本、目にも留まらぬ速さで校庭に向けて飛翔させる。槍は固化したガラスを熱でコーティングしたもので、直径は三センチ、強度はないが触れただけで致命傷になる。
一秒間に数千もの回転を加えられた槍は、校庭に突き刺さり、地面を黒く焦がした。
「ああん?」
ハクアはその場から一歩も動かず、うんざりしたように帽子に手を置く。槍はかすりもしなかった。
「これから死に逝く奴に、吾輩が懇切丁寧に説明する義務があると思いますぅ? これだからおつむの足りてねえ奴と話すのは嫌なんですよ」
地面に刺さっていた二本の槍が回転を取り戻し、飛んできた時と同じ速さと、アーチの軌跡をへてニーナに還る。
弓矢が的の中心に向かうかのごとく、ニーナの喉、心臓を槍が正確に穿つ。
喉をつぶされてもなお絶命の瞬間、ニーナの唇は懺悔を働いた。
「はっ……、ナノ、ごめん……。守ってあげられなくてごめんね、ユッ」
ニーナの全身に亀裂が走り、足から陶器のように粉々に砕けた。ガラス片が、雹のように校舎の壁際にバラバラと散乱した。
ハクアの頭上では、分厚い辞典が表紙を上に浮かび、ページが自動でめくられていたが、白いページは端から赤茶けて古び、装丁がはがれ、風に飛ばされ空に吸い込まれるように舞っていった。ハクアの能力、罪業の書はついに役割を終えたのだ。
「ギリギリ間に合いましたか」
ハクアは膝を折り、背中を丸める。せき込むと、おびただしい血の塊が口からこぼれ地面に落ちた。
「はあ、はあ……、あいつが開き直って肉弾戦に持ち込んできたら勝ち目なかったですぅ。悪く思うなですよ」
口元の血を袖で拭う。足下にオレンジ色の百合の花が一輪、風に乗って運ばれてきた。
確か花言葉は
ハクアは寂しげに首を振り、迷いを払う。
「これで借りは返しました。地獄であったら、一緒に茶でも飲みながら愚痴を聞いてやるです」




