75話 聖堂教会③
カツカツカツ。
磨かれた白曜石を革靴が冷たく叩く。
ゴドゥバ。かつて第三十代聖堂騎士団長だった男。齢六十を過ぎた今でもその肉体は全く衰えることなく、鎧越しにもはっきりとわかる筋骨隆々の肉体は、それそのものが頑丈な鎧兜のように膨れ上がっている。
多くの人非ずを惨殺し、聖堂教会の勢力拡大に貢献し、先の大戦では総指揮を執って勝利に導いた。いまや影響力は法皇を軽く凌ぎ、彼を止められる者は誰もいないとされている。
不意に歩みを止める。
そこは闘技場の中心。団員が剣術を競うため定期的に開催される大会にてゴドゥバは初出場からずっと無敗を貫いてきた。
ゴドゥバは強さを求め、若かりし頃よりずっと己を鍛え続けてきた。辛い修行を一日も欠かさず愚直な迄に。
その結果彼はドラゴンをも凌ぐ圧倒的な戦闘能力を獲得するに至った。
たとえ人非ずが数で攻めてこようと軽く返り討ちにしてやれる。誰も我に太刀打ちできやしない。彼はそう自負してきたつもりだったが。
ゴドゥバは先程からずっと、一定距離を保ちつつこれ見よがしに気配をさらけ出す男を鬱陶しく考えていた。
「いい加減に姿を見せてはいかがです」
返事はない。
「ランキス傭兵団の団長は不法侵入者で、ろくでなしの無礼者という認識を持ってしまう。そんな輩を信頼して取引など何故出来ますかな」
「そりゃそうだな。失礼」
ゴドゥバの挑発に乗せられたのか褐色肌の青年がのそのそと姿を見せる。
「君はランキスという名だったな」
性はない。彼はありふれた貧乏農家の出身だからだ。
小規模な傭兵団を率いる、彼の仕事ぶりについて調査させたのだが評価は散々だった。
戦闘能力は認めるものの、昼寝好きの怠け者でいい加減な男。ウェルザーなどが補佐することでようやっと生計を立てられてる有様だと。
昨今の若者にありがちな覇気のない、物憂げな瞳、何処にでもいそうな平凡な顔立ち。首から上だけなら街中ですれ違ってもまず気に留めない、その程度の男だ。
だが実際に会ってみて印象はがらりと変わった。首から下の、筋肉の盛り上がりが尋常ではない。
どれ程の鍛練を積んだのかゴドゥバには想像つかない。異常なまでに膨らんだ肉体の厚みは己に比肩しうる、いや自身を遥か上回るだろう。顔付きと肉体のバランスがまるで釣り合っていない。
成程これがランキスという若造か。彼についてもっと深く知りたいという好奇心が湧いたが、それを押さえ込んだ。
「人非ずをけしかけたのは貴方ですね。今すぐ降伏させなさい」
沈黙を続けるランキスに対して。
「我々は人非ずを皆殺しにしても構わないのです。再び始まる戦争で、また人非ずを補充すればいいだけの話ですから」
「あんたの要求は聞いた。じゃあこっちの要求も述べるぜ。人と亜人の戦いを止めさせろ。手を取り合えとは言わん。だが人と亜人の対立煽りをすんじゃねえ」
ゴドゥバの全身から冷たい殺気が漏れる。それを目の当たりにしたのが団員や神官だったなら恐怖し腰砕けて座り込んだだろう。だが当然のごとくランキスは受け流した。
「それは有り得ない。人非ずは粛清しなければならないのですから」
「先の大戦であんた、わざと戦を引き延ばしたな。あんたが騎士団長になってから勝利よりも亜人を捕縛するのを最優先してた。アンタ心の底から亜人を憎んでんだな」
「当然ですとも。人非ずは存在してはならない」
さも当然のことをなぜ確認するのか、という口調でゴドゥバは答えた。しかしながら青年の認識が違うことにも酷く失望している。
ところで。ゴドゥバは一旦話題を変えた。
「貴方を雇いたい」
「はぁ?」
「ミステクタが貴方に支払った賃金の10倍を用意しましょう」
「断る。あんたとは仲良くやれそうにないんでな」
「正気に戻るチャンスを与えましょう。もしも貴方が背教者でなければ。謎の跳躍能力はさぞ頼りになるでしょう。人は何度でもやり直せる優れた生物です、この世で最も優れたね」
「ツッコミ所は山程あるが、まず1個聞かせろ。ウチの団員にミステクタ出身が何人かいるが、そいつらの処遇はどうする気だ」
ゴドゥバは溜息を吐く。
「貴方はいい歳した大人でしょう。世界の成り立ちを、知識として知っておかなければいけない年齢です」
「知識だぁ?」
「我々、人間は造物神ヘリオムズ様が自らの姿を形作り定義した、地上で最も神に近い種族。他方で人非ずは奇形の悪魔プレゴブが気まぐれに人間を模して造られた存在です。明確な悪意を以て造られた故に、角だの牙だの色だの体毛だのといった畜生の部位が生えているのです。穢れた悪魔の造形物など、この世から抹消しなければならない」
「それはテメーら聖堂教会の勝手な解釈だろうが」
「……理解できませんね。貴方は人非ずに何故そこまで加担するのです?」
心底、不思議そうに質問する。人非ずは唾棄すべきなのにどうして。
「俺の愛した女性がエンシェントエルフだから。まあ他にも山程の理由があるが」
「……救いようのない愚か者だ。貴方の魂を浄化しなくては」
ゴドゥバは静かに臨戦態勢をとる。聖堂教会のシンボルマークを柄に刻んだ全長2m近くもある巨大な戦鎚を軽々と振り回す。
神々しい装飾が施されたまるで観賞用のようだが、先端の尖った金属塊は頭どころか龍鱗すら容易く砕きかねない。
「そうそう、貴方の依頼人はミステクタの元国王でしたかな」
ラズウェルの眼が細くなる。ゴドゥバはそれを見逃さない。
「人非ずどもが不法占拠しているその街はもうすぐ消滅しますよ」
ああ勿論、と一拍置いて彼は言葉を繋げた。
「エルフなどという蛮族の国もね」
ラズウェルの表情に確かな動揺が走る。
隙とも言えない小さな揺らぎを感知したゴドゥバは予備動作抜きに戦鎚を振りかぶりる。質量を無視した速度でランキスの頭蓋を目掛けていった。




