15
辺境伯と騎士たちは、結局大聖堂を出て宿の部屋に戻るまで付いてきた。どうやらまだわたしに対する疑いは解いていないようだ。おそらくその根底にあるのは、わたしとの婚約破棄への後ろめたさなのだろう。生真面目で思い込みの強い性格ゆえに、誤解がいくつも絡み合っているように思える。それを解きほぐすのは時間がかかりそうだった。
「送っていただき、ありがとうございます。それでは閣下、皆様。ご機嫌よろしゅう」
そう言って頭を下げたが、ルイはすぐに立ち去ろうとしなかった。わたしが部屋に入るのを確かめないと安心できないのだろう。きっとこの後も、この宿の周りは彼の部下に見張られていると考えてよさそうだ。
「それで、今日は何か収穫はあったのか?」
「はい、とても有意義な時間でした。ご案内、誠に有難うございます」
「収穫があったのなら、それを教えてもらえないか。トゥドールの我々にとっても重要なことだ」
むろん、そうするつもりだ。ただ、もう少し整理する時間が欲しい。何しろまだ仮説に過ぎない。それも相当にぶっ飛んだ仮説だ。
「まだいくつか、確かめたいことが残っています。なので今しばらく、時をいただきたく思います。ひと晩検討して、確信が持てたならお伝えいたします」
ルイの表情はまだ疑わしげだった。わたしの言葉も所詮はハッタリとでも思っているのか。それならそれでいい。
彼らと別れてドアを閉めると、わたしは大きく息をついた。何だかんだであちこち歩き回って、それなりに疲れもあった。身体は十分に鍛えているはずなので、どちらかと言えばこれは気疲れだろう。
先に部屋に戻っていたマリーが紅茶を用意してくれていた。促されるままにソファに腰を下ろすと、軽食にスコーンのようなものも出してくれる。ちょうど小腹が空いていたのを察してくれていたようだ。
「それで、収穫は本当にあったのですか?」
「まあね……それは嘘じゃないよ。ただそれを伝える前に少し整理したかっただけで」
そうは言ってみても、マリーもまだどこか半信半疑といった様子だった。アンジュにいたっては、ホントかよとでも言いたげな半笑いだ。
「お嬢さまがお考えのことを、お聞きしても?」
「うん。まず、竜の外皮には細かい紋様がびっしりと見えた。辺境伯閣下には見えなかったようだから、あれは魔紋のようなものだと思う」
「魔紋……ですか?」
「そう。つまり竜の身体にはいくつもの魔術が重ね掛けされてる。どんな魔術かまではわたしにはわからなかったけど、おそらくは防御の術式や飛行の術式じゃないかと。竜の強さとか、あの巨体で軽やかに空を飛べたりとか……その秘密は魔術だ」
やはりワッツを連れてくるべきだったかとあらためて思った。彼か、あるいは王都にいるというもっと凄腕の魔検士なら、使われていた術式も解読できたかもしれない。
「ですが、トゥドールにはほとんど魔術師はいないはずです。いったい誰が術を掛けていると?」
確かにそれは気になるところだ。けれど話はまだ途中である。なのでマリーには悪いが、その件は後回しにして続けた。
「問題はそれだけじゃない。司祭たちの話では、竜は睡眠もとらなければ食事もしないそうだ。けれど、そんな生物って本当にいると思う?」
「確かに……それは無理がありますね。私も思ってました」
同じ魔術師であるアンジュに目をやると、彼女も大げさに肩をすくめる。
「まあ魔力を食えばメシが要らないってなら便利だけどな。そんな都合のいい話があるとも……」そういつもの調子で言いかけて、すぐにマリーの目があることを思い出す。「……とも、思えないっす、ハイ」
「そうよね。わたしも無理」
確かに魔力とは生命力そのものだと言われいる。なので体を鍛え、体力がつくほどに大きなものを顕現できるようになったし、ある程度はその通りなのだろう。しかしだからと言ってそれをそのままエネルギーとして取り込むようなことができるとも思えない。
「だから思ったの。もしかして竜とは、わたしたちとは根本的にありかたの違う存在なのではないかと」
「ありかたの違う存在?」
「そう。単に魔術をまとっているのではなく、その身体自体が魔力でできているのではないか、と」
そう言っても、マリーもアンジュもきょとんとした顔をするだけだった。それがいったいどういうことか、まだ理解してはくれないようだ。
「いや、いくらなんでもそれはありえねえ……っすよ、お嬢さま」
「ありえない……どうして?」
「だって常識で考えれば。魔力は確かに身体の中にあるものだけど、こう、具体的に形があるものじゃねえ……ないっす。メシや水の代わりにならないのと同じで、それが血肉になるわけもない」
確かに常識的にはそうだろう。わたしが元いた世界にあるもので例えれば、身体が電気や電波でできている生物はいるかというようなものだ。魔力もそれと同じように、確かに存在はしているが形や質量を持ったものではない。
だがこの世界には魔術という代物もある。常識なんてものを簡単に覆す便利な奇跡が。
「ねえアンジュ、それでもあなたは知っているはずよ。それとよく似た存在を。何度も見せてくれたし、わたしなんて思いっきり腕を掴まれて痛い思いをしたわ。あれは決して幻なんかじゃなかった」
わたしがそう言ったところで、彼女も気が付いたようだった。そう。彼女の召喚魔術も、わたしの顕現魔術も同じ。魔力という形のないものを、確かに手で触れられるものに変える術だ。
「お嬢さま……あんたまさか、竜とは誰かが召喚した存在だとでも言うんじゃないだろうな?」
「そのつもりよ。だとすれば全部説明がつくでしょう?」
亡骸がいつの間にか大聖堂から消えていたという古い記述も、また竜が睡眠も食事もとらないということも。生物としてはありえないことでも、召喚されたものだとすれば不思議はない。
「ありえない……不可能だ。あんたアタマおかしくなったんじゃねえのか?」
申し訳程度に使っていた敬語も、もう忘れてしまったようだった。しかしマリーも、それを咎める余裕もないようだ。
「アンジュ、あなたが召喚する生き物たちは、最長どれだけ存在し続けられるの?」
「さあ……確かめたことがないからな。でも兄弟と連絡をとるときは、長けりゃ一日以上かかるときはある。そのくらいは『生きてる』な」
「その間、あなたの魔力を消費することはあるのかしら」
「それはないかな。魔力を使うのは最初に召喚するときだけだ」
そのあたりは、わたしの顕現魔術とは違うようだった。わたしの場合は、何かを顕現させている間は絶えずわたしの魔力を消費し続ける。だからある程度大きな物体を顕現させるのはわずかな時間に限られる。
「じゃあ、召喚を解くのはどうしてるの?」
「それは最初に設定しておくんだよ。例えば連絡用の蝶や小鳥なら、誰かに触れたときに召喚が解かれるように……とかな」
「それは何か、詠唱に盛り込まれてたりするのかしら。それらしき箇所はなかったように思うけど」
「その必要はないさ。ただ召喚するときに、頭の中に思い浮かべるだけでいい。それでだいたい、思った通りになる」
いい加減なものだ、とは思ったがそういうものなのだろう。わたしも、小さくて慣れたものなら無詠唱で顕現させられる。魔術とは自分の中の魔力を操る技術であって、詠唱はそれを助ける自己暗示のようなものに過ぎないのだから。
「つまりそのとき、解除方法を設定しなければいつまでも『生き続ける』というわけね。それこそ、千年だって」
「……無茶だ。不可能だ」
アンジュはなおも否定する。けれど彼女もわかっているはずだ。だからその否定も、どこか弱々しい。
「それは小さな蝶や鳥だからできることだ。それも、せいぜい数日が限度。遠くへの連絡に使うときは、小さな蝶であってもかなりの魔力を使うしな。それを竜で。それを千年も。召喚のときにいったいどれだけの魔力が必要になるか」
「つまり、それだけの魔力があれば可能ということよね?」
アンジュはまだわたしの仮説を受け入れられないようだったが、根本的な否定もまだできずにいる。それは要するに、理論上はあり得るということだ。
「そうかもしれない……そうかも。でもあり得ない。いるわけがない。そんな膨大な魔力を持った術者なんて……」
「いない、と……かつてひとりとしていなかったと、どうして言い切れる?」
アンジュはそれきり口を噤んだ。ややうつむき加減で眉根を寄せ、何ごとかを必死で思案しているように見える。それはわたしへの反論か、あるいは。
「……お嬢さま」
代わりに口を開いたのはマリーだった。
「しかしそれほどの術師が存在するなら……あるいはかつて存在したというなら、何かしらの記録が残っていてもおかしくありません。けれどこのトゥドールでも知る人もおらず、伝承さえも残っていない。そんなことがあるのでしょうか?」
「それはどうかしら。本当に残っていない?」
わたしは立ち上がり、窓辺へと歩み寄った。外はすでに日も落ち、空にも帳が降りようとしている。聳える高い山のシルエットも、そこに溶け入り消えようとしていた。
「この土地の人たちが聖なる山と仰ぐあの山。山頂には何がいるの?」
マリーはわたしの問いに、はっと息を飲んだ。
「数千年前から生きる最古にして最大の竜……竜王、メルセデス」
その存在は知らされていたが、名前は初耳だった。やっぱり、なんかどっかで聞いたような名だ。
「数千年、ね。その姿を見た人はいるの?」
「私が知る限りはただひとり。トゥドール辺境伯家の祖であるベルトラン卿が、竜の山を登り竜王と契約を交わしたと伝えられています。その他には、誰も……」
「そう。竜王とは、人と契約を交わせる知性の持ち主ということ。ならばその正体が竜ではなく、強大な魔力を持った術師であったとしても不思議はないわね。あるいは、代々その術を受け継いできた術師の集団であっても」
どのみち、このままトゥドールにとどまっていてもわかることは少なかった。となれば、あの山を登るしかない。その頂、竜王の住処に答えはある。
「お嬢さま……まさか」
「ねえマリー、あなたの故郷はあの山の麓だと言ってたわね?」
彼女の表情が一層険しくなった。わたしが何を言おうとしてるのか、想像するまでもなかったからだろう。
「それならグレインディールに帰る途中で、ついでに里帰りするのも悪くないと思わない?」




