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せっちん!  作者: 濱野乱
空蝉編
52/97

Vent6

「cold play」

草木一本生えないひび割れた荒れ地にて。

ジャージ姿のニーナが、ライン引きの手押し車で白線を引いていた。

渇いた茶色い土に、細かい石灰が撒かれていく。

「あたしたちは、”憤怒”をそう呼んでいる。名前がないと不便だからね」 

手押し車が止まる。硬い岩につっかかったらしい。舌打ちする。立っているだけで白い光を放つ太陽にあぶられ、頬に汗が垂れる。

「ゲストは、来栖未来。本人は何も知らないぜ。支配者に会ったこともないし、自分の能力が何なのかさえ知らない」

手押し車が岩を迂回した。ニーナはほっと息を吐く。

「あれは怒りの受け皿になっている。未来がストレスを受けると、それを貯めて大きくなる。貯金箱みたいにね」

無目的に線を引いているかと思いきや、時折車を止めて考え込んでいる。

「どうして怒りのキャストが冷気を冠した名を持つのか、あたしにもよくわからない。推測になるけれど」

大きい岩は回避するが、細かい石つぶてが大地に埋まっている。手に振動が絶えない。

「怒りの感情って、かなり刹那的だろ。あたしも頭に血が上りやすいからわかるけど、本当に怒ってる時は、逆に冷静になる。気持ちが冷えてる。だから普段やらないことも平気でできると思うんだ」

ニーナの反対の方角から、同じようにライン引きを勤しむナノがやってきた。息切れしており、線が頼りない軌跡を描いている。

「せーの」

二人は声を揃えて、ラインを直結した。一続きの図形が完成したようだ。

汗ばんだ顔を同じタイミング、利き手で拭う。

「ストレスは運動で発散するのが一番だよ」

ナノが、すっきりした声で言った。ジャージの袖が長く、手が隠れてしまっている。

「心地よい疲労の後は、休むことが大事」

ニーナがちょこんと地面に体育座り。ナノも背中合わせで同じ姿勢を取る。

「休めない馬鹿は馬鹿のまま」

「怒りを溜めない馬鹿はいない」

「怒りを溜めた馬鹿は本物の馬鹿になる」

「支配者は馬鹿が嫌い。だからあの場所に置いてきた」

「”cold play" あいつには分別がない。もっともやっかいな馬鹿だ」

二人は同時に目を上げた。上空にトンボのようなヘリコプターが旋回していたのだ。

「いえい」

二人は顔の横でピースサインした。

ヘリには浮き足だったカメラクルーがおり、地上の光景を望遠カメラで撮影している。

「ごらん頂けますでしょうか!」

真っ赤な口紅の女性レポーターが、マイクに唾を飛ばしている。プロペラ轟音に負けじと声を張るに必死なのだ。

「鳥、鳥です! ナスカの鳥が、地上にっ!」

ニーナたちは背中合わせに出発し、鳥の幾何学図形を高台に描いた。

高所から、翼をゆうゆうと広げた鳥が線だけで構成されているのを目の当たりにすると、圧巻せざる負えない。

それでも番組の進行が支えている。

ギラギラした瞳をカメラレンズに近づけるレポーター。

「お時間来てしまいました。NEXT TV PROGRAMせっちん! チャンネルはそのまま」

 

 (2~)


蝋燭の火が情け容赦ない勢いで吹き消されていく。

風のない静まり返った暗所に、ハクアは立ち尽くしていた。

去来するのは、

不安

高揚

好奇

畏怖

透明の通路には、蝋燭の置かれた皿が点在している。それらが離れた位置から音もなく断末魔の煙をたなびかせる。まるで、何者かの訪いに怯えるかのように。

「……、来る!」

通路内の全てを押し流すような冷気の猛威。

ハクアは懐中電灯をかざしたまま、衝撃に耐えた。

「ふわっ!?」

スタンガンにより気絶させられていたカヲリが、目を覚ました。状況を飲み込む前に、ハクアの檄が飛ぶ。

「カヲリ! 寝ぼけてんじゃねえです! 敵が来ます」

「え?」

放り投げられた懐中電灯をやっとのことで手に取り、通路に目を凝らす。

おぼろげに浮かび上がる異形が、ついに捉えられた。

独特の紋様と、丸みを帯びたずんぐりした頭部と足。水平に移動する人形は一切の生の鼓動を感じさせない。

それは、以前対峙した、土偶のキャストそのものであった。

「何で……」

カヲリは怯えを隠せない。あのキャストは以前破壊したはずだ。しかし、あの時は自壊したようにも思えた。

「どうやら罠だったみたいですね。支配者はあいつを使って我々を殺すつもりのようです」

ハクアは分厚い辞典を抱え、ページをまくっていた。

「本なんか読んでる場合じゃないわ! 逃げた方が」

カヲリの及び腰と対照的に、ハクアは好戦的な様子で、辞典が自動でめくられていくのに任せている。

「どうやって復活したのか知る由もないですが、今回は全力でいかせてもらいます」

辞典が中程で止まり、そのページが、丸ごと手品のように燃え尽きた。

カヲリには何が起こるか見当もつかない。

土偶が通過した後、遅れて蝋燭の火が消える。

二人のいる場所まで、五メートルもない。

カヲリは目をつむりそうになった。やはりキャストは恐ろしい。

果たしてハクアの能力は、この危機を脱するに値するのか。

答えはすぐに顕れた。

均衡を破る衝突音。

ガラスに直下したのは、水色のポリバケツだった。落下の慣性が終わると、通路の端まで転がっている。

「うえええええ!?」

カヲリはバケツを指さし、猿のような声を上げた。

「醜い悲鳴を上げるんじゃねえです。そんなだから男に逃げられるんですよ」

「今それは関係ないでしょ、何でバケツ?」

バケツは水を満載していたらしく、カヲリの足下まで流れてきた。 

「あいつの能力を測るためです。見てご覧なさい」

一メートル大の土偶が、バケツの側に佇むのは、シュールと言えなくもない。

床を滑るように移動してきた土偶だが、ぴたりと動かない。まかれた水に霜が張り、氷結の道が瞬く間にできた。

「保健室の攻撃は、こいつが?」

「みたいです。まだ腑に落ちませんが」

水が個体になると、土偶は再び移動を開始した。早い。

ハクアは氷結した道をスライディングで移動し、入れ違うように土偶の背後を取った。スタンガン食らわすつもりだったが、そのまま滑り、距離を開けた。

「こっち来るわ! いやああ」

カヲリは這々の体で土偶から逃げ出した。十メートルほど走った所、土偶の追跡がない。

「ハクア! 逃げて」

振り返り、かすかな電光に目を引かれる。

ハクアの帽子にはヘッドライトが装着され、暗闘に対応している。

土偶は片足を軸にハクアの方向に一回転した。カヲリには見向きもしない。

「これで思う存分やれるですぅ。今度こそ破壊してやりますよ、憤怒」

舌なめずりする、”嫉妬”を全く関知することなく、憤怒は泰然と構えている。

ハクアは今回の土偶の能力が、単なる冷気だと考えていた。以前戦った時と行動パターンが違うのは、今回の土偶と、前回破壊した土偶は、別物なのではないか。

アパートで小型のものを見かけたし、カヲリも電車の中で見たと言っていた。無関係とは思えない。

ハクアは憤怒のキャストは複数存在していて、今、眼前にいるのは、そのヴァリエーションの一つに過ぎないのではないかと結論づける。

後は簡単。

用意していた液体窒素の瓶を投げつけるだけ。

冷気が発生しているということは、キャスト本体にその回路があるということ。物理攻撃が効かないなら、回路に負荷をかけて一気に壊す。

液体窒素の沸点はセ氏マイナス百九十六度。土偶の冷気もそこまで及ぶまい。

ここまで周到に準備した中での誤算は、足場が頼りないこと。液体窒素に耐えきれるのか。

よしんば足場が崩壊しても、伊藤ならもう既に逃げ仰せていることだろう。

足下がどうなっているか知りたくないが、奈落に落ちてたところで、天地が逆になるだけなのだ。

キャストにも時間の概念があると、虎は証明した。同時に命の期限も判明した。

カヲリに言った通り、命は惜しいとは思わない。一度死んだ身だし、また支配者に作り直されることは目に見えている。

以前のハクアと現在のハクアは異なる種か。如何とも言いがたい。

だが確かに以前と異なっていることは確かだ。以前の冷徹なハクアならわずかな情報を得た時点で憤怒に先手を打てただろう。

出会い頭に、瓶を使っていた。しかし、しなかった。考えもつかなかった。

自身も気づかない大きすぎる過ち、それは自分を知る者の命の危機だ。カヲリがいなくなることへの恐れだ。

ハクアには確かに心が芽生えていた。

ゆえにその油断に付け込まれたのである。

「あ」

土偶のスピードはハクアの想像を上回るものだった。目と鼻の先に近づかれても、声を上げるのがせいぜい。

辞典が手からこぼれ落ちる。

「が、あ……」

ハクアの登頂部から白色の湯気が立ち上る。まるで花の蜜を吸われるように、呼気からも毛穴からも、残らず搾り取られる。

一瞬で低体温に追いやられたハクアは、前のめりに倒れ、動かなくなった。

土偶は用なしになったハクアから飛ぶように離れ、カヲリの逃げた方角を目指した。

ハクアは勘違いをしていた。

憤怒の能力の本質は、冷気を吹き出すことではなく、熱伝導だ。高温のものから低温のものに熱エネルギーが移動する通常の熱伝導と異なり、物体を介さずとも熱が低温の憤怒本体に集約する。

憤怒本体は二層構造で、内部に熱を蓄え、表面は低温を維持できる構造になっている。魔法瓶を想像してもらえるとわかりやすい。

能力の範囲は距離に比例するため、ハクアは一瞬で熱を奪われ、前後不覚に陥った。カヲリや、香澄は距離が隔たっていたために、冷凍庫のように比較的緩慢な冷凍で済んだ。

cold playに意志は介在しない。未来も支配者ですらその動きは押さえつけられない。

熱源を見つければそこに向かう。まるで飛んで火にいる夏の虫という言葉そのままに。

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