62話 反撃ってのは徹底的にやるべきなのよ
この世界に水着は存在しないらしくって、ジーパンを直に履いて女性は胸にサラシを巻くのが基本なのらしい。
というのも水辺で遊ぶという習慣が庶民にない。まあ日本みたいに安全じゃないし。そもそも極一部の大金持ちを除いて、気軽に観光を楽しむような世界観でもない。
で、3日目の今日この頃。せっかくホテル屋上のプールを私達専用にしてくれたけど、残念ながら私は泳げない。
元から水泳授業が苦手だったのに加えて今の私は猫型獣人。毛むくじゃらで水浸しになったら乾かすのが大変だし、あと時期的に抜け毛がヤバいことになっちゃう。
一方リリファさんは華麗な潜水で静かに泳いでる。30mほど先のプール端に、水飛沫一つ立てず上陸してた。なにやっても優雅だし、ここまでくると嫉妬すら湧かないなあ。
そんな彼女を眺めながら、私はプールサイドでシャーベットを堪能してる。会談の時に美味しかったとウェイターさんに伝えたら、食事のときにサービスしてくれるようになったから。
しっかしいいのかね。みんな汗水流して労働してるのに、TV芸人のグルメレポートみたいに、適当に遊んで金儲けしてて。こんなのんびりしてて給料が発生するのだから、そのうち世の中舐めてるって怒られそうだ。
「美味しいかいアリス? たくさん食べてね」
ちょっと困ったのはバーベキューのとき位なものかな。
なにせお兄様やリリファさんが咀嚼した肉を口移しで食べさせてくれようとするから。
唾液のせいで肝心のお肉の旨味が損なわれてて、シャーベットに至っては酸っぱい液体になっちゃった。
申し訳ないけど食事を楽しめないので止めてくれって伝えたら二人とも慟哭してしまった。
一食につき数回くらいならいいよと言ったら二人とも喜んでくれたからいいけど。
プールの後のサウナは最高だ。こんな最高のサービス、日本じゃ経験したことないや。
磨かれた床や壁や天井はどこもピカピカで隅々まで清掃が行き届いてる。土足で歩くゾーンなのに。
ところどころに置かれてる石像とか絵画は鑑定したら幾らになるだろうか。そして美味しい高級料理。こんな豪華なホテル、日本だったら一泊するのに何十万円必要なんだろう。
「クソッタレが。面倒な仕事だな!」
ぶしつけな貴族が2名いた、苛立たしげに壁を蹴っている。いい年した大人なのに。
なんていうか、貴族の仕事なんて知らないけど庶民からの税金で生活できてるわけなんだから。もうちょい立ち振舞いとか丁寧にやれないかな。
しかもここはミステクタで貴方達は外交官なのだから。怒らせるために来たんじゃないでしょうに。
ともあれ彼らはとっても機嫌が悪い。一昨日と昨日の会談がよっぽど気に入らなかったのだろう。絡まれる前に離れた方がよさそうだ。
「お前、我々を睨んだな」
どうやら距離が足りなかった模様。なんか憂さ晴らしの獲物を見つけたような表情してるし。
「亜人だかいい身体してるなあ」
「亜人は反吐が出るが、貴様が望むなら夜伽の相手をしてやってもいいぞ」
何言ってるの?
カニエ爵だけだと思ってたけど、この異世界ってロリコン貴族が多いのかな。私の怪訝な表情に業を煮やしたのか貴族は。
「亜人奴隷の分際で生意気なガキだ」
「少しばかり躾けてやらんとなあ」
みたいな三流悪役みたいなセリフを言いながら抜刀した。え、マジで抜刀? ここホテルの廊下だよ。
私の困惑なんて関係なく一人が斬りかかってくる! まあ避けるけど。
だって単純に遅い。多分だけどまともに鍛えたことないんだろうな。服の上からでも肉はブヨブヨなの分かるし。
「おいおい抵抗するなよ亜人奴隷」
「あんな木っ端傭兵団、僕のパパなら一瞬で壊滅させちゃえるんだぜ」
いや抵抗してないよ、避けただけだもん。
なんか日本の学校を思い出すなあ。当時はみんな理由つけては憂さ晴らしに私を殴ってたし。
再び斬りかかる貴族。足払いで転倒させしばし考える。
怪我させないよう慎重にやらないと。うーん弱っちいし徒手空拳でも勝てそう。でも貴族だし、さてどうしたものか。
「……なにをしているの」
リリファさんはいつもの無表情で呟いた。そういえば部屋に戻ろうとしてたんだっけ。
「ハハ、亜人の餓鬼がもう一匹湧きやがった!」
「手間が省けたぜ」
まるでモンスターみたいな扱いだな。『亜』だけどそのあとちゃんと『人』って文字があるんだよ。もうちょい差別意識なんとかならんかね。
「……アリスに斬りかかったのね」
「喋んなよ亜人の分際で」
「なんならてめえも僕達ゴファ」
貴族は最後まで喋れなかった、何故なら。
言い終わる前にリリファさんが一気に距離を詰め、剣を持った貴族の顔面を殴り飛ばしたから。一振りの拳が、首から上を次々と破壊していく。
「おいてめえら。ダチに手ェ出しやがったんだ。タダで済むと思うなよ?」
リリファさんは普段とはまるで違う口調。眉間に深く皺が寄っている。
初めて見る表情だ。リリファさん、本気で怒ってるの?
倒れる貴族の太腿に勢いよく踵を落とした。骨が粉砕される音が廊下全体に響く。
「麻痺毒で動けないでしょう、でも痛覚は残してるわ。……ここからが地獄よ」
冷たく言い放ちながら貴族の首元を持ち上げ、腹部に拳をめり込ませる。何度も、何度も執拗に。
床中がどす黒い血液と臓物っぽいのが撒き散らされ、衣服と肌と混じっちゃって区別つかないくらいになって、ようやくリリファさんは攻撃を止めた。
ドロドロの汚いゲル状物質が散らばっている。かろうじて息はあるみたいだけど。
「……死んでないわよ、生命活性剤を注入しながら殴ってたから」
最後は興味なさげに投げ捨てた。とうの昔に気絶してるのが救いかな。
「ぐぐ、ぐ、グレイシャー殿! おの、おのれれ、あ、亜人の分際で」
もう一人の殴られてなかった方の貴族が怒鳴る。腰が抜けて座り込んでるけど。リリファさんが睨みながら一歩踏み出し。
「ヒイッ」
貴族は悲鳴を上げ脱兎のように、身体を引きずり何度も転びながら自室へと逃げていった。
えーっと、さすがにやり過ぎじゃ。
「アリスは優しいのね、愛してるわ。でも反撃ってのは徹底的にやるべきなのよ。もう二度と愛しのアリスにちょっかい掛けてこないようにね」
うーん理屈は分からないでもないけど過激だなあ。
「アリス、怪我はなかったかい」
お兄様とランキスさんが廊下の向こうから走ってくる。
「派手にやったなー。想定通りっちゃ想定通りなんだが」
ランキスさんは頭を抱えて、でも叱る様子はまるでない。
「支配人さん」
タキシード姿の老人にランキスさんは話し掛けた。
「迷惑を掛けてすまない」
「一部始終を把握しております。後の処理は我々にお任せください」
数人の作業員さん達が清掃用具を持ってきて、壁に付着した血痕とかをキレイに、それから絨毯の取り替えとかを淡々とこなしていく。あと貴族も運ばれていった。
今更だけど日本の、というか私の価値観を当て嵌めていっちゃダメなんだろうな。
ところで私達に襲いかかったってことは。ナルシュ君とあとシバ君も心配だ。大丈夫だろうか。




