13
病室をあとにしてしばらく、ルイ辺境伯はひと言も発しなかった。じっと口を噤んだまま、眉根を寄せて何か思索にふけっている。長く続く石敷きの廊下に、わたしたちの足音だけが響いていた。その沈黙に耐えかねて、わたしは彼に尋ねた。
「騎士ローエの言っていたこと、閣下にもおわかりになるのですか?」
辺境伯はその問いに、驚いたように足を止めて顔を上げた。まるでそのときになってようやく、わたしの存在を思い出したかのように。
「わかるとは、何を?」
「ですから、彼の言っていた『竜と繋がっている感覚』というものです。閣下も、ご自分の竜をお持ちなのでしょう?」
おそらくそれは、竜とともに生きるトゥドールの民にしかわからないもの。わたしには想像することすらできない。だがこの辺境伯ならば、同じものを感じているかもしれない。そう思っての問いだったが、彼は渋い顔で首を振るだけだった。
「申し訳ないが……」
「ルイさまには、そういったものはないでしょう」
それまで押し黙っていたマリーが、彼の言葉を遮るように割って入ってきた。
「マリー?」
「お嬢さま……この人にとってはですね、竜とは忌まわしいものでしかないのですよ」
忌まわしいもの。その言葉に、わたしは彼の顔をあらためて見た。トゥドールの民にとって、竜とはともに生きる大切な存在ではないのか。
「それは、どういうことですか?」
尋ねたが、答えは返ってこなかった。その話はしたくないとばかりに首を振り、彼はまた歩き出す。まあ、答えたくないなら別にいい。竜との向き合い方は、同じ竜騎士でもそれぞれなのだろう。
「それで、騎士ローエは今後どうなるのですか」
「さあ、どうなるだろうか。無論、竜騎士団といえど全員が自分の竜を持っているわけではない。市中警邏の衛兵や、辺境伯邸の警備など、竜を持たぬ一般の騎士の方がむしろ多い。ただ、それを選ぶかはあの者次第だ」
でしょうね、と小声で答えて頷いた。それでもこのトゥドールにおいて、竜騎士は間違いなく花形であろう。その地位を失い、一般の騎士として地上の任務に就くのは、本人にとっては耐え難いことのはずだ。
不意に、合同捜査本部から外されたときの屈辱が蘇ってきた。状況は違っても、彼はあのときのわたしと同じだ。なぜだ。どうして自分だったのだ。誰も答えてはくれない問いが、いつまでもぐるぐると頭の中を巡り続ける。彼もきっと、ベッドの上でその問いを繰り返しているだろう。おそらくは、この先もずっと。
だがもし、ローエの感覚が正しかったら。彼の竜が本当はまだ死んでいないのだとしたら。
「……閣下」
わたしは歩を進めながら、意を決して言った。
「やはり、わたしにも竜の亡骸を検分させてはいただけないでしょうか」
辺境伯はじろりと目だけを巡らせ、訝しげに尋ねてくる。
「貴女は、騎士ローエの言っていることが正しいとでも。つまり、竜はまだ生きてると?」
「わかりません。ですから、確かめさせていただきたいのです。もし彼の感覚が正しく、ブガッティがまだ死んでいないのだとしたら……彼はこれまで通り竜騎士として生きていくことができるかもしれない。まだ、何も失わずにいられるかもしれない」
返答はすぐにはなかった。イエスともノーとも。辺境伯はわずかに尖った顎に指をあて、しばし考え込んでいる。目だけをときおり巡らせて、ちらちらと隣を歩くわたしに向けながら。わたしが何を考えているのか、あるいは何を企んでいるのかと訝っているのだろう。
「竜の亡骸については、すでに聖教会へと管轄が移っている」
「わかっています。ですが閣下も同行していただければ、聖教会も否とは言わないでしょう。閣下は竜騎士団長であると同時に、この土地の領主です」
確かに聖教会は王都に置かれた本部に連なり、貴族の序列からは独立した組織ではある。しかしだからと言って、その支部が各領で好き勝手ができるというわけではない。聖教会とて当然、各地の領主と良好な関係を築いていないと活動もおぼつかない。
ましてトゥドールは先も書いたように、王国内でも特殊な土地だ。王国貴族の序列に組み込まれているのも形ばかりの、半ば独立国とも言える。ならば聖教も特別に配慮すべき相手であり、多少の無理も通さざるを得ないだろう。
「どうかご同行お願いします、『管理官』」
辺境伯ルイ・トゥドールはまたしばし思案して、やがて頷いた。やはり彼もまた、ローエの言葉に思い当たるものがあったのだろうか。
「いいだろう。ただしこちらも、貴女を監視させてもらう。くれぐれも、不要な行動は慎んでもらいたい」
「承知しました。どうもありがとうございます」
「それとその、『カンリカン』というのは何だ。王都ででも使われている呼称か何かか?」
「これは失礼しました」
そこだけ日本語で言ってみたのも、ちょっとしたカマ掛けだった。彼がその呼称にどう反応するのかと。
「グレインディールでときどき使われている、現場の統括指揮官への敬称です。つい、口をついて出てしまいました」
そんな見え見えの嘘で誤魔化してみたが、彼はそれ以上気にもしなかった。惚けている様子もなく、どうやら本当にその呼称を知らないらしい。やはり顔が似ているだけで、元の世界の七光り管理官とは完全に別人なのか。
トゥドールの大聖堂は竜騎士団の屯所に隣接した敷地にあった。グレインディールのそれよりもいくらか小さく、装飾も質素だ。そのあたりも、質実剛健を宗とするこの土地に合わせたのだろうか。
本堂は現在封鎖されていて、そこにブガッティの亡骸が安置されているようだった。両開きの大扉には太い閂が通され、司祭たちですら立ち入りができないらしい。そんなことでどうやって竜の死因を調べているというのか。
「聖教の従僕も総出で竜についての文献をあたっております。そのうちのいくつかに、竜が身罷ったときは大聖堂に安置したとありまして……」
「そうは言っても、いつまでもそうしておくわけにもいかないでしょう。何らかの形で弔ってあげないと」
わたしがそう言ってみても、出迎えに出てきた司祭は首を振った。
「その必要はないとのことです。大聖堂に竜の身を祀っておればいいと」
そんなはずはないだろう。かつて竜の最期を看取った記録があるのならば、この土地のどこかにその亡骸を弔った墓地があるはずだ。もしかしたらその記録も失われてしまったのか。
「本当にそれだけでよいとあるのです。そうしてしばらく経つと、亡骸は竜の山へと還るとのことです」
「還るって……亡骸が勝手に?」
「文献にはそうあります。大聖堂に亡骸を納めて十と五日後、再び扉を開けるとそこはもぬけの空であったと。竜はそうやって、神なる山へと還るのでしょう」
そんな馬鹿げた話があるとも思えない。おそらくはすべて作り話か、司祭たちの知らぬ間にどこかへと運び出されたに違いなかった。
「ですから我々も、こうして静かに竜を送り出す準備を整えております」
つまり彼らはただ死んだ竜をどう弔うかを調べていただけで、死因を割り出す検分などは何もしていないということだ。まあそれも無理はない。彼らはあくまで聖職者であり、竜の専門家ではないのだから。
「わかりました。でもその前に、一度わたしに亡骸を検分させていただきたいのですが、よろしいですか?」
司祭はわたしの言葉に驚き目をみはり、そのまま数秒固まっていた。やはり彼らからすると、考えられないことなのだろう。
「いやそんな、とんでも……」
とんでもないこと。そう言いかけて、司祭はそこに辺境伯のルイがいることを思い出したようだった。そして助けを求めるように彼に目を向ける。
「大丈夫だ、我々も立ち合う。おかしな振る舞いはしないよう、しっかりと見張っていよう」
しかしルイも、司祭たちの助けにはならないようだった。この地の領主である彼にこう言われてしまっては、それ以上拒絶することもできないのだろう。司祭は諦めたようにため息をついて肩を落とした。




