14
太い閂が三人がかりで外され、大聖堂の大扉がゆっくりと開いた。心なしかひんやりとした空気が流れ出てきて、嫌でも厳かな気分にさせられる。中は当然無人で、まだ昼間なのに真っ暗だった。おそらく明かり取りの小窓もみな厳重に閉じられていたのだろう。
やがてその小窓のひとつの覆いが払われ、ひと筋の陽光が射し込んでくる。その光は反対側の壁を照らし出し、反射が大聖堂内部の様子を浮かび上がらせた。半球形の高い天井に、堂のサイズには不釣り合いに大きな祭壇。そしてその前に、青銅色の竜が横たえられていた。
どうやらまだ亡骸は消えてなくなってはいなかったようで、まずはひと安心だ。それをもう少し近くで見ようと、わたしは聖堂内部に歩を進めようとする。しかしそのとき、やんわりと肩を掴まれた。
「貴女が何をしようとしているのか、わたしにはまだわからない」
辺境伯ルイだった。その後ろには依然として護衛の騎士たちが従っていて、誰もが帯刀している。こちらはわたしはもちろん、マリーもアンジュも丸腰だった。本気で制止しようと思えば容易いだろう。
「ただひとつだけ言わせて貰えば、私に対する意趣返しであればあくまで私個人にして欲しい。償いであれば、できる限りのことをさせてもらうつもりだ」
「もとよりそのつもりですよ、閣下」
結局のところ、彼がわたしを疑う理由は後ろめたさだ。一方的な婚約破棄でわたし、ヴァイオレット・ディ・グレインディールの名誉と心を傷つけたと負い目を感じている。わたしには、その意趣返しにこの地の竜を殺す理由があると思っている。
「もしも閣下に思うところがあるのなら、閣下に直接ぶつけます。わたしも回りくどいことは嫌いですので。しかし先日の件は、別に怒っても恨んでもいません。閣下にも何か理由がおありなのでしょう?」
その言葉に嘘はない。気に食わないことがあるのならこの辺境伯を直接ぶっ飛ばすだけだが、今のところその理由もない。それに正直なところその後の竜の一件が興味深すぎて、婚約破棄のことなどすっかり忘れていた。
「そうか、わかった。なら好きにすればいい。ただし、監視はさせてもらう」
「はい。もしもわたしが知らずにまずいことをしそうになったら、止めてくださいね」
そうして、今度こそブガッティの亡骸のそばへと歩み寄った。その青銅色の鱗のような外皮は相変わらず艶やかで、わずかな光の下で見てもやっぱり美しかった。
横たわる彼の身体の周りをぐるりと一周。そしてしゃがみ込んで、翼の下も覗き込む。かなり高いところから落下したはずなのに、外傷はほとんど見られなかった。矢でも剣でも傷つけることができないと言われるだけあって、やはり相当に頑丈な身体をしているのだろう。
しかしだからと言って、落下の衝撃が死因ではなかったと決めつけるのは早計だった。たとえ外皮は無傷でも、内臓に損傷がなかったとは限らないからだ。むしろ外殻が損傷することで衝撃を吸収しなかったことで、ダメージがすべて内臓に向かったとも考えられる。
しかしそれを確かめるには、ちゃんと司法解剖を行う必要がある。しかしこの外皮を切り開ける刃物がないのではどうしようもなかった。見たところ吐血も下血もない。内臓に損傷があったとしても、大量の出血を伴うようなものではないとあたりをつけるので精一杯だ。
「触れてみてもよろしいですか?」
尋ねると、ルイはほんの一拍ほど思案してから頷いた。
「構わない。だが我々が見ていることは忘れないでほしい」
つまりしっかり監視しているからおかしなことはするなということだ。実際、不審な動きを見せればすぐさま全員でわたしを取り押さえにかかるのだろう。
もちろん、それならそれで構わない。別に何かおかしなことをするつもりもないからだ。わたしは横たわるブガッティにもう一歩歩み寄り、あの時と同じようにその外皮に掌をあてた。
その巨大で鱗のような外皮は、やはり硬さと同時に不思議な弾力を感じさせた。金属ではなく、確かに生物であると思わせる感触。触れた瞬間は冷たくても、やがてじんわりと熱が伝わってくる。けれど、鼓動のような振動はまったく伝わってこない。
もう一度ルイと護衛の騎士たちをちらりと見てから、わたしは竜にそっと身を寄せた。そして耳をあて、鼓動が聞こえないかを確かめる。そのくらいは許容範囲だったのだろう。騎士たちは怪訝な顔をしながらも動かなかった。
「何か聞こえるか?」
「いえ……何も」
「だろうな。これで納得しただろう?」
それはどうだろう。単にこの硬い外皮越しには聞き取れないだけかもしれない。そもそも生きている竜なら外皮越しに鼓動が聞こえるものなのか、確かめてもいないのだ。
しかし生きている竜の鼓動が聞き取れるものなのか、確かめることなどできるだろうか。ブガッティはあのとき触れさせてくれたが、あんなに協力的な竜は滅多にいないとも言っていた。それでは触れるだけでなく鼓動を聞かせてくれる竜など、はたしているのかどうか。まあ望み薄だろう。
そんなことを考えていると、ふと奇妙なものが目に入った。竜の亡骸から身を離しかけた一瞬、青銅色の外皮がわずかな光を反射したそのとき、紋様のようなものが見えた気がした。そうしてあらためて目を近付けて、瞼を眇めながら斜に眺める。わずかな反射光が、ちょうど目に入ってくる角度で。すると確かに、竜の外皮に細かな紋様が一面描かれていることがわかった。
「閣下、こちらに来ていただけますか」
「何かわかったことでもあるのか?」
「それはどうでしょう……ともあれ、これをご覧ください」
どこか訝しげな表情のまま、それでもルイはこちらに歩み寄ってきた。そうしてわたしは場所を空け、同じように斜に外皮を見るように促す。
「どうですか。ご覧になれますか?」
「何がだ?」
「紋様のようなものが見えませんか。かなり細かいですが、びっしりと」
わたしの言葉に、ルイはしばらく必死で目を凝らしていた。瞼を開いたり眇めたり、あるいは色々角度を変えてみたり。それでも彼には何も見えなかったようで、やがて諦めたように首を振った。
「駄目だな。貴女が何のことを言っているのか私にはわからない」
「そうですか……」
とは答えたが、別に落胆はなかった。むしろ予想していた答えであり、おかげで確信が持てた。この紋様はわたしには見えるが彼には見えない。つまり、魔術に関わるものだということだ。
竜の外皮には、何かの魔術が施されている。おそらくはその身を強化するものだろう。矢も剣も歯が立たず、こうなった今も解剖すらできないのはそのためだ。
辺境伯ルイは釈然としない顔をしながら、また護衛の騎士たちのいるほうへと戻って行く。わたしもひとまず見るものは見たので、それについて行った。
「もういいのか?」
「はい。今見られるものはこのくらいかと思いますので」
そうしてまた竜のほうへと向き直り、その大きな身体を見渡した。
「しかしこうして見ると、やっぱりただ眠っているだけのようにも思えてきますね。騎士ローエの言う通り、ブガッティはまだ死んではいないようにも」
「……そうだな」
と、ルイも頷いた。
「だが竜は睡眠をとらない。だからこんな状態の竜を見たことがない……よって、死んでいると見なすしかないな」
なるほど、竜の生態がまたひとつわかった。わたしが元いた世界にも、睡眠をとらない生物は多くいた。水中で暮らすイルカやクジラなどもそうだ。
睡眠とは、恐竜などの捕食対象であった小型哺乳類が、隠れて過ごす日中にエネルギー消費を減らすために生み出した習性。先日あの白い世界で『わたし』が言っていたことを思い出す。つまり睡眠など弱者の習性であり、捕食者のいない強者の竜には必要ないということか。
「睡眠をとらないはずの竜がこの状態ということは、すなわち死んでいると」
「そうだ。そう考えるしかない」
その間、水も食料も口にしないのだ。であれば生命活動を維持するのは難しい。ならばそう判断するのが妥当だろう。
「そういえば……閣下、竜とは何を食べるのですか?」
ルイはいきなり何だと言わんばかりに顔をしかめた。
「どうした、急に?」
「ですから、竜の主食です。草食ですか、肉食ですか。騎士団では、竜をどのようにして飼育しているのですか?」
「竜が、何を食べるかだって?」
辺境伯はさも意外そうに目を見開いた。わたしはそんなにおかしなことを尋ねただろうか。
「はい。竜の世話をするにしても、大事なことでは?」
「貴女は、本当に竜について何も知らないのだな……竜が、何かを食べているところなど見たこともない。竜に食事など必要ないのだ」
「食事が、必要ない?」
そんなことはありえなかった。睡眠をとらないだけならともかく、生物である限りエネルギーの補給は必ずしなければならない。では、わたしたちに「食事」とみなされない形でそれを行なっているのか。しかしどうやって。
「古の文書では、竜は大気中の魔力を摂取していると書かれています。とはいえ、わたしたちにはその魔力というものを知覚することもできませんので、果たして事実かどうかは……」
ルイの後ろに控えていた司祭が、おずおずと進み出てきて言った。おそらく彼も魔術は見たこともないのだろう。それなら、魔力の存在に半信半疑なのも無理はない。
だが、魔力を摂取して生きる生物などというのはわたしも信じ難かった。確かにこの世界には魔力というものがあって、それを魔術という形で様々な現象に変えることはできる。しかし食物や水のように、それで生命を維持できるようなものなのか。
けれどもしそれが真実であるなら、竜とはいったい何なのか。どのような存在なのか。そう考えを巡らせたところで、ふとひとつの仮説が浮かんだ。同時に、癒えたはずの二の腕の傷がチリリとひりつくように痛んだ。そうだ。そんな存在を、わたしは知っている。




