4
屯所へと戻る騎士たちの見送りに宿の前まで出ると、そこには三頭の飛竜が翼を畳んで待っていた。往来の邪魔にならないようにか極力体を丸めている姿はなんだか可愛らしかったが、それでもその巨躯はやはり威容があった。
特にローエが騎乗するのであろう中央の一頭は、鈍く光る青銅色の堅そうな外皮も艶やかで、生物というよりまるで戦闘機のような機能美さえ感じさせた。これが翼を広げて空を舞ったらさぞ壮観だろうと想像させる。
「それでは閣下、明日またお迎えにあがります」
「お手数をおかけします」
伯爵とそう言葉を交わしたあと、ローエはわたしに向き直った。
「ヴァイオレットさまは式典までの間、どうかお健やかにお過ごしください」
「はい、ありがとうございます。それで、その……」
わたしがそこで言葉に詰まると、彼は怪訝そうに首を傾げた。
「まだ、何かございますでしょうか?」
「えっとですね……もし駄目ならそれでいいんですけど、触ってみてもいいですか?」
「と、言いますと……何にですか?」
「ですからその……竜に」
たぶん本当は駄目なのだろう。しかしわたしに対して無碍にもできないようで、困り果てたように眉をへの字にして考え込んだ。そしてしばしの思案ののちに、観念したように「……わかりました」と答えた。
「どうぞ、ゆっくりとこちらへ……もしこいつが拒絶するような素振りを見せたら、それ以上は近付かないでいただけますか。危険ですので」
「はい。ありがとうございます」
答えて、足音を立てぬようゆっくりと歩み寄ってゆく。ローエがそう言うからには、竜とは相当に警戒心が強いのだろう。しかし青銅色のその生き物は、わずかに首を傾けてわたしに一瞥をくれただけで、特に変わった素振りは見せなかった。
そうしてようやく触れられるほどの距離まで近づくと、そっと手を伸ばして長い首の付け根あたりに手を当ててみた。もっと金属的な感触を予想していたが、その外皮はわずかに弾力を感じさせた。すでに夜は更けて風も冷たかったが、掌にはしっかりと温かみが伝わってくる。なるほど、竜とは確かに生物なのだとあらためて思った。
「……驚きました」
傍らでローエが感嘆したように言った。
「こいつが初対面の人間に対して、ここまで大人しかったのは初めてです。いつもはもっと気難しいやつなのですが」
「そうなのですか。わたしにはとても落ち着いて、利口な子に見えるのですが」
見上げると、竜はまだわたしを見ていた。その黒く澄んだ瞳は、確かな知性すらたたえているように見えた。
「……ブガッティ」
「はい?」
「こいつの名前です」
なんだかそんな名前の車があったよな、と元の世界を思い出しつつも、この艶やかで威厳ある姿にはなんだか似合いにも思えて。
「よろしくね、ブガッティ。お仕事ご苦労さま」
「ヴァイオレットさまは、竜と相性がいいのかもしれませんね。このトゥドールに嫁いで来られるだけはあります」
「そうかしら、だとしたら嬉しいわ。いつか、わたしも竜に乗って飛んでみたいと思ってるの」
彼は小さく笑って見せたが何とも答えはしなかった。竜は竜騎士ひとりにしか背を許さないということだったので、おそらくは無理なのだろう。それでも即座に無理と断じなかったのは、彼の優しさだろうか。
「……ところで、ヴァイオレットさま」
それから彼はひとつ咳払いをして、どこか言いづらそうにまた口を開いた。
「われらが竜騎士団長にして新辺境伯であるルイ・トゥドールという人は、その……何というか、少々偏屈というか変わり者でもありまして」
「は、はあ……」
「はい。ですので、もし何かおかしなことを言われましても、あまり真に受けないでいただけるとありがたいのです」
また何やら、不安になるようなことを言い出した。わたしとしてはいきなりそんなことを言われても、その、困る。
「えっと、それはどういう……」
「ほう、偏屈で変わり者ですか」
と、それまで黙っていたドラクーリエ伯爵が興味深そうに割って入ってきた。
「それは私とも気が合いそうですなあ。お時間があれば一杯酌み交わしたいものです」
「ヨハンさまのような変わり者はひとりで十分なのですが」
その傍らで、ユゼフが頭痛を堪えるような顔で首を振る。伯爵はむしろ人当たりが良く、偏屈という印象は受けなかったのだが、それはやはりよそ行きの顔なのだろうか。
「それと似た者同士は気が合わないことのほうが多いのでご注意を。だいたい大喧嘩になるのがオチです」
ローエはその様を見て苦笑いするだけで、それ以上は何も言おうとはしなかった。何だかうまく誤魔化されたような気もするが、彼としてもそれ以上口にできることでもないのだろう。
ブガッティに跨って上空に消えていった騎士たちを見送ると、わたしたちは宿の中に戻った。しかしすでに夜は遅く、あらためて乾杯の続きという時間でもなかった。
「それでは閣下、わたしたちは部屋に戻らせていただきます。楽しい時間をありがとうございました」
そう言って貴族らしくカーテシーを送ると、伯爵も恭しく胸に手を当てて礼を返してくれた。
「こちらこそ、お会いできて光栄でした。グレインディールの雛菊の君。どうぞ良き夜を」
そうして互いに顔を上げたが、わたしにはひとつだけ気になることが残っていた。
「ところで閣下、最後にひとつだけお尋きしてもよろしいですか?」
「はい、何でございましょう?」
「先ほど閣下と騎士さまは、かの者たちの背後にいるのが何者か、わかっているようなことをおっしゃっていましたが、それは……」
伯爵は軽く口に手を当て、失言を悔やむように眉根を寄せた。誤魔化されてはくれませんでしたか、とでも言うように。そうしてしばしの逡巡ののち、ようやく口を開いた。
「わが領で居場所を得られず、ならず者に落ちた者たちは徒党を組み、最近はボールドウィン領に拠点を構えているとのことです」
ボールドウィン領。もちろんその名前は忘れていない。かつては名君と謳われたボールドウィン伯爵により治められ、交易で栄えた都市であった。しかしそれも過去の話。今は。
「……フィールズ一家」
「そう名乗る者たちの根城になっているとのことですね。かの者たちもおそらくは連中に取り込まれたのでしょう」
伯爵もきっと、先だってのグレインディールでの出来事も聞き知っているのだろう。だからわたしに伝えるのを躊躇した。あるいは躊躇する振りをしてわたしの興味を引き、こちらから聞き出すように誘導したかのどちらかだ。
「では、先ほどの襲撃もフィールズが関わっていると?」
「その可能性は高いかと。とはいえ、彼らもまた駒に過ぎません」
「そう……なのでしょうね」
確かに、先の一件は仕掛けが大き過ぎた。騎士団や聖教会にまで浸透したり、多数の闇魔術師を送り込んだり、元軍人の集まりとはいえならず者の集団にできることではない。少なくとも、莫大な資金を融通している存在が背後にいる。
「その背後にいる存在についても、伯爵はわかっているのですね?」
「物証があるわけではありませんがね。まず十中八九、帝国でしょう。魔術師には魔術師を。ヴァンパイアにはヴァンパイアを。それが彼らのやり口です」
「帝国……ですが戦争は、二十年も前に終わっているのでは?」
むろんわたしも、かつての戦争のことは公爵邸の文献で読んで知っている。王国と帝国は国境をめぐって激しく戦い、決着がつかぬまま互いに大きな傷を負い、条約を結んで講和した。王国はその条約に従って軍を解体し、現在に至るという。
「戦争は終わってなどいませんよ。帝国は単にそれまでのやり方では目的を果たせないと悟って、方法を変えただけです。今でも手を替え品を替え、彼らの攻撃は続いています」
では先のフィールズ一家によるグレインディールの襲撃も、その攻撃の一環だったというのか。そうと気づかぬまま、わたしもまた今も続く戦争に巻き込まれていたと。
「いったい帝国は、どうしてそこまで戦争を続けようとしているのでしょう。彼らは何を求めていると?」
「何を、ですか……」
伯爵の口調はまだ穏やかなままだった。むしろ冗談めかして揶揄うように、苦笑して肩をすくめてみせる。
「目的なんてないのでしょうね。彼らはただ、私たちのような存在を認められないだけです。だから私たちがここにいる限り、戦争が終わることはないかと」
「そんな……」
そんな理不尽な、と言いかけて言葉にならなかった。しかし戦争なんてものは、そもそもがそうした理不尽なものなのだろう。




