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せっちん!  作者: 濱野乱
空蝉編
63/97

罪と罰(後編)


灰村香澄は寺田幸彦の頬に、あらん限りの力を込め平手打ちを食らわせ、ダンスを終了させた。講堂に響くほどの潔い音が全員に衝撃を与える。


幸彦は床に手をつき、意気地なさげに笑っていた。そして何も言わずに講堂を去っていった。まるでピエロの役を押しつけたようで、香澄は心苦しかった。


それでも、彼女の自制心が恋の呪いに勝ってしまった。


あの場に踏みとどまり、幸彦の返事を聞いていれば、この先に待つ悲劇も避けられただろうか。


「最低ね」


講堂隅にある休憩用の椅子に、香澄と来栖未来が並んで腰掛けた。


「体触られるのがそんなに嫌だったのか? しょうがないだろ、ダンスって密着しないとできないんだから」


未来は香澄の肩に自分の肩を軽く当てる。


「寺田がああなったの、未来のせいでしょ」


香澄がストレートに不満をぶつけると、未来はとろんと目尻を下げる。


「気づいてたのか。あたしと、ゆーくんのこと」


「可哀想な寺田。交際も内緒、校内で口を利かない。最初にルールを決めたのは、未来なんですってね」


「だって恥ずかしいだろベタベタするの。あたし触られるの好きじゃないし」

悪びれもせず未来は肯定した。ルールを強制したのは反省しているが、幸彦も同意の上だったと信じて疑わない。


「同じことを未来にしてやりなさいって言ったの、私なの。復讐してやりなさいってそそそのかしてね」


それでも香澄は途中で怖くなり、幸彦と未来と別れさせようとしてきた。


「どうして寺田を縛り付けるの? 好きじゃないくせに」


「好きじゃなかったら、一緒いちゃいけないのかよ」


未来は臆面もなく開き直りを見せた。惨めなの抵抗である。それは本人が一番よく理解していた。


「寺田と西野さん、両想いだったわ」


「知ってる」


未来はその事実をどうしても許すことができなかった。だからどんな手段を使っても引き留めようとしてきた。

「寺田は女性不信になってたみたいだった。西野さんを信じようとして、結局できなくて」

「それは本気じゃなかったからだ」

「本気だったわ、少なくとも私にはそう見えた」

共に暮らし、間近で幸彦の苦しみを共有してきた。彼と過ごした時間は未来にも劣らない。


「私、未来が羨ましかった。きれいだし、みんなから慕われて、運動もできるし、明るいし。私なんか根暗で人の弱みを握るくらいしか能がない女だから」


初めに幸彦に近づいたのは、それが動機だ。幸彦を物にできれば、未来に勝てると考えていた。


「あたしは、そんな立派な人間じゃない。ゆーくんのこと、今でもあきらめ切れないんだ。恋人じゃなくてもいいから側にいたい」


未来は呪うようにドレスのスカートを握りしめた。


「そう寺田に言えば良かったのよ、美来は。でも自分が傷つくのが嫌だったから、逃げたんでしょう。私も寺田の弱さにつけこんで、彼の邪魔ばかり。これは恋なんかじゃないのよ」


香澄は未来の白い肩に頬を乗せた。


「最低ね、私たち。きっと罰が当たるわ」


 (8)



強風がまるで亡者の息吹のようにうなる。教室の窓に吹きつけ、ガラスの震えは止まることを知らない。


「どうしてくれるのよ、カヲリ」

陽菜は席についたままいきり立っている。カヲリは暗い教室内で後ずさりした。


「落ち着いて、陽菜。今、そっちに行くから」


それだけ言うのがやっとだった。

傷心の陽菜をこれ以上追いつめないように慎重に近づく。陽菜のいる机の傍らに立ち、慰めの言葉に終始する。


「エトワール選、負けちゃったね。私と陽菜じゃ比べるのも失礼かもしれないけど」


陽菜の返事はない。怯えるようにひたすら頭を抱えている。


「こう言っちゃなんだけど、灰村先輩って人気あるんだね。しっかりしてるようでどこか抜けてて、男子からしたら支えて上げたくなるのかもしれないけど」


素早く首を回し、陽菜はカヲリを見上げた。


「けど、けどって、何よ。慰めようとしてんの? 逆にムカつく」


陽菜の歯並びの整った小さな口が綻んだ。少し調子が戻ってきたらしい。


「負けたなんて思ってないし。別に落ち込んでなんかいないんだから」


負け惜しみもどこか頼りない。カヲリは陽菜に寄り添うように、机の側にしゃがんだ。


「陽菜、今日、講堂に来てたのにどうして声かけてくれなかったの?」


前日に訊ねた時は、行けたら行くという曖昧な答えだった。 


「何か恥ずかしかったの。あれだけ小馬鹿にしちゃったしねー」


「あ、はは……、そうなんだ」

一見陽菜らしい答えだったが、幸彦の姿もあったことから偶然と呼ぶには出来すぎていた。


「カヲリ、あんた灰村先輩と幸彦君の仲取り持ったでしょ」


「いやー、何のことかさっぱり」


幸彦のようにとぼけるのは存外難しい。彼はやはり嘘つきの才能があったようだ。


「ごめん!」

重圧に耐えきれず、白状した。両手を合わせて謝罪し、手のひらの隙間から陽菜の反応を伺う。

「私に謝ることないよ。大丈夫」

「ほんと?」 

「うん全然平気」

意外なことに陽菜はすっきりした顔で、歯切れ良く答えた。

「そうだよ! それがいいよ。寺田君のことなんか早く忘れよう」

この機を逃すまいと陽菜の腕にしがみついた。

「私はともかく、未来ちゃんはどうなのかな」

「えっ!?」

未来の名前が出るとは想像だにしない。そこから至る結論に度肝を抜かれることになろうとは。


「幸彦君が付き合ってたのは、未来ちゃんなんだよ」

カヲリの推論から積み重ねた誤りは砂上の楼閣となって、消え失せた。

「嘘……」

「あんた、私の話ちゃんと聞いてなかったでしょ。中学から付き合ってたって言わなかった? 幸彦君が灰村先輩と知り合ったのは高校に入ってから。……、それと私もね」 

ついでのように付け加えると陽菜は俯いた。

 

「そ、それじゃあ、卓球部屋にいたのは、ぷしゅー……」


カヲリの脳内が沸騰する。卑猥な画像がフラッシュバックした。幸彦が未来と距離を置いていたせいで香澄の匂いがより強く香ったのだろう。嗅覚を過信し過ぎしていた。


「でも結果オーライだよ。灰村先輩も幸彦君のこと好きだったから。ついこの間まで同棲してたらしいよー、半年も」


「あのやろう~」 

怒りに油が注がれる。

カヲリの瞳孔が獰猛に開く。獲物を狙い、今にも飛びかかりそうな虎のように犬歯を光らせる。


「ね、これから二人で寺田君を殴りにいこうよ」


「うっわ! 目こわ。あんたマジでやりに行く気でしょ」


「今やらないでいつやるの。あのろくでなしは一遍ひどい目に合わせてやらないと」


陽菜は頬を痙攣させ、口だけで不自然に笑う。

「他人の幸せを壊さないと気が済まない人なんだね、カヲリって」


陽菜がおもむろに立ち上がっていた。カヲリも釣られて、腰を上げる。


「私を壊して、未来ちゃんを壊して、その次は灰村先輩? いつまで続けるつもり? ねえ?」


陽菜に肩を突き飛ばされ、カヲリは机に腰をぶつける。


「そんな、つもりじゃ……」


「じゃあどういうつもりなの? ねーえ?」


普段、カヲリをからかうのと同じスタンスで陽菜はどんどん肩を突いてくる。その力はじょじょにそして確実に増してくる。

「私は、陽菜のことを思って」

「私のことを思って? 違うでしょ」

陽菜はカヲリの後ろめたい心理を突くように、ねめつける。


「あんたは誰かの幸せが許せないんだよ。そういう女なんだよ、カヲリ」


カヲリの膝が震える。反論する材料はあるのに口に出せない。陽菜が本気の怒りをぶつけてきたことに戸惑っていた。


「この泥棒猫! あんたのせいで、私は“星″を掴み損ねたのよ。人の足ばっかり引っ張って。あんたなんか友達じゃない! 大嫌い……きらい」


消え入りそうな声に、カヲリは正体を失いそうになる。

数分前まで陽菜の言葉を鵜呑みにしていたが、動揺しなわけがない。あの場で幸彦は香澄を選んだと名言したのも同じだ。陽菜も彼が自発的にダンスに誘った所を目撃したに違いない。


カヲリの介入は、失敗に終わった。取り返しのつかない傷を陽菜に与えてしまったことにようやく気づいた。

「聞いて、陽菜、誤解なの」

「聞いてどうなるっていうのよ。今更」

生気のない陽菜の声は、どんな希望も一瞬で吹き消してしまう。そう、彼女自身の存在も。


「私が、私でなくなっちゃった。この気持ちはわからない。本当の恋をしたことのないカヲリには、絶対わからないんだよ」


勝手に理解をしていたつもりで、何もわかっていなかった。後悔をしても遅いけれど、これが自分が引き起こした結果と罪の重さなのだろう。


「いーけないんだいけないんだ」 

「人の恋路を邪魔する奴は」

「馬に蹴られて」

「死んでしまえ」

教卓の前に突如不吉な気配が出現した。


「認めなよ、自分の罪を。オシオキ、してあげる」


 (7)

 

教卓に腰掛けていたのは制服姿のニーナだったが、その傍らに佇む少女はカヲリと面識がなかった。


蝶の描かれた白紬に、ふんわりした青髪が小顔の輪郭にかかる。肌は病的に見えるほど、青白く眉薄く目は大きなアーモンド型だった。


「はじめまして、カヲリ=ムシューダ」

紬の少女が腰を折った。どこか格式だけを真似た人形めいた挙動だ。


「私は、”色欲”のナノ。ニーナがお世話になってたみたいだね。姉として礼を言うよ」

うっすら笑みを浮かべるが、目だけが爛々と光って不気味であった。


「あ、貴女たち、どうして今出てくるの? お願いだから邪魔しないで」


ナノと、ニーナは哄笑する。一頻り騒ぐと、どちらともなく笑うのを止めた。


「それ、泥棒猫の言う台詞じゃないよね。だって私たちは」

ナノはカヲリに人差し指を突きつける。

「貴女のせいで生まれたのだから」


発端は支配者のはずだと、せっちんたちから聞いている。カヲリには思い当たる節がない。


「私たちは、貴女への罰を執行する存在。支配者はそのために私たちを創造したんだって」


「罰……」

友達を傷つけた。先輩を傷つけた。雪乃を傷つけた。

どれも自分の蒔いた種だ。それらが今結実しているのなら、受け入れるしかないのかもしれない。 


「そうだったのね。だったら甘んじて受け入れる。皆を傷つけたのは本当だから」


ナノとニーナが意外そうに顔を見合わせる。


「潔いのは良いけどさあ、意味分かってる? 罰っていうのは極刑しかあり得ないんだぜ」


「え?」

ニーナの狂気をはらんだ無邪気な言葉に息を飲む。


「これは西野陽菜の意志。貴女を憎む彼女がそう望んでいるの」


肩を揺するナノの姿は、陽菜がカヲリを責める姿に重なった。まるで写し身のようだ。

ふと陽菜の本人が見あたらないことに気づく。


「陽菜!」

机の間で、うつ伏せで倒れている陽菜を見つけた。抱き起こすが、意識がない。


「この娘に何をしたの? 答えなさい!」

己の境遇を受け入れかけたカヲリだったが、再び意気を奮い起こした。


ナノは興味なさそうに動かない陽菜から視線を外す。


「何もしてないよ。その西野陽菜は、もう抜け殻みたいなものだから。放っておいたら?」


陽菜をそっと床に横たえた。胸にわき起こる激情は一気に膨れ上がる。自らの罪を正面から見据えた。


「やっぱり、貴女たちの言う罰を受けるのは少し待ってもらうわ。まずは陽菜と話をする」


「それはできないって言ったら?」


ナノの静かな物言いに、カヲリは前のめりになり、拳を固めた。


「協力でもなんでもしてもらうわ。力ずくで」


話が決裂するのを待っていたかのように、ニーナが教卓から滑り降りる。


「そうこなくっちゃ♪ It`s show time!」


前列から後列まで全ての窓ガラスが一瞬で、外へとはじけ飛んだ。息もつかせぬ暴風が教室に吹き荒れた。カヲリは腕を顔の前に掲げ衝撃に耐える。体の節々に物理的な衝撃が加わる。頭を庇うだけで精一杯だ。机椅子が凶器となって踊り狂っていた。


風が収まり目を開けると、机椅子は散乱し、教室のドアは廊下に倒れている。


「陽菜……?」 

倒れた机椅子を掘り返すが、陽菜はいない。ニーナ、ナノも忽然と消えている。


「まさか」

窓枠から外に身を乗り出す。カヲリは目を疑った。


陽菜は校舎の壁付近を浮遊していた。糸の切れた凧のように無軌道に思える動きで空を漂っている。

 

「何なの、これ」


教室の時計の針が重苦しい音を立て止まり、逆時計回りに働き出す。まるで未来を拒絶するかのようだった。

 

(6)

 

カヲリは屋上への階段を一目散に駆けあがった。


陽菜の尋常でない様子、ナノとの相似、カヲリへの憎しみ、そこから確信に至る。


「陽菜……、貴女はもしかして」


屋上の鉄扉を乱暴に開く。

体を丸めたままの陽菜が、ちょうどフェンスの向こう側に浮いていた。

走りながら手を伸ばしたが、フェンスにたどり着く前に、あわや陽菜は高度を上げ、みるみる遠ざかってしまう。


「待って、陽菜。待って」


懇願空しく、陽菜には届かない。

ニーナとナノが、音もなくカヲリの背後に立った。

「もう何もかも手遅れなんだよ。自分の罪を受け入れ償うんだ」 


ナノは嘲るように囁いた。


「償う……私が」

ニーナが、カヲリの肩を掴んで人形を扱うように揺する。


「先ずはあたしがオシオキしてやるぜ。ナノと違ってあたしはやさしいからな、苦しまないように逝かせてやってもいいよ」


償いとは、何を意味するのだろう。死はその唯一の解決策なのだろうか。


カヲリは振り向きざま、ニーナにタックルをしかけ、全体重をかけ屋上に押し倒す。


「てめ!」


その先の展望はなかったが、機械的にニーナの肩間接を締め上げる。


「離せ! バカ!」

ニーナの瞬発力は凄まじくカヲリは押し返され、たやすくマウントポジションを奪われる。


「往生際が悪いんだよ、てめえ」

逆上したニーナが、ガラス片を振り上げようとしていた。


陽菜と話がしたい。もはや友達の資格はないかもしれないが、謝罪は本人にしないと思いが届くことはない。いくら代役を立てたところで問題は解決しないのだ。


カヲリは目をカッっと見開き、一世一代の気合いを発露する。


「私が謝りたいのは貴女たちじゃない! 陽菜と話をさせろって言ってんのよッ!」


「上等だあああああああああああッ! こらああああああっ!」


ニーナが負けじと声を張る。それに被さるようにして、

 

 どーん、どどん。


突如、耳を聾する爆音と共に、満開の花が屋上を染めた。千変万化、火薬の海で白煙の波が立つ。花は散るこそ美しき、儚い音と涅槃に還る。 


刹那の美に、死闘を忘れたニーナの口から思わず定番の台詞が漏れる。


「た、たまや~……」

前触れのない打ち上げ花火に、一同の思考は完全に停止した。


ナノがフェンス際に走る。校庭に無数の小さな影が蠢いていた。

校庭に垂直に立てられた数本の筒から順次、火焔の華が射出される。筒に着火しているのは、同じ姿態のせっちんクローンだ。


「傲慢……、一体何のつもり」


ナノは花火の意図が掴めず、苛立ちを募らせる。


屋上の扉がきしみを上げ、小柄な二人の人影が現れる。ローファーの足取りが硬質な音を立てて止まった。


「一つ。罪を憎んで人を憎まず」

 

「ふたつ、しんるいえんじゃはたいせつに」


「三つ。借りを返さず、地獄に逝かず」

  

銀髪おさげの少女がおっとり刀で参上した。

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