8・新しい生活幕開けるクリス
よろしく、と言うからには握手でもするのかと思ったが、殿下はどうもしなかった。ただ、事実だから告げて、それだけだとあんまりだろうから付け足してみた、という感じか。舞踏会で見たときとは少し印象が違った。ひたすらキラキラしていたが、今は……淡白? それも何か別の気がするが、一番近いのはそんなところか。
「もう聞いているだろうけど、式は一ヶ月後だ。その間にできるだけ王宮での生活に慣れてほしい」
「はい」
「今までとの違いで不自由させてしまうだろう。相談はそこにいるギーにしてくれればいい。要望がとおりやすくなるはずだ」
軽く顎をしゃくって王子がギーを示す。ね、言ったとおりでしょう? そんな風にも受け取れる微笑の相談役を私は一瞥し、また、視線を正面の人物に移した。
「僕の婚約者となれば貴女も命を狙われるだろう。護衛の騎士をつけさせてもらう」
「はい?」
護衛? え、何それ。私って警備されちゃうような人間だったっけ? だって、ライティアの王宮はお父様の執務室にも誰もいなかったし、「現代」で言う警察と同じ役割を果たしている騎士のおっちゃん達はとてつもなく優しそうだし、うちの国で暗殺や窃盗が起きることはないし。で、そこで育った私が護られる? うーん。いまいち想像できない。
「翔凰」
殿下が一つ、声をかけた。そのとき、私の視界に赤い風が横切った。否。風が赤いなんてありえない。それを証明するように「それ」は言った。
「お。あんときのひいさんじゃん? ヨロシクなー」
にかっっと笑顔の初年がさしのべてくれた手を、私はとった。思いの外強くい力で握り替えされる。
「よろ、しく……?」
疑問系になったのは、護衛されることと、この子が騎士と言うことに驚いたから。えーっと、そう。舞踏会で会った(と言っていいのかわからないが)シャンファンだ。この前と同じように、赤い服と黒いズボンを身につけていた。
「翔凰くん、自己紹介を」
ギーに促され、シャンファンは手を離した。
「俺の名前は翔凰。出身は旋って国。割と遠いんだけど、知ってる?」
「セン?」
一応頭の中のデータベースを探るが、ひっかからない。それもそのはずだ。私は学が浅い。必要最低限の知識は持っているが、国については情勢から王族の名前までちんぷんかんぷんである。首を振ってわからないと示す。
「東の方のおっきい国なんだよなあ。自然もあるし、古くて歴史もあって立派だし、飯もうまい! っま、俺、育ちはオラディアだけど。でも、最近この国にも物が出回ってきてるし、有名かと思ってたんだけど」
なにぶん、うちの国は交易経験がないもので。……卑屈になるのもこれくらいにして、私も名乗るか。
「クリス・二ア・ライティア」
そこで詰まる。他に言うことが思い当たらない。
「……わかると思うけど、ライティア育ち。……うん、それくらい、かしら」
「へー」
聞いているのかいないのかわからないような返事だ。私も人のこと言えないんだけど。
「俺あんまり頭とかよくないし、ひいさんのこと全然知らないけど、仲良くやってこーな」
「ええ」
シャンファンのことは好きになれそうだ。なんていうか、敬語を使わないで喋れる人が今まで使用人くらいだったから気が楽だ。国には年上と目上しかいないし、嫁ぎ先(まだ(仮)だけど)には知り合いいないし。
いや、でもちょっと違うな。なんていうか、お姫様しゃべりになっちゃう。ま、仕方ないか。私はそう生きるって決めたんだから。長い間それが染みついたせいで人目があれば、ミーナがいても楽に振る舞えない。
ふ、と自嘲の笑みが浮かんでしまう。王子様やギーは私より背が高いから、見えていないといいな。シャンファンはどうだろう。特に気にした様子はないからいいや。
私の感情は、自分で思っているよりもずっと顔に表れやすいと前世でずっと言われていた。だから、愛想笑いだけがめきめき上手になっていって、抑えていた分の負の部分も蓄積されているだろう。それが見えたらどうなることか。きっと、とても醜いのではないだろうか。
「……」
ん。王子が私を見ていた。舞踏会で感じた視線と、すごくよく似ている。ということはやっぱり、あれは彼から注がれていたものなのだろうか。
「どうか、しましたか?」
私の沈黙の時間はそう長くなかったはずなのだが、いささか唐突に会話が途切れてしまったかもしれない。気遣わせないようにもう少しうまく立ち回ろう。
「どうかしたか、はこちらなんですけどねぇ」
王子が黙りこくっているので、まるで代弁者のようにギーが口を開いた。なんだこの主従。
「具合が悪ければすぐに申告してくださいね。賞味期限切れの物を食べて胃が悪いのならともかく、病は可能性が不特定ですから殿下にうつりでもしたら危険です」
うわ、トゲがあるなー、と思うがどうせ私は余所者。それにギーは公爵家の子息で王子殿下の補佐官だし、警戒を怠えない立場だ。元からそういう性格であるにしろないにしろ、仕方がない。
「しかも」
まだ言うのか。私は半ば鬱陶しげにぎーを見やる。
「貴女は我が国の大切な王子妃ですからね。家臣であり、貴女の夫となる方に仕える身としては、その安全を守りぬく義務があります。どうか、遠慮なさらないよう」
「……」
無意識のうちに、瞬きの数が増えてしまったのも納得してほしい。
…ギーは、思っていたほど悪い奴ではないのかもしれない。そうであって、という勝手な願いかもだけど。
「ひいさん、俺の故郷には漢方薬ってのがあるんだけどな、それが効くんだよなぁ。ちょっと苦いけど、身体悪くしたら処方頼んでおくよ」
シャンファンは口調がラフで、態度も軽くて、とても王族の護衛というタイプには見えないが、彼は絶対悪い子じゃないだろうな。
「では、そろそろ部屋に行きましょう」
「はい」
ちょっとほっとする。ここはちょっと居心地が悪い。剣術に恐怖心を持っているわけではないが、前世で剣道に、その、トラウマ、みたいなものがあるからなんとなく苦手意識を持ってしまったようだ。
__お姉ちゃん!
鳥肌がたった。でも、耐えないと。思い出すたびにこんなんじゃ駄目だ。
……ねえ。さくこ。
貴女は今も、物語を書き続けている?
さくこ。貴女はちゃんと生きて、文章と向き合って。
願わずにはいられない。でなければ、私は何のために身体を張ったのか。だけど、さくこのことだから、全身全霊を捧げるものに出会ったらそっちに一直線になってしまうだろう。失礼な推測かもしれないけど、多分、さくこは本気じゃなかった。そこまで、好きじゃなかったんじゃないかな。じゃあ、どうしてやってたのか、って話か。わからん。我が妹ながら理解不能。
「ところで」
「何だ」
王子が壁に剣を立てかけながら返事をする。
「どうして訓練をやめようとしているんですか?」
「彼女を案内する」
王子はさも当然と言わんばかりに言う。ギーは少し不満そうだ。
「最近執務が立て込んでたるんだと仰ったのはどこの誰の口か非常に、気になるのですが」
「さて。僕にはわからないな」
なんか、ギーがかわされてる……? うーん、意外。もっと飄々としてそうなのに、どちらかと言えばお兄さん的なポジションに見えなくもない。
「行くよ」
王子殿下はすたすたと訓練場をあとにする。ついていった方がいいのか? 私はちらりとギーをうかがう。面倒そうな顔で自分の上司を見、その隣に並んだ。
私の部屋は広かった。一発で道順を覚えられるかかなり不安だったが、シャンファンが地図をくれると約束してくれたので、ひとまず安心だ。
「地図で覚えるのも構いませんが、明後日までにはなくてもいい状態でいてくださいね」
「は?」
明後日までに、この馬鹿でかい王宮内を把握しろと!?
「全ては無理でしょうから、せめてホールから自室までの道のりは頭に叩き込んでください」
何故。私の思考がダダ漏れだったのか、そう言われるのを見越してか、ギーは言った。
「明後日、未来の王子妃を歓迎するパーティーが開かれます」
おい。おいおいおい。
どんだけパーティー好きなんだよ大国。
ってか。
どんだけ金があるんだよ…………。
「使用人に道順を聞くのでは、格好がつかないでしょう? ただでさえ知名度の低いライティア出身でなめられているというのに、他の欠点を晒すのは好ましくありません」
知名度低くて悪かったな。
「なお」
ギーが浮かべた笑み。とてつもなく楽しそうだが、悪い予感だけしかしない。
「当日まで、みっちりとオラディア式のマナーレッスンがありますので、こころしてください」
わー、えげつな。シャンファンのぼそりとした呟きがばっちり耳に入る。えげつない、って何? そんなにやばい授業なの!?
「では、失礼させていただきます」
「俺は外で見張りやっとくかなー」
丁寧に礼をしたギーと腕を頭の後ろで組んだシャンファンが部屋を出て行く。後には、私とミーナ、それと王子が残った。
「……」
王子は、変わらず無言で見つめてくる。そんなに私は珍しいだろうか。地域も近いしライティアとオラディアの服には特に違いもないし、習慣も大きく違ったりはしていない、はずだ(やっぱり学が浅いので憶測だが)。私なんて国内でも少数派の髪色と年齢から考えるとちょっとばかし低めの身長くらいしか特徴はないはずなんだけど。
「えっと」
「……」
「私、殿下の顔に泥を塗らない程度には精進できるよう、努力します。よろしく、お願いします」
「……殿下はやめてほしい」
何の脈絡もなく、王子はそう言った。
「でも、「メイディオ様」だと長いし、なれなれしくないですか?」
「きみは僕に招かれてわざわざここまで来たのに、不自由を強いられている。呼称くらい好きにしてくれていいよ。それに、僕は身内にしようとしている人間に殿下と呼ばれる方が違和感がある」
そういうものなのか。じゃあ。
「王子様、はどうですか?」
「王子様?」
王子の反応はそのまんまだった。前世で言うリアクション芸人には到底及ばない感じだ。
「駄目ですか?」
ちょっとふざけすぎただろうか。でも、このくらいの距離感を作っておいた方が私は接しやすい。夫とかイメージつかないし、兄弟とも友人とも違うだろうから。だから、小さい頃に憧れを持っていた「王子様」として考えるという結論に至ったんだけど。
「駄目、じゃない。不思議だな、と」
王子様。
もう一度言ってから、王子、じゃなくて王子様は私を見据えた。
「それでいい」
王子様は、とてもクールでいらっしゃる。




