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神様だって書き換えられる 〜暗闇が「神話を殺せ」と囁き嗤う〜  作者: ヤマザキ ハルノ


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1/9

1話 暗闇が読んでいる

神に閉じられた世界、シコク。


そこでは人が神に納められ、納め損ねたものはゾンビとなって街へ戻る。


マツヤマ区画管理所の臨時職員トオルは、ある日、読んではいけない記録を読んでしまう。


そして暗闇に、印をつけられた。


 マツヤマ区画管理所の朝は、いつも紙の匂いがする。


 電子台帳への移行は何年も前から進められているはずなのに、封鎖区域課の奥には、まだ古い紙束が山のように残っていた。黄ばんだ報告書。角の潰れた地図。誰が貼ったのか分からない付箋。何度も修正され、修正されたことさえ忘れられた記録。


 トオルの仕事は、それらを一枚ずつ確認して、残すものと捨てるものに分けることだった。


 重要な仕事ではない。


 少なくとも、正規職員たちはそう思っている。


 臨時職員のトオルに回されるのは、だいたいそういう記録だった。誰も読みたがらない。けれど、捨てるには少しだけ気味が悪い。だから誰かが最後に目を通さなければならない。


 その“誰か”に、トオルはよく選ばれた。


「トオル、北側倉庫の古い封鎖台帳、午前中に見ておいて」


 隣の机から、ミオが声をかけてきた。


 ミオも臨時職員だった。トオルより少し若い。紙資料が苦手で、端末処理は速い。人の名前を呼ぶ癖がある。


「北側倉庫って、昨日も出なかったか」


「出ました。でも昨日のは西側です。今日は北側です」


「違いが分からない」


「分からないから残ってるんですよ、ああいうの」


 ミオは笑って、トオルの机に薄いファイルを置いた。


 表紙には、かすれた文字でこう書かれていた。


 旧中央地下連絡路。


 トオルは、少し眉を寄せた。


「これ、まだ残ってたのか」


「知ってるんですか?」


「名前だけ。中心街の地下にあった古い通路だろ。今は封鎖済み」


「そうらしいです。わたし、場所は知らないですけど」


 知らない。


 その言い方が普通だった。


 この区画には、そういう場所がいくつもある。地図には載っているのに誰も行かない場所。昔はあったらしいが、今は誰も詳しく覚えていない場所。封鎖された理由だけが残り、何故封鎖したのかが曖昧になった場所。


 トオルはファイルを開いた。


 最初の数枚は、普通の封鎖記録だった。


 老朽化。地盤沈下。迷入事故。夜間立入禁止。未確認の空間拡張。


 珍しくはない。


 けれど、奥のページへ進むにつれ、記録の体裁が崩れていった。


 項目名が欠けている。


 日付が途中から消えている。


 担当部署の欄に、見慣れない文字列が残っていた。


 基ー■■保全■ー


 四国ー部■■基地


 トオルは手を止めた。


 その下に、別の筆跡で短く書かれている。


 見るな。

 読むな。

 返事をするな。


 トオルはその三行を、しばらく見ていた。


 警告文にしては乱れている。

 走り書きにしては、筆圧が強い。


 誰かが焦って書いたのではない。

 恐怖に震えながら書いたような字だった。


「シノさん」


 トオルは古い紙資料の棚へ向かって声をかけた。


 棚の向こうで、老婦がゆっくり顔を上げる。


 シノは正規職員だった。年齢は分からない。誰に聞いても「昔からいる」としか返ってこない。封鎖区域台帳と紙資料の扱いについては、管理所で彼女に逆らえる者はいなかった。


「なんだい」


「この記録、見たことありますか」


 トオルはファイルを差し出した。


 シノは表紙を見て、目を細めた。


 その目が、ほんの一瞬だけ止まった。


「旧中央地下連絡路かい」


「この下の文字です。基……何かの保全? 四国の基地って読めますけど」


「知らないね」


 返事は早かった。


 早すぎた。


 シノはファイルを閉じるように、表紙を軽く叩いた。


「古い台帳には、そういうのが混じるんだよ。部署名も、施設名も、今と合わない。読めないものは読まない。臨時の仕事は、無理に解くことじゃない」


「でも、警告みたいな追記があります」


「なら、なおさらだ」


 シノはトオルを見た。


「見るな、読むなって書いてあるものを、わざわざ読むんじゃないよ」


「それ、仕事としてはだいぶ無理があります」


「仕事より大事なこともある」


 そう言って、シノはファイルをトオルに返した。


 それ以上は何も言わなかった。


 知らない、という顔ではなかった。


 思い出したくない、という顔だった。


 昼を過ぎる頃には、その記録は端末上から消えかけていた。


 トオルが紙台帳と照合しようとすると、施設番号の一部が空欄になる。再読み込みをしても戻らない。地図データを開くと、中心街の地下構造図に、不自然な余白があった。


 そこに何かがあったはずなのに、地図の方がそれを表記できない。


 そういう消え方だった。


 トオルは画面を閉じた。


 こういう記録は、放っておくと消える。


 消えた後は、最初からなかったことになる。


 誰かが困るわけではない。

 誰かが怒るわけでもない。

 ただ、そこに何かがあったという事実だけが、きれいに片づけられる。


 トオルはそれが嫌いだった。


 勤務後、トオルは中心街へ向かった。


 夕方の中心街は、まだ人が多い。商業棟の明かり、帰宅する職員、閉鎖線の黄色い標識。日常は、壊れた世界の上にも平気で積もっていく。


 旧中央地下連絡路の入口は、中央封鎖区にある商店街手前古い階段の先にあった。


 地上から見ると、ただの封鎖シャッターだった。横には案内板の跡がある。施設名は剥がされている。下半分だけ残った矢印が、地下へ向いていた。


 封鎖は厳重ではなかった。


 厳重にする必要がないのだろう。

 誰もここを覚えていないのだから。


 トオルは管理所の簡易端末をかざした。反応はない。

 次に、紙台帳に挟まっていた古い解除札を試す。


 シャッターが、低い音を立てて開いた。


 地下は暗かった。


 非常灯は点いている。けれど、その光は通路全体を照らしていなかった。壁のタイルは湿り、古い広告の跡が黒く浮いている。地下なのに、遠くで紙をめくるような音がした。


 トオルは携帯しているライトをつけた。


 通路は、記憶していたより長かった。


 いや、トオルにこの通路の記憶はない。

 それでも、長すぎると思った。


 途中で、案内板があった。


 出口名は剥がれている。だが、その下に別の文字が浮き上がっていた。


 『我々は何をしたのか』


 トオルは息を殺した。


 さらに奥へ進むと、通路の空気が変わった。


 商業施設の地下ではない。駅でもない。避難路でもない。壁が厚くなり、天井が低くなり、床には細い溝が走っている。排水溝に見えたが、水は流れていない。


 突き当たりに、隔壁があった。


 古い金属扉。

 ひび割れた銘板。


 ライトを当てる。


 文字が見えた。


 基底■実保■機構

 ■国支部■■基地

 記■保持優■


 その下に、刃物で削ったような文字が刻まれている。


 見る■。

 読■な。

 ■■を■るな。


 トオルは、喉の奥が乾くのを感じた。


 帰るべきだ。


 シノの声が頭に浮かんだ。


 読めないものは読むな。


 けれど、ここまで来て帰れば、この記録は消える。

 この場所が何だったのか、誰も知らないまま終わる。


 トオルは扉に手をかけた。


 鍵はかかっていなかった。


 中は、記録室だった。


 棚は倒れ、書類は床に散らばっている。端末は黒く焼けている。壁には古いモニタが並んでいたが、どれも消えていた。


 部屋の中央に、机があった。


 その上に、一枚の紙が置かれている。


 紙は古い。だが、妙に綺麗だった。

 黄ばみも破れも少ない。そこだけ時間が避けたように残っている。


 手書きだった。


 震えた文字。

 急いだ文字ではない。

 最後まで書かなければならないと分かっていた者の文字。


 トオルは紙を持ち上げた。


 最初の数行は、ほとんど読めなかった。

 文字が欠け、ところどころ黒く抜け落ちている。


 読めたのは、断片だけだった。


 我々は、記録した。


 名を与えた。


 忘れられるはずのものを、保存してしまった。


 世界は避難所として改稿された。


 正常だった世界は、すでに敗北している。


 トオルは意味を理解できなかった。


 けれど、最後の一文だけは、はっきり読めた。


 これを読む者がいるなら。


 君はもう、読まれている。


 その瞬間、部屋の中で音がした。


 ぶつり。


 壁のモニタが一台、点いた。


 次に二台。

 三台。

 割れていた画面まで、順番に白く光る。


 全部の画面に、同じものが映っていた。


 目だった。


 人の目に見えた。

 けれど、瞬きの間隔が人間ではない。


 トオルは後ずさった。


 すべての目が、同時に動いた。

 すべてが、トオルを見た。


 モニタの一つに、文字が滲む。


 【見つけた】


 次の画面に、続きが出る。


 【まだ壊れてない】


 別の画面。


 【よかった】


 トオルは声を出せなかった。


 目は瞬きをする。

 そのたびに、部屋が少し暗くなる。


 トオルの手の中で、紙が冷たくなる。


 逃げようとした。

 だが、足が動かない。


 画面の目が、笑ったように細くなった。


 【もう、閉じないで】


 紙の余白に、最後の文字が浮かぶ。


 【次も読めるように印をつけるね】


 右手首が、氷のように冷えた。


 何かが巻きつく感覚があった。


 それは痛みではない。

 名前を書かれるような、嫌な感覚だった。


 トオルは息を吸った。


 返事をしてはいけない。


 本能がそう思った。


 けれど、返事をしたかどうかを確かめる前に、意識は暗闇へ落ちた。


お読みいただきありがとうございます。


この世界では、神様は救いではなく災害に近いものです。

トオルが読んでしまった記録、そして彼を見つけた暗闇。

ここから少しずつ、シコクという閉じた世界の輪郭を出していきます。


続きが気になったら、ぜひフォローやコメントをいただけると励みになります。

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