69話 お別れを哀しくしちゃ駄目だから
「おい初潮」
名字で呼び捨てにされるのは何年ぶりだろう、いや昨日もか。
ああまた、当時の夢か。明晰なのはステータス向上のおかげだろうか?
クラスの連中が私を口汚く罵っては、振り下ろされる暴力を客観視してる私は何処にもいなくて。
とかまどろんでるうちに夜明けが近付いてきた。
地平線の向こうから太陽光が瞼を貫通して、みんな幻の彼方に消え去っていく。
隣で武具の手入れをしているお兄様の背中を眺めてると、起きた私に気付いて微笑んでくれる。そうしてお兄様の腕に抱かれて、暖かさで満たされていく。そんないつもの早朝の日課。
2日連続で厭な悪夢を見ちゃった。情緒不安定になってるんだな。
シバ君と別れてから。あの頃にだけは戻りたくないな、っていう漠然とした将来の不安。そんなのが噴出してて。
今日、私達はナルシュ君の生まれ故郷に到着する。
そこでナルシュ君ともお別れをしなくちゃならない。
……なんで他人事みたいに考えてるんだろ。
じつはお兄様よりも先に、この異世界で初めて出会ったのがナルシュ君なんだよね。街で再会できたときはビックリしたし嬉しかった。
店長さんは今でも元気にしてるだろうか。
目を閉じれば簡単に思い出せる、トリガーと一緒に店番してたナルシュ君の姿。
でもあれは本来のナルシュ君じゃない。あの頃は奴隷扱いで他国に連れてこられた歪な姿でしかなくって。真のナルシュ君は、大森林の中にいる。
大切な思い出が、どんどん過去へと遠ざかっていく。日本にいた頃じゃ決して味わうことのない寂寥感が毛むくじゃらの私を覆っていく。
どうなんだろ。もし私が育ったのが普通の家庭だったら。
中学生から高校生へ、進学によって環境や交遊関係が変わっていくたびに、こんな物思いに耽る日々を過ごしているのかも。
用意とかするためにテントから抜け出すとナルシュ君がいて。
おはようと挨拶したけど、ぎこちなくは無かった筈。けど朝食が終わった後もなんとなく口数も少なかった。
私は、ナルシュ君にどう話し掛けていいんだろう。
離れててもずっと友達だからね、また遊びにいくよ!
こういった会話を交わすのが普通なんだと思う。
私は薄情なんだろうか。それらを喋りだす糸口が見つからなくって。
テントを片付け、ランキスさんのワープ連打でどんどん移動していく、ナルシュ君の故郷に近付いていく。気持ちの整理がついてるのか否か、自分でもわかんないまま。
そして。
全てが紫に染まった光景。
ここで、ナルシュ君は生まれ育ったんだな。
周囲は何十メートルも高さがありそうな樹木で囲まれてる、深い深い大森林。
右を見ても左を見ても、上も下も360°ぜんぶ紫。
木の幹も葉っぱも草花も、ほぼ全てが紫の色素で構成された、なんとも奇妙な光景。
ただ私達みたいな猫型獣人には上手いこと保護色になってくれて、慣れてくると不思議と居心地のいいのが不思議だ。
もしナルシュ君が奴隷狩りの被害に遭わなかったら、この紫の森で狩猟とか畑仕事とかして、家族で気ままに過ごしていたんだろう。
集落の門の傍で、母親らしき女性が座って待っていた。
つやの少ない体毛。病弱と聞いていたけど、やはり具合は悪そうだ。ナルシュ君より一回り小さい男の子も座っている。彼はきっと弟だろう。
「母さん」
「……おかえり」
ナルシュ君とお母さんが交わしたのは二言だけ。
言葉は要らなくて、静かに抱き合っていた。
ナルシュ君の実家は材木を蔦で編んで、屋根には緑色の藁みたいなの乗せて造られていた。
豆腐小屋って表現は失礼かな? 周りの家々もだいたいそんな簡素な感じだ。
やっぱり私達みたいな猫型獣人の手指や爪って、大工仕事には向いてないのだろう。
お邪魔させてもらって、どうぞと出してくれたお茶はなんだか紫色で、甘酸っぱい独特な風味だった。
「皆さん。ナルシュを、本当にありがとうございました」
ナルシュ君のお母さんは私達に深々とお辞儀をしてくれた。
お母さんのそれを見て、私は。
ようやく踏ん切りがついたような気がした。
ナルシュ君は家族で暮らすべき。傭兵をやってちゃいけないんだ。
ウェルザーさんとオランタさんとはしばしここでお別れだ。
グリンラード公国の国民は、エルフなどの亜人によって構成されていて人間はごく少数なのらしい。
加えて2人とも破門されたとはいえ。人族至上主義を標榜する、いわば戦争の切っ掛けとなった聖堂教会の関係者がお邪魔するのは良くないと判断したよう。
とりあえず数日間、集落の族長さんの家に滞在させてもらうのだそう。
つまり向かうのは私とお兄様、ランキスさんとリリファさんの4人で、ああだけど、帰りは3人に減ってるから。
でもその前に私にはやらなくちゃいけないことがある。
ねえナルシュ君。離れててもずっと友達だからね、また遊びにいくよ!
「アリス……」
言え、た。ちゃんと言えた、ちゃんと。
潤みそうになる目元を我慢する。お別れを哀しくしちゃ駄目だから。
「アリス!」
物思いに耽っているとナルシュ君が。
「ラズウェルさん、ランキスさん。10分、いや5分だけアリスを借りていっていいですか!」




