第一章 エピローグ 下
主人公でも第三者視点でもない視点ですが、今話だけで他の話ではあまりこの視点は使わないと思います。
第一章 エピローグ 下
サイド 小鳥遊美由
『大丈夫、貴方は私が守るから』
電子上に浮かぶ、黒髪の女性が日本語でそう告げる。
墨を垂らした様な黒髪に、ワインレッドの瞳。磁器を彷彿とさせる肌は、見惚れてしまう程美しい。
電気信号を送れば、再び彼女はその薄い唇から言葉を紡ぐ。
『大丈夫、貴方は私が守るから』
それは、彼女本来の声ではない。『本物』の音声データは、残されていないのだから。
いや、そもそも───。
ノックの音に、思考を中断する。意識を電脳空間から戻し、機体へのリンクを完全なものにした。
コックピットの内部カメラを起動。開かれたハッチの先に、ドレッドヘアの黒人女性がいた。
「Tちゃん。またゲームしてたの?」
『班長。整備が終わったのですか?』
ジェニファー・ローレンス。まだ25歳だが、10年間軍で整備士を務めている。
信用できる、メカニックであった。
「勿論!万全の状態だよ。……現状、用意できる部品ではね」
『そうですか。感謝します』
「……Tちゃん」
工具箱を閉じ、彼女は自分の『本体』に視線を向ける。
シート下に置かれた容器の中にある、脳みそを。
「今回の作戦、かなり大規模なものだよ」
『ええ。班長を含め、後方の人員まで連れた地下施設防衛作戦だと聞いています』
「……それだけ、危険って事じゃない?」
『はい。ですが、必要な事です』
「……そうだね」
彼女は帽子をかぶり直した後、ぽつぽつと語り出した。
「……この前、子供が生まれたんだ。元気な男の子」
『ああ、そう言えばそうでしたね。おめでとうございます』
「ありがとう。……だから、じゃないし。今更過ぎるけど」
工具箱の上で、班長が拳を強く握る。
「Tちゃん。貴女は───」
『班長』
自分は他人の心の動きに鈍いと、この人から何度も言われている。
しかし、それでも察する事が出来た。
『私は、NO.T300です。合衆国対霊部隊所属の、機械兵です』
「っ……!」
『力なき人の為に、この鋼の体で戦う覚悟を決めています。命令以外での撤退、及び戦線からの離脱は致しません』
彼女が、善意で何かを言おうとしていたのは分かっている。この会話の音声ログは残さない。
だが、意思は示す。
「……ごめん。Tちゃん」
『謝罪するのなら、きちんとT300と呼んで頂きたいのですが……』
「やだよ。じゃあ君も、ジェニファーお姉さんって呼んでくれなきゃ」
『……考慮はします』
「ははは!私も、君の本名を呼べる日の事を考えておくよ」
ひらひらと手を振りながら、彼女はコックピットハッチを閉じる。
機械兵が本名を取り戻すのは、人間の体に戻ってからだ。そう、決められている。
しかし、その前例は『書類上』にしかない。
……関係のない事だ。
10年戦い抜けば、その功績を持って人間の体に戻してもらえるという。だが、その先も自分の生き方は決まっていた。
他の誰でもない、私がそう決めている。
チェックマニュアルに従い、各機能を確認。問題なし。班長の誘導に従い、機械兵の待機所を出る。
錆びついた鉄の扉を開けた先に、男性軍人が立っていた。
厳めしい顔に、無精ひげ。鍛え上げられたその肉体は、もはや軍隊では珍しい。
サンダース軍曹。自分の、上官である。
『お待たせしました、軍曹』
脳波を使い、スピーカーから声を出しながら敬礼をした。
敬礼で答えた後、彼は眉間に深い皺を作ったまま口を開く。
「待ってはいない、『T300』。まだ時間には余裕がある」
軍曹はチラリと腕時計を確認した後、こちらに視線を戻した。
「……今回は、新人の機械兵も多く参加する。出撃前に、お前から何か言ってやれ」
『はっ。しかし、何かとは、何を?』
「……どうすれば生き残れるだとか、生き残って何がしたいかとかだ」
『わかりました』
後ろで腕を組みながら、少し考える。
さて、どういう話をすべきか。出撃までそれほど時間はない。即興で何かを語るのは、得意ではないのだが。
しかし、上官にやれと言われたのなら、不可能な事以外は『サー』で答えるのが基本である。
頭を悩ませていると、軍曹が妙に小さな声で質問してきた。
「『T300』……お前は、今年で何年目だ」
『はっ。8年目になります』
即座に答えたのだが、何か不備があったのだろうか?
こちらを見る彼の目が、一瞬歪んだ気がする。
「……そうか。そうだな。お前は、8年も……」
『はい。ここまで生き延びる事が出来たのも、軍曹にご指導いただいたおかげです』
サンダース軍曹は、機械兵の訓練施設の教官だった。3年前から、再び前線で銃を手に戦っている。
「……そうか」
力なく答える姿は、訓練施設で恐れられた姿とも、勇猛果敢に戦う昨日までの姿ともかけ離れていた。
どうしたのかと、内心で首を傾げる。それを察したとでも言うのか、軍曹は再び眉間に皺を寄せた。
そして、小さく深呼吸し。
「……なあ、『T300』。お前は───」
彼が何かを言いかけた瞬間、遠くから声が聞こえて来た。
「ああああああ!嫌だ!嫌だ!ママぁああ!」
「おい、落ち着け!」
「こいつを取り押さえろ!」
1人の少年を、複数の兵士達が押さえつけている。
そばかすのある顔を涙と鼻水でぐちゃぐちゃにした少年が、その状態でも必死に逃げようとしていた。
歳の頃は……18は、確実に下回っているだろう。
「いやだぁ……!やっぱり俺には無理だぁ……!」
「ふざけんな、今更!」
「逃亡兵は銃殺だぞ!」
取り押さえている兵士が、小銃を構える。
だが、その銃口をサンダース軍曹が下ろさせた。
「やめろ。対霊弾を無駄遣いする気か」
「はっ!いえ、その……」
「どいていろ」
「はっ!」
兵士達をどかし、泣いている少年の前に軍曹が片膝をつく。
彼の両肩をガッシリと掴み、軍曹は視線を合わせた。
「俺の目を見ろ。おい、目を逸らすな。よく見るんだ」
「ひっぐ……ううう……!」
「それで良い。これから、ゆっくりと10秒数える。それに合わせて、お前も数えるんだ」
「……あ゛い゛」
「10、9、8……」
10秒数える頃には、少年の呼吸は正常なものへと戻っていた。
「……数え終わったな」
「……はい。申し訳ありません、軍曹殿」
まだ鼻水を垂らしている彼に、軍曹は真剣な面持ちで言葉を続ける。
「お前は徴兵された兵士だったな。訓練期間は」
「3日です、軍曹殿」
「……そうか」
自分の時は、2週間だった。
随分と短くなったものだと、少し驚く。
整備士達も見慣れない顔や、妙に古い機械が多かった。それだけ、戦線は厳しいのだろう。
普段から全力ではあるが、今回はより一層、励まねば。
「戦場では、兎に角俺の言う事を聞け。そうすれば、運が良ければ生き残れる」
「はい……」
「言う事を聞かなければ、運の良し悪しに関係なく死ぬと思え」
光のない、軍曹の焦げ茶色の瞳が少年を射抜いた。
「俺に、これを使わせるなよ」
彼が軽く指で叩いたのは、腰のホルスター。そこに納められているのは、リボルバー拳銃である。
対霊弾でも、拳銃の口径では大半の魔物に有効打を与えられない。兵士の基本装備から、ハンドガンはとっくになくなっている。
だが、人間の強度は今も昔も変わっていない。非異能者は、と注意書きがつくが。
「ひっ……!」
引きつった声を、少年が出した。勘が良い。長生き出来るかもしれない兵士だ。
なんせ、これは脅しではない。警告である。
軍曹はこれまでに16人、狂乱した兵士や魔物に乗っ取られた兵士を射殺している。正確に、眉間を一発で。
「わかったのなら、持ち場に戻れ」
「は、はぃい……!」
「返事はサーだ」
「さ、サーイエッサー!」
周囲の兵士達に連れられて、少年が歩いていく。
軍曹以外で、筋骨隆々とした体躯の者は少ない。栄養が足りていないのだろう。軍隊に入れば、一応飢え死にはしないはずだが。
一見マッチョに見える軍曹も、体に幾つもの改造を施した結果だと聞く。寿命を削る類の手術だと聞いた。
まあ、明日生きているかも分からない仕事である。10年20年寿命が減った所で、あまり関係ない。
……関係ない、はずだ。
少しだけ浮かんだ嫌な感情を、押し込む。それは、機械兵に不要なものだ。
「……『T300』。その、話の続きだが」
『はっ』
姿勢を正し、彼の言葉を待つ。
軍曹は珍しい事に数秒程視線を彷徨わせた後、意を決した様に告げた。
「この作戦が終わったら……俺の、養子にならないか?」
『……?』
意味が上手く理解できず、咄嗟に返事が出来なかった。
『申し訳ありません。どういう事でしょうか?』
「……お前は、本来ならまだ15歳の子供だ」
『はい。確かに15歳です。しかし、15歳は成人です』
「だが、まだガキだ。それを、お前は……」
『軍曹殿』
何となく、彼の心が読めた。
そして、その理由も。
『私は、亡くなられたお孫さんの代わりにはなれません』
上官相手でも、不可能な事は不可能と言わねばならない。
それが、自分の役目である。
一瞬だけ軍曹は目を見開いた後、いつもの兵士の顔に戻った。
「……すまん、『T300』。今の会話は忘れてくれ」
『サーイエッサー』
「それと」
軍曹が、こちらに背中を向ける。
「ジョセフの、俺の孫の代わりにするつもりはない。お前とは、もう親子の様なものだと思っている。それは、事実だ」
『……サーイエッサー』
たぶん、本当にそう思っているのだろう。
この人は、厳しいが優しい人だ。優し過ぎる人だ。およそ、戦場には向いていない類の人物である。
だからこそ、生きて帰らねばならない。サンダース軍曹も、ジェニファー班長も。
自分とは、違うのだから。
* * *
そう。覚悟はあった。決意していた。
しかし、悲しきかな。
私は、ただの一兵卒に過ぎない。2年生き残ればエースと言われる機械兵の中で多少長生きしたとしても、たった1人で戦況を引っ繰り返す事は出来ないのだ。
「あああああああああ!?」
「くそ!くそ!来るなぁ!」
あちこちで、連携も取れずに兵士達が迫りくる『ゾンビ』に銃を乱射している。噂に聞く、21世紀の映画みたいだ。
50年前の地下通路を改造して建てられた、重要施設の防衛作戦。中将が直々に指揮をとる、大規模作戦であった。
しかし、それが上手くいっていたのは3日目まで。
4日目。後方で突如爆発が起き、後方要員が全滅。彼らがゾンビとなり、味方を攻撃。
同時に地下道を通って別方向からもゾンビが押し寄せた為、混乱した部隊は碌な抵抗も出来ずに物量で押しつぶされつつある。
この流れを引っ繰り返す事は、出来ない。
『がぁああ!離れろ!離れろぉ!』
『待て!トリガーから指を、うわあああ!?』
大量のゾンビに取り付かれた機械兵が銃を乱射し、味方に被害を出している。
その銃が弾切れになるのと、その機体のコックピットが食い破られたのはほど同時だった。
あちこちから飛来する弾丸を避けながら、転がっている別の機械兵の銃を左手で掴む。
左右に銃を持ち、ひたすら動き回りながらゾンビを、魔物を撃った。
機械兵の使うサブマシンガンは、元は人間用の重機関銃を改造した物。人間と変わらない強度のゾンビは、1発でも当たればミンチになる。
だが、そうでないものもいた。
『ヴォォォオオッ!』
大型ゾンビ。その身長は、ケニングと大差ない。
ツギハギだらけの腕で、体格に見合った鉈を振り回す。技量など皆無だが、非常にタフだ。
普通に撃っていては、ワンマガジン使い切っても仕留めきれない。距離を詰める。
脚部ローラーを最大出力で回転。左右へのフェイントを挟み、接近。振り下ろしに合わせ、側面へと滑り込んだ。
銃口を相手のこめかみに突きつけ、引き金を絞る。大型ゾンビの頭部を砕きながら、センサーを確認しつつ後退。
死に際に大声を上げながら振り回される鉈を屈んで避けながら、方向転換。もう片方の銃を地面と水平にしながら、回転しつつトリガーを絞る。
既に、あちら側に友軍の生存者はいない。銃口から吐き出された弾丸が、血煙を作り出した。
止まるな。動き続けろ。
『S』字を描くように後退したのと同時に、新たな大型ゾンビが跳躍し、自分の眼前に現れた。その数は、3体。
まるで囲む様に動くそれらから、機動力で逃れつつ応戦。隙を伺う。
知能も低ければ仲間意識もないゾンビが、連携していた。有り得ない。となれば。
『軍曹。敵の指揮官がいるはずです。それを討たねば、我々は壊滅します』
通信機にそう呼びかけるも、反応はない。
2回、繰り返し通信を送る。しかし、結果は変わらなかった。
『ヴォオオオオオオ!』
『……うるさい』
スピーカーから、勝手に自分の声が漏れ出る。
それを反省するより先に、振り下ろされた鉈を紙一重で回避。相手の肘と肩を蹴りつけて飛び上がり、空中で上下逆転の姿勢をとる。
二丁のサブマシンガンを大型ゾンビの頭部に突きつけ、発砲。着地する頃には、ミンチが完成していた。
足裏が地面につくと同時に、全力でローラーを動かす。横薙ぎの斬撃を放とうとしていた大型ゾンビの懐へ跳び込み、体当たりをしながら銃口を喉へ押し付けた。
肉を抉りながら、引き金を絞る。首が引きちぎれるのと、マガジンが空になったのが同時だった。
すぐさまグリップから手を離せば、もう1体が鉈を振り下ろしてくる。仲間の腕を斬り落としたのを気にした様子もなく、その個体は返す刀でこちらを狙ってきた。
機体を屈ませて避けながら、今しがた落とされた腕が握っていた鉈を掴む。
重い。だが、使える。
無茶苦茶な斬撃を避け、お返しに頭へ鉈を叩き込んだ。出力不足で仕留めきれなかったが、弾丸を追加してやれば大人しくなる。
空になったマガジンを弾く様に、次のマガジンを装填。メインモニターを巡らせながら、センサーに意識を向けた。
そして、巨大な魔力が接近している事に気づく。
『っ……!』
迫るゾンビ達を蹴散らしながら、壁面へ走る。
ローラーを止めながら、慣性に従い前へ飛んでいく機体を捻って足裏から衝突。膝を使って衝撃を逃がしながら、再びモーターを全力で回転させた。
壁を走り、落下する前に再び跳躍。ゾンビの群れを轢き潰し、銃を構える。
『そこか……!』
奴は、まるで散歩でもしているかの様に、平然と進んでいた。
現代では士官でも持っていないだろう上等な服を纏い、マントを肩に羽織っている。
大昔から語られる吸血鬼の衣装を纏った、一見初老の男。そいつは、ゾンビ達が担ぐ台座の上で、革張りの椅子に腰かけて移動していた。
データ照合、完了。ダンピール、レイモンド・ヴァレンタイン……!
即座に発砲するも、立ちはだかる数体の大型ゾンビに阻まれた。他のゾンビに囲まれそうになり、後退する。
『ちっ……!軍曹、敵指揮官を発見!ダンピールです!軍曹!』
センサーに映る敵の数に、存在しない眉が寄せられる。
大型ゾンビ、30体。通常ゾンビ、500体以上。
『軍曹!私が仕留めます!残存戦力を纏め、奴に……!』
友軍の反応が、ない。
眼前に作られた死肉の壁の中に、見知った顔を2つ、発見する。
『……『T300』。戦闘を続行します』
答える者のいない無線にそう告げた後。
銃を、構えた。
* * *
『繰り返す……ザッ……地下施設を、放……ザザッ……地下ブロックを閉鎖。残存……』
途切れ途切れに聞こえる通信は、上層部が流しているのだろう。
自機のアンテナが壊れたか、それとも発信元に問題があるのか。あるいは、対霊処置が済んだ無線機にも影響を出す、大規模な魔力の流れか。
何にせよ、関係ない。自分は、どの道助からないだろう。
武装と共に、右腕がロスト。それ以外の箇所も、損傷が酷い。継戦は不可能。エネルギーも残り僅かであり、生命維持装置も停止しかけていた。
だからこそ、役目を果たす。
この先に、ダンピールがいるはずだ。奴に突撃をし、自爆する。運が良ければ、心臓にダメージを入れられるだろう。
そうすれば、『次』に繋げられる。
自分ではない。誰かが、きっとあの魔物を討ってくれる。
『彼』が繋げたバトンを、残すのだ。自分の後に続く、誰かに。
貴重な異能者の中でも、最上位の存在。それが、極東の港で非異能者の一般人達を逃す為に命を燃やした。
それに、報いる。絶対に。
暗い地下通路を抜け、開けた空間に出る。敵を捕捉次第、突撃を───。
「ぱんぱかぱーん!ゴォォル!」
間の抜けた声と共に、複数の炸裂音。発砲かと思ったが、少し遅れてパーティーグッズだと気づく。
そこには、1人の女がいた。いいや、1人と、形容すべきかは謎である。
この死と鉄と、硝煙の香る場所で、彼女はミニスカートのナース服に、白衣を纏っていた。妙にボディラインが出ており、豊満な胸の形やその下のくびれが強調されている。
コスプレ用と思しきナース服の上から白衣を着た彼女の傍に、1体の怪物が転がっていた。
「あっ……ぁぁ……」
手足を捥がれ、虫の標本の様に心臓を槍で貫かれたダンピール。自分が追っていた存在が、血を吐きながらうめき声をあげていた。
謎の女性が指を鳴らすと、黒い槍からムチで地面を叩いた様な音がする。瞬間、雷光が瞬きダンピールは灰になった。
あまりにも、あっさりとした最期。無傷で立つ女性に、最大限の警戒を向ける。
『貴女は、何者ですか?』
「私?私はデミウルゴス!気軽にデミちゃんって呼んでね!」
目の辺りで横ピースをする女性を視界に入れながら、周囲を確認。
……武器になる物は何もない。突撃しても、自爆に巻き込める可能性は低いか。
「物騒な事を考えているねー?ま、それも当然か」
胸の下で腕を組み、うんうんと頷いた後。彼女は再び指を鳴らす。
すると、女性……デミちゃん氏の隣に、謎のリングが現れた。その大きさは、ケニングが通れる程もある。
「悪いんだけど、こっちにも説明している暇はなくってね!だから、君の質問も受け付けない!」
眼帯に覆われた左目。剥き出しの右目。
その両方から、血の涙が流れ出す。
だというのに、デミちゃん氏は楽しそうな笑みを浮かべていた。
「君には、100年前の日本に行ってもらう!」
……何を、言っているんだ?
撤退は、出来ない。そして相手の正体も分からない。困惑し動けないでいる自分に、彼女は続ける。
「過去の世界だけど、同時に並行世界だ。そこで君が何をしたとしても、この世界に、この時代に、影響は与えない」
歌う様に語る彼女へ、問いかける。
『……私に、何をさせたいのですか』
「質問に答える暇はないって言ったよね?でも、答えちゃう!」
大仰に、デミちゃん氏は両手をこちらに向けた。
「君に期待する事は───ない!」
キッパリと、そう断言する。
「好きにしなさい!ぶっちゃけ、君ってガチのマジで雑魚だからね!才能がゴミ!でも、私の力でガチのゴミから、ギリ食べられる生ゴミにはしてあげよう!」
意味が分からない。自分が弱い事は、重々承知しているが……。
「ついでに、脳みそだけじゃ不便だろうからね!治癒魔法で体を再生してあげよう!見た目やスタイルには手を加えないから、美人である事を祈りたまえ!ああ、でもサービスで住む家とお金はあげよう!『向こうの私』がね!あちらについたら、コックピットを確認すると良いよ!」
『……もう一度問います。貴女は、何者ですか……!』
「答えない!本当に余裕がないからね!」
ごぼり、と。彼女の口から血の塊がこぼれる。
口元を赤く汚しながら、デミちゃん氏は爛々とした右目でこちらを見つめた。
「さあさあさあ!選択の時だ!そのまま無意味に死ぬか!怪しいお姉さんの口車に乗るか!チクタクチクタク!針は進んでいるよ!」
……その言葉は、正しい。
彼女の事情は知らないが、自分も後数分で死ぬ。生命維持装置が、既に止まりかけていた。
であれば、合理的に考えて。
『わかりました。そこに跳び込めば良いのですね?』
「───その質問には答えよう。YESだ」
『了解』
ローラーを動かし、謎のリングへと向かう。
その際、デミちゃん氏の声が聞こえた。
「行きなさい。最新にして、最弱のワルキューレ。ヴァルハラはもうないけれど、君の魂が良い輝きを見せる事を祈っているよ」
『……?』
言葉の意味を、問う暇はなく。
気が付けば、見知らぬ場所にいた。
いつの間にかある、自分の両腕。慣れないそれで、操縦桿を動かす。
メインカメラに映るのは、日本語の表札に、数十年前になくなった『コンビニ』という建物。
そして。
「伝説の……スーパードスケベ人……!?」
憧れの英雄が、目を細めて自分を見ていた。
読んでいただきありがとうございます。
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