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しかし手詰まりだからと言って、何もしないというわけにもいかない。数少ないできることを、精一杯やる。敵の手が読めないなら、何が起きても対応できる体制を作って待ち構えるのだ。結局のところ、防犯とはそういうものだった。
「ではさしあたって考えるべきは、こいつを当面どうするかだ」
と、ウォレンはドニ氏を指して言った。どうするも何も、彼をわたしたちに引き渡すという話ではなかったのか。
「こちらとしてはさっさとあんたらに引き渡しておきたいところなんだが、どうなんだい。あんたらで、こいつの身の安全を確保できるのかい?」
その目は、苦虫を噛み潰したような表情のオハラに向けられていた。彼としても反駁したいところだったが、それもできないようだ。事実どこまで騎士団内部に敵がいるかわからない状況で、彼の身柄を屯所で保護するのは難しいだろう。
そしてそれは、公爵邸であっても同じだ。警備の衛兵はみな騎士団から派遣されているので、その中に敵が紛れ込んでいる可能性もある。
「正直、情けない話ではあるけれど……」と、わたしは提案する。「副会頭は引き続きここで保護してもらうのがいちばん安全だと思う」
さっきの様子からも、おそらくドニ氏自身もそれで異存はないだろう。何ならウォレンたちの手でフィールズの力が及んでいない街まで逃したほうがもっと安全なのだが、すべてが終わったときには彼には色々証言してもらわないといけない。
「……やむを得ませんな」
と、オハラも同意してくれた。彼としても不本意だろうが、今はそれがもっとも現実的だ。
「ただ、この男がそれに同意してくれれば、ですが」
「まあ、こういう状況ならそれも構わんよ。そこまで邪魔ってわけでもないしな」
ウォレンも一瞬渋い顔を見せたものの、そこまでの不服はないようだった。
「だが言っておくが、ここだってそう安全ってわけじゃあねえぞ。残念ながら俺たちにフィールズの本隊と正面からやり合う力はねえし、襲撃を受ければ拠点を捨てることもありうる。そのときまで、こいつを守れるとは思わねえでくれ」
「わかってるわ。でもここだって、言うほど捨てたものではないでしょう?」
二十年経っても残っている戦時施設だけあって、守りは相当に堅いはずだ。大砲も航空戦力もない世界で掩体壕というのも最初奇異に思いはしたが、おそらくは魔術による攻撃を防ぐためのものだろう。切り立った崖を背にしているので前面に戦力を集中できるし、おそらくは倍の兵を敵に回しても持ち堪えられるだけの砦だった。
「……どうだかな」
ウォレンはそう言って鼻を鳴らして目を逸らす。その表情からして、わたしたちには見せない仕掛けも隠しているのだろう。
とにかく、当面のドニ氏の処遇についてはそれで決まった。次は、わたしたちがこれからどうするかだ。
「マーカス・ウォレン。ゲンナジー・オハラ」
わたしはスツールから立ち上がり、背筋を正してふたりの名を呼んだ。
「公爵家の一員であるヴァイオレット・ディ・グレインディールの名において、おふたかたにあらためてお願いいたします。この危機に際して、わが公爵家にお力添えをいただけませんか」
オハラもウォレンも、いきなりどうしたとでも言いたげにこちらを見るだけだった。しかしまあ、どうしたと言われても言葉の通りである。正式に、この事態の対処への協力要請だ。
「言われずとも、それがわれわれの務めですが」
オハラは淡々とした声で答える。ついでウォレンも、素っ気なく言った。
「すでにあんたの兄貴から頼まれてることだ。あらたまって頭を下げる必要はねえよ」
そこまでは同意してもらえることはわかっていた。ただ、問題はそこから先だ。
「わかっています。しかしその上で、おふたかたにも協調していただきたいのです。遺恨は承知の上で、今だけはそれを飲み込んでいただけませんか」
その踏み込んだ要請には、すぐには返答がなかった。まあ無理はない。元の世界にいた頃のわたしがやくざの親玉と協力しろと言われたら、冗談じゃないと椅子を蹴り飛ばしていただろう。この世界の騎士団とならず者たちも似たようなもののはず。
「その協調というのは、具体的にはどのような?」
沈黙を破り、最初に口を開いたのはオハラだった。
「そうね……まずはこの件が片付くまでの間でいいので、ウォレン兄弟のメンバーが城壁内で活動することを黙認して欲しいの」
「それは彼らが市中で狼藉を働いても不問にしろということですか?」
「そこまでは言わないわ。当然、彼らにも法は遵守してもらう。それでも難しい?」
「難しいですね。ウォレン兄弟というグループが、それほど統制のとれた集団とは思えない。必ず何かしらの問題が引き起こされると思います」
つまり彼らを信用できないということだ。ではウォレンから厳しく命じてもらえればどうか。そう思って彼に目をやっても、あまり期待はできなさそうだった。
「まあ、保証はできねえわなぁ。元がそもそも、世の中に馴染めなかった連中だ。今だけいい子にしてろと言ったところで、堪えられるやつがどれだけいるか」
可笑しげに身を揺らしながら、ウォレンは言う。信用しないと言うならしないで結構、ということだろう。
「城壁内での事態への対処は、今後も騎士団にお任せいただきたく思います。城壁の外であれば、街道警備隊を刺激しない限りは活動を認めましょう。警備隊も今は荷馬車襲撃の件で忙殺されていますので、ウォレン兄弟にまでは手が回らないでしょうから」
つまりそっちは騎士団も手が回らないから好きにしろ、ということだ。つまりは譲歩でもなんでもない。彼らのようなならず者相手に歩み寄る気はないという意志は変わらないということだ。
「まあそれについては検討を続けるとして、ふたつ目は情報の共有。騎士団調査隊、ウォレン兄弟ともに、この件に関して掴んでいることは隠さず伝達してください。直接のチャンネルを作ることに抵抗があるなら、わたしを通じてもらっても構いません」
その提案に対しても、すぐには返答がなかった。それは無理もないとわかっている。それすなわち、手の内はすべて明かせということだ。ただの協力よりもハードルは高い。
「もちろん、あくまで今回の件に関わることについてだけです。それとは関係ないそれぞれの内情まで明かせとは言わない。すべて片が付いたらまた敵同士でしょうから」
そうしてまた、ふたりの答えを待った。重い沈黙が流れ、やがてたっぷりの間をおいて、ウォレンが口を開いた。
「難しいな。俺たちには俺たちのやり方ってぇもんがある」
「わたしのことが信用できませんか?」
「そりゃあな。肝が据わっていることは認めるが、まだほんのガキだろうが。信用してもらえると思っているのかい?」
「確かに若輩者ではありますが、公爵家の一員です。兄からも、おふたりのことは一任されています」
確かに彼らにそうした権威などは通じないのだろう。ただそれでもこのヴァイオレット嬢の父や兄、グレインディール公爵家に対しては、一定の信はおいてくれているはずだった。
「……だと、してもだ」
ウォレンは気怠そうに片手を上げ、オハラを指さした。
「あんたたちはずいぶんとその男を気に入っているようだがな。所詮は騎士団、お貴族さまの飼い犬に過ぎねぇ。餌次第でどちらにでも転ぶ手合いさ」
声音に嫌悪感をたっぷりと滲ませて、ウォレンは吐き捨てるように言った。彼らが騎士団を嫌っているのはよくわかっている。何しろ戦争が終わって軍隊は解体され、行き場もなく放り出された者たちだ。王国の武力として唯一残された騎士団に対して鬱憤を抱えるのも無理はない。
「もちろん騎士団すべてが信頼のおける組織だとは思っていません。今回のことにも、その一部が関わっていますしね。ですが、わたしは騎士団ではなく、ゲンナジー・オハラという人物そのものを信頼しています。法と倫理に照らして、常に正しい選択のできる人であると」
それはわたしの本心からの言葉だ。彼の人となりは、剣を交えたときによくわかった。ただ強いだけではない。その中心に確かな信念の通った剣だった。
「はっ!」しかしそんなわたしの言葉を、ウォレンは鼻で笑い飛ばす。「その男がか。これはまたえらく懇ろに誑かされたものだな、おう?」
その悪態にも、オハラは言葉を返さなかった。けれど振り返ったわたしの視線を避けるように、わずかに顔を逸らす。
「なんなら教えてやれ、英雄さま。この純粋無垢なお嬢さまによ」
「何……いったい何のこと?」
「パターソン修道院だ。あそこで何があったか、本当のことを教えてやれってことよ」
パターソン修道院。十年前、『ニミッツ連隊』に襲撃され、二十人の子供が連れ去られた孤児院があった場所だった。そしてオハラは決死隊を率い、子供たちを救出した。その事件に、いったい何があったというのか。
「帰りましょう、お嬢さま」オハラは目を逸らしたまま言った。「この男たちとの共闘などありえません。あなたも、これ以上こんなところにいるべきじゃない」
「待って、オハラ隊長」
しかしわたしは、その言葉を遮って尋ねる。
「彼はいったい何のことを言っているの。答えて、隊長。あの事件に、いったい何があるというの?」




