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グレインディール騎士団調査隊隊長ゲンナジー・オハラ。ウォレン兄弟首領マーカス・ウォレン。元から水と油であったふたりの男は、どうやったところで手を結ばせようがなかった。特に、ウォレンのオハラに対する不信感が手の施しようがないほど深い。そしてそれは、十年前のパターソン修道院事件に端を発しているようだが。
「確かにあの事件だって、表で知られていることがすべてではないのでしょう。どんな物事にも、公にできない事情が隠れているもの。でも、この人が率いた決死隊が十八人の子供たちを救出したことは動かぬ事実のはずよ」
そう返してやっても、ウォレンの嫌味ったらしい笑みは変わらなかった。そんなことは知ってる、だから何だと言わんばかりに。
「確かに、全員を救出することはできなかった。ふたりの少女は行方不明なままよ。でもそのことだって、この人は忘れていない。おそらくは今でも、その行方を追っているはず」
「……お嬢さま」と、遮るようにオハラが口を挟んでくる。「おやめください。そのことは、お嬢さまには関わりのないことです」
「関わりがない、ね。確かにその通りだ、なあ?」
ウォレンはなおも変わらず嘲るような声で答えた。
「そのふたりの娘にゃ、お前も関わりがない。そうだろ。そいつらはそもそも、英雄さまでも救いようがなかったんだからよ」
「救いようがなかった?」
「ああ、そうだ。そいつらは、修道院がニミッツに襲撃されるより前に、とっくに売り飛ばされていたんだからな!」
いったいそれはどういうことだ。疑問を抱いたのは一瞬だった。その次の瞬間には、ああ、なるほどそういうことかと理解していた。
ウォレンの得意げな顔からして、おめでたい貴族のお嬢さまに衝撃の事実を突きつけてやったつもりなのだろうが、何のことはない。結局のところはよくある話である。
「つまりパターソン修道院は、孤児たちを奴隷として売買して利益を得ていたということね」
ともあれ、これで合点がいった。十年前の事件の話を聞いて、拭えずに残っていた違和感も解消された。違法である奴隷の売買には、各地の貴族との特別な裏ルートが必要である。グレインディールという一地方のならず者集団でしかなかった『ニミッツ連隊』に、そんな伝手があったとは思えない。売れるかどうかわからない孤児たちを得るために修道女たちを皆殺しにするというのは、どうにもリスクと利益が釣り合わないのだ。
おそらくニミッツの狙いは、修道院が奴隷売買で築いた莫大な隠し資産。孤児たちはもののついででしかなかったろう。あるいは勢力拡大のために、メンバーとして育てようとでも思っていたのかもしれない。
「そうだ。だがそれが明らかになると困るやつらがいた。パターソンから奴隷を買い込んでいた貴族たちだ。やつらは中央の王国騎士団に泣きつき、グレインディール騎士団にニミッツ連隊殲滅の命令が下った」
その命令は中央から発せられたものだろうが、公爵家としても否はなかったはずだ。あるいはただの平民の孤児たちのためにそこまで強い命令が下されたことに違和感を覚えはしたかもしれないが。
「とはいえ当時のグレインディール騎士団には、軍人崩れのニミッツ連隊とやり合えるだけの戦力はなかった。仮にあったとしても、ただ貴族連中の保身のために命を賭けるなんて真っ平御免だったろう。それでのらりくらりと命令を引き延ばしていた。しかしそこに、空気を読まない英雄さまが現れたってわけだ」
その頃のオハラはまだ一介のヒラ団員だったと聞いた。ならパターソン修道院の真の姿についてなど、知る由もなかったかもしれない。ただ攫われた子供たちを助けたい一心で、決死隊を組織したのだろう。
「そしてニミッツは討たれ、ガキどもは無事に『救出』された。捕らえられたニミッツの残党どもは、マズイことをゲロっちまう前に残らず縛り首になった。そうして焦っていたお貴族さまたちも、ほっと胸を撫で下ろしたってわけよ。つまりそいつは、連中にとっての英雄さまでもあったってことだ」
申し訳ないと思いつつも、わたしは目を逸らしたオハラの横顔を窺った。無表情を装ってはいるが、奥歯を噛み締めているのか両頬に筋が浮いている。その様子からして、この人も今は真実を知っているのだろう。
「なあ、ゲンナジー・オハラ。グレインディールの英雄さまよ。お前ももう、すべて知ってるんだろう?」
ウォレンはその顔を覗き込むように、身を乗り出して下から睨め上げた。嫌らしいにやにや笑いを浮かべたまま。
「知っていて黙った。鼻薬を嗅がされて黙り込んだ。なあ、騎士団調査隊隊長なんてチンケな地位が、そんなに美味しかったのか?」
オハラは何も答えない。しかしその沈黙が、ウォレンの問いに肯定を返してしまっている。
「まあまだ小さかったガキどもは、自分たちに何が起きていたのか理解できなくても無理はない。だがお前は違っただろう。そういや、ガキどもの何人かを自分の隊で面倒見ていたな。まさか罪滅ぼしのつもりか?」
そんなウォレンの言葉を、わたしは一歩踏み寄って「やめて」と遮った。
「今はそんな話をしている場合じゃないの。十年前の話なんて、どうでもいい」
「へぇ?」
しかしウォレンは、むかつく薄ら笑いをやめようとはしなかった。
「これはこれは、公爵家のお嬢さまの綺麗なお耳を汚してしまいましたかね。しかしこういうことは、世間と関わり合おうとすれば、嫌というほど見せられることになる。人間は汚い。世間は醜い。この世は、そんなやつらが欲の皮突っ張らかって奪い合いをしている糞溜めだ。だからいざそれに直面したときに絶望しないよう、前もって教えて差し上げたまでよ」
「そう、それはご親切にどうも」
これでもこの身体の中身は、それなりに酸いも甘いも嚙み分けてきた二十九歳の女だ。人間の汚さも世間の醜さも、身に染みてよく知っている。でも、だから何だ。
「でも結構。あなたのその絶望は、あなただけのものよ。勝手にわたしに押し付けないで欲しいわね」
「……なんだと?」
「世界がどれだけ醜かろうと、わたしはわたしのこの目で見てやるわ。この足て歩いて、この耳で聞いて、この心で絶望してやる。そうしてはじめて、それはわたしの絶望になるのよ。あなたは邪魔をしないで」
そう言い切って、わたしは正面からウォレンの三白眼を見つめ返した。彼もようやく笑みを消して、気に食わなそうにこちらを睨みつけてくる。けれどどんなに気に食わなかろうと、こちらから目を逸らしてなんかやらない。
ただ不思議と、ウォレンに対しても嫌悪感は抱かなかった。この目、この振る舞いには、どこか見覚えがあるからだ。思い出せば少年課に配属されていた頃、街で出会う少年たちもみんなこういう目をしていた。
彼らは口々に、大人は汚い、誰も信じられないと悪態をついていた。けれど結局その言葉は、誰かを信じたい、信じられるものが欲しいという思いの裏返しだった。そもそも期待がなければ、絶望なんてしないのだ。
そう気付くと最初は恐ろしかったこの男も、何だか可愛く思えてきてしまう。おそらくは思春期に戦争に駆り出され、いいように使いまわされた末に裏切られ、世を拗ねた不良少年のまま年を重ねてしまった大きな子供。それがマーカス・ウォレンという男だった。
けれどウォレンの次の言葉を待つ間に、部屋に飛び込んできた者がいた。先ほどアジトの入り口で見かけた男たちのうちのひとりだった。
「親父……親父はいるか、大変だ!」
「やかましい。こっちは込み入った話の最中だ!」
「いや、でも……それどころじゃ。やつらが動きました!」
ウォレンのこめかみに浮いた筋がぴくりと震えた。『やつら』、ね。この局面では、それが何者かは考えるまでもなかった。
「ヴォロヴィッツの手下どもです。付近に潜んでたやつらが続々と城門前に集結してます。すでに百は超えてるかと……!」




