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79話 聖堂教会④

「ぐっ……」


 ゴドゥバは呻き声を漏らす。

 眼前の敵に、追い詰められていると覚られていまいか。そんな不安を払拭するため精神を奮い立たせる。


 常人よりも遙かに巨大な、まるで熊や巨岩の化け物のような強靱な肉体。そんな彼が握ってなおも違和感ある、途方もなく大きな大きな戦鎚を、まるで木刀であるかのように軽々と振り回す。


 頭部を狙った大上段からの振り下ろし、と思わせ突然に角度をねじ曲げ逆袈裟に叩きつけ、鎚の部分に注目させつつ石突きで足元を狙う。

 

 ときおり肘打ちや蹴りなどのフェイントを織り交ぜるのは、攻めが単調にならないようにする為。戦鎚による攻撃と比べると些か地味ではあったが、ゴドゥバの両手足の厚みは丸太ほどもあり、掠めるだけで肉や骨を吹き飛ばしかねない。


 あまりの強さに他の挑戦者は誰も太刀打ち出来ず殿堂入りするほどだった。当然ながらかつて聖堂教会で開催された大会でもここまで本気になったことはない。


 全ての一撃が、対峙する青年の命を奪うことを目的に放たれていた。

 

 対するランキスは戦いが始まってから十分以上、一切の反撃をせず無言を貫いている。

 武術の心得がある者ならば異様な光景を疑っただろう。

 ランキスには息が切れた様子も無く、ゴドゥバによる前述の嵐のような猛攻の一切が命中しない。


 一般人なら、それどころか精鋭揃いの聖堂騎士団ですら既に何百回と殺されて、粉砕され肉片すら残らず一面が血の海と化す、そんな何百回もの必殺の一撃は全てランキスに紙一重で避けられてしまっていた。


 それほどの実力差があるのだと、この十分以上の戦いの中でゴドゥバは理解していた。たとえ若かりし頃の、全盛期の肉体であっても到底敵わない相手であることも。

 ランキスの立ち姿は拍子抜けするくらい隙だらけだ。なのに一切の手加減無く渾身の一撃を注ぎ込んでも、次の瞬間そこに標的はおらず、すぐ傍でまた隙だらけの立ち姿を晒している。


 様子見をしてるだけなのだろう。テメーごときいつでも屠れるぞ、そう語り掛けてくる錯覚にゴドゥバは囚われる。


 久しく味わっていなかった敗北の屈辱を想起させる。けれどもそれはゴドゥバにとって決して嫌な感覚ではなかった。幼少期のごく短い間、宗教など関係なく純粋に強さを求めていた、知識なきゆえの純粋な向上心が蘇る。


 ……今はそのような感傷に浸る時ではなかった。


 空間がゆらぐ。ランキスが例の技を仕掛けようとしているのをゴドゥバは察知した。


 宙渡りの手。ランキスの代名詞とも言えるその技を、彼は徹底的に調査させていた。

 その技はワープ能力もさることながら、戦闘では相手の心臓を掴み潰すという芸当までやってのける。


 世界の理をねじ曲げる、反則的なまでに便利な技。

 だがそれにも弱点はある。発動の際に、魔力を集中させるため僅かに溜めが必要なのだ。


 その瞬間は唐突に訪れた。戦鎚の薙ぎ払いを悠々と躱したランキスの右腕が一瞬ブレる。


 硬直することを予知していたゴドゥバは、しかしランキスの口元に笑みが浮かぶのを見逃さなかった。


 突然に第三者の気配がランキスの胸元に現れる。死闘の中で冴えていたゴドゥバの頭に血が上った。


 忌々しい大蜥蜴の出現。だが実のところそれは想定内でもあった。


 つい十日ほど前に討ち滅ぼしたというのに、どういうわけか復活して、あろうことか人非ず共の牢屋に侵入して連中によからぬことを吹聴した忌々しい忌々しい大蜥蜴が、突然に現れてもなんら不思議ではない、むしろ自然な流れだった。

 

 聖堂教会で最も影響を持つゴドゥバが、討伐したはずの大蜥蜴に返り討ちにされる。権威失墜、奴にとっては最高のシナリオだろう。


 そうはさせるか。右手に握った戦鎚を不意に、真横へと放り投げた。


 ランキスの視線がそれに誘われる。ゴドゥバは左手の拳を解き、指を揃え彼の心臓目掛けて突き刺していった。


 限界を超えて、筋肉がブチブチと裂断する悲鳴が全身を苛むが全てを無視する。この男が殺せるならば、たとえ余生を半身不随で過ごすことになろうと一切の後悔はなかった。


 戦鎚が壁に激突して派手な衝撃音を上げる。未だに視線は逸らされたまま、更なる宙渡りが発動する気配もない。指先がランキスの衣服に触れた。次の瞬間には肉体を吹き飛ばしているだろう。


 ゴドゥバは勝利を確信するでもなくただランキスの死という結末を見据えていた。奴は皮肉にも自らの必殺技を放ったと同時に敗北し、そして死に誘われるのだと。






 誰がそれを慢心だと語れるだろうか。






 さわさわ






 硬い龍鱗を予想していたが、指先から伝わったのは柔らかい繊毛だった。

 この感触は、蟲!?

 ゴドゥバの思考が乱れる。それは大蜥蜴ではなかった。


 かつて初代法皇がペットとして飼育していたその蟲は、聖堂教会のシンボルマークにも描かれている。

 それは大蜥蜴の闘気を纏わせ擬態させていた月齢蝶だったのだ。

 

 そんな蟲ごと貫いてしまえば良かった。だが彼の熱烈な信仰心が仇となってしまう。魔力が籠もった鱗粉がゴドゥバに襲い掛かる、眼や鼻腔や口内、彼のあらゆる粘膜に集中し、強烈な痛み痒みを引き起こした。

 さしもの狂戦士もこれは予想外だったようで、判断の迷いはそのまま無様な硬直となってしまった。いやこれは予定調和か。全ては青年の掌だったのだろうと自嘲する。


「降参です」


 喉元と心臓を握られたゴドゥバは負けを認めた。


「君の完全勝利です。だが、聖堂教会は――――」


 その先の台詞を発することは出来なかった。


 ぐしゃりと握りつぶされた心臓と喉笛。真っ赤に染まる青年を、光を失いつつある瞳で見下ろした。


 反撃は徹底的に。完膚なきまでに叩き潰された連中は数知れない。今更ながらに彼のスタンスを思い出す。


 生命の源が急速に失われていく。薄れゆく意識の中で、最後にもう一度ランキスを見やる。昨今の若者にありがちな覇気のない、物憂げな瞳、何処にでもいそうな平凡な顔立ちがそこにあった。


 第三十代聖堂騎士団長だった自分も、青年にとっては返り討ちにした連中の1人に過ぎないのだろう。

 

 彼に死の恐怖はなかった。最期は己より遙かに強い人間に負けて殺された、それも闘技場で。それは信者である以前に誇り高き戦士であった、彼の本望だったのかもしれない。

 

 ゴドゥバは意識を死神に委ねた。安らかな表情で、幸せな末路に幕を下ろす。

 

 

 

 

 

 そして。

 

 その意識は無理やりに引き揚げられていった。

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