ⅩⅢ・水泳大会
いよいよやってきた、中学校生活・最後の「水泳大会」。
でもぼくは、特にコレといって緊張してなどいなかった。むしろ、ワクワクした気分。まあ多少、朝メシの喉の通りは悪かったけど…それは純粋な「期待感」。朝からチョットばかり、「興奮状態」になっていただけだ。なにしろ…
『今年こそは…』
そんな思いと…
『水泳で死にっこないよ』
モーター・スポーツの場合は、それが「期待」による「緊張感」なのか、「不安」からくる「恐怖心」なのか、わからない時がある。ココロの片隅に、「冷静さ」や「客観性」を残しておかないと、痛い目に遭う。
でも、「たかが水泳」。それも、「たったの50メートル」。アタマん中、キレまくったってヘッチャラだ。もう、「爆発」するっきゃない。
(ぼくのカラダは、基本的には「持久」型だけど、こと『水泳』に関してだけは、超「瞬発」型。「アドレナリン」とは、非日常的な状態に遭遇した場合などに、副腎から分泌されるホルモンで、一種の「興奮剤」みたいなものらしい。「持久」型か「瞬発」型かは、生まれ持った筋肉の質や割合で決まるというけど…速筋系の「白」、遅筋系の「赤」。もちろん、きっちりと分かれるものじゃなく、中間的特色を持った・中間色「ピンク」もあるそうだ…こういった体内合成物質によっても、影響を受けると思うのだ)。
それにぼくは、どちらかと言えば「本番に強い」タイプ。練習じゃ、いまいち気合いが入らない。
だいいち、校内の「水泳大会」や「球技大会」なんて、年に一回。「プレッシャー慣れ」してるヒマなんてない。たぶんぼくには、「プレッシャー」を跳ね返せるだけの、「集中力」があるのだと思う。
(ましてや今では、「剣道」や「カート・レース」など、「プレッシャー」を感じる回数はフツーの人より多いのだから、「慣れている」と言えば「慣れていた」)。
朝方うっすらとかかっていた霧も晴れ上がり、午前中の夏の日射しが差しはじめた。
全校生徒が、プール・サイドの周りに集められる。
(M・Kさんは、水泳が苦手みたいだ。理由はわからないけど、昔から見学組に回る事が多かった。きっと「水泳」が嫌いなのだろう。今日も制服を着ている)。
クラスのトップ・バッターはK子。
「三年女子・平泳ぎ」
ぼくは、スタート台の後ろのほうに立っていた。ちょっとドキドキしたけど、心配ない。K子は「断トツ」に速いから…。
『?』
スタート前。台の上に立ったK子は、チラリと・こちらを振り返る。ふだんはオットリしてるけど、さすがにチョットこわい顔。ぼくの姿を確認すると前に向き直り、スタートの態勢に入る。
ピストルの合図と共に、ストンと向こう側に消えていった。
『ヨシ!』
案の定、K子はトップでゴールした。少し息を弾ませていたけど、涼しい顔でプールから上がってくる。
(その・ずっと後になって、中学生の女の子が、オリンピックの「平泳ぎ」で金メダルを獲った。それ以来、メダリストの女の子と、この時、水を滴らせながらプールから上がってきたK子の姿が、ダブるようになった。案外「平泳ぎ」は、小さくて細い子が向いているのかもしれない。メダリストの女の子の泳ぎを分析したテレビ番組を見た事があるけど、身体の角度と水の抵抗が…とか言ってた。きっと・あの女の子は、大きくなって、そのへんのバランスが崩れてしまったのかもしれない)。
『あの子は、ぼくの彼女なの?』
どうやら・それは、ぼく次第。
『こういう事は、トットと済ませとこう』
ぼくは、何か気に掛かる事があると…何がしかの行動が伴う、あるいは、行動を起こさなくてはいけない事は…サッサと片付けておきたいほうだ。
(もっとも、自分が望まない「やっかいごと」は、先ざきにのばして「立ち消え」を期待してしまうけど…。それは、みんなも同じだよね?)。
「コレ!」
今朝。プールに向かう、人気のない、薄暗い廊下。
ちょうど良いタイミングで、K子がひとりになった時…と言うより、少し遅れて教室を出たぼくの後に、K子が着いてきた時。ぼくは振り返る。
「おみやげ(の…お返し)」
丸めて包装紙に巻かれたペナントは、そんなにかさばる物じゃない。ぼくは「日光」で買ったおみやげを、K子に手渡す。
K子は、「タハハ!」って感じでテレ笑い。ぼくは、どんな顔をしてたんだろ?
「ありがと~」
『うん』
必要な事は、すでに済ませてあった。
『さて…』
腕を振ったり、肩や首を回したり…
「三年男子・自由形」
いよいよ、ぼくの出番だ。左から二番目の、「第二のコーナー」。
『フン!』
全員の目が届くプールは、「スタジアム」みたいで大好きだ。
(クラス・メイトたちの一番後ろで立ち上がり、こっちを見ているK子)。
特に、一段高くなったスタート台に立つと、胸のすく思いがする。
(大会本部のテントの下にいるM・Kさん。M・Kさんは生徒会役員。「書記」を務めていたからだろう)。
ぼくは、そういうタイプの人間なのだ。
(一年の時の担任、G先生)。
ぼくには、そういう面もある。
(二年の時のY先生。そしてK先生…その他もろもろ)。
だいたい、「競争」が好きな人間なんて、「目立ちたがり屋」に決まってる。勝って「已」を誇示したいのだ。それを、おもてに出すタイプと、内に秘めるタイプの違いはあるけど…
『?』
スタート台に立つ連中の顔を目で追っていくと、向こうから二番目に、「モリユキ」がいる。小柄だけど水泳部員。
ぼくとモリユキの間には、ふたりの選手。でも、ほかの連中なんて、眼中になかった。ぼくの相手はモリユキだけだ。
「ン~ッ…」
ぼくは、左肩にキズの入った胸を張る。
まだサーモン・ピンクの傷口は、「ミミズ脹れ」のように浮き上がっていたし…その周りの皮膚は、感覚が鈍ったままだ。
『足の裏を、蚊に刺されたみたい』
神経のいくつかが、麻痺しているのだろう。触れても自分の身体じゃないみたいで、気持ち悪い。
(正常な触覚を取り戻すまでには、それから長~い年月を要した)。
「フ~」
大きく一回・深呼吸。もうK子の顔も、M・Kさんの姿も浮かんでこない。
「よ~い」
グッと両肩をすぼめるように、前傾姿勢。
「バン!」
鳴り響く号砲とともに、低い位置から遠くを目指して、身体を伸ばす。
ぼくはスタートの飛び込みに関して…オートバイの「モトクロス」のジャンプの要領からヒントを得た…独自の理論を持っていた。
(と言っても、バイクのテクニック本から学んだ『耳学問』だけど…)。
『地面(水面)スレスレを、なるべく遠くに飛んで、着地(着水)と同時にフル・スロットル(全開で泳ぎ出す)!』
「ドルフィン・キック」ができないなら、水中に潜ってしまうのは無駄な行為だ。それに低い位置からなら、「腹ブチ」も大して痛くない。
(何度も言うけど、ぼくは打たれ強い体質だ。それに・だいたい近頃では、「市営プール」なども全面「飛び込み禁止」になってしまい、水泳部員でもないぼくは、スタートの練習ができなかった)。
「バシャン!」
予定通りの飛び込みの後、全速力で泳ぎ出す。たったの50メーターだ。ペース配分なんて関係ない。
「ゴボ・ゴボ・ゴボ…」
ふだんのキックは「ツー・ビート」だけど、短期「決勝会戦=決戦」の時は別。あるもの全部を、全力で使う。
「グイッ! グイッ! グイッ!」
最初の25は「ノー・ブレス」。手の平を大きく広げて、グイグイと水をつかむ。
「手をこうやって、水を掻くんだ」
ソイツは指を開いて、手を熊手のようにして見せた。それが、ソイツが教えてくれた事で、唯一・役に立った事だ。
小学校の時の、体育の教師。
ぼくはソイツが大嫌いだった。だから・いつも、学校での合同練習には参加せず、ひとり市営プールで自主トレに励んでいた。
小学校六年の夏。ぼくは学校の代表として、市の水泳大会に参加した。
「個人・自由形」に出場した友達は、スタートをミスって惨敗だった。
ぼくは今でも、はっきりとおぼえている。スターターの方を見て、彼が落ちて行くシーンを。
彼は水を飲んで、まったく良いところが無かった。
「フライング」で、やり直しのタイミングだった。本人も、そのつもりだったはずだ。でも無情にも、スタートが成立してしまった。
いったい役員の奴らは、どこを見ていたのだろう?
(彼は・その後、野球の強い高校に進み、キャッチャーとして甲子園に出場した)。
ぼくは、一番速く泳ぐ自信があった。でも、リレーにしか出させてもらえなかった。
50メートル泳ぐ間に、ぼくは二人抜いた。でも、トータルでは大した成績ではなかった。
「プウ~」
タッチのついでに、最初の「息つぎ」。
(ぼくは水泳部じゃないから、「クイック・ターン」をマスターしていなかった。不完全なものを・ここで試して、失敗するわけにはいかない。でも、「クイック」さえできていたら…)。
「ゴボ・ゴボ・ゴボ…」
復路に入って、ぼくは泳ぎながら周りに目を走らす。
でも、夏も終わりに近かったこの時期、プールの水は濁っていて、見通しが利かない。
(『傷だらけの天使』の冒頭。バックに聞こえる、昼間の都会の喧騒。レンズを白く塗った競泳用ゴーグルを、グッと持ち上げる「ショーケン」の姿。そこからテーマ・ソングが流れ、ドラマが始まる。スイミングではなく、睡眠用アイ・マスク代わり…という設定なのだが、今では当たり前の水泳用ゴーグル。でも・あの頃は、そんな物、実際に手に取った事などなかった。いつだって泳いだ後は、「塩素」のせいで、目がまっ赤だった)。
『モリユキは?』
向こうだって、こっちが見えないはずだ。
『前にいるのか、それともうしろ?』
25メーター・プールの中間地点で、二度目の、そして最後の「ブレス」。
「グイッ! グイッ! グイッ!」
息をこらえて、とにかくゴールに…タッチ。
「プーッ」
水から顔を上げ左を向くと、ちょうどモリユキも、こっちを見たところだった。
『そんな所にいたのかよ』
『勝ち名乗り』は…「モリユキ」のほうに上がっていた。
※ ※
「シコンブ、一位じゃなかったの?」
二年の時の、クラス・メイトの女の子。ぼくの事を「シコンブ」と呼ぶ女子は、二年の時のクラス・メイトだけ。
「ダメだったみたい」
はた目にはわからないほどの、僅差だったようだが…
『もっと水が澄んでいたら…』
闇の中を、ひとりで泳いでいるようなものだった。そんな中、タッチの差で負けたのだ。
「チェッ!」
思い返していると、だんだん不満が募ってきた。
『ちっくしょー!』
ぼくは、もっと気持ちの良い「戦い」がしたかったし…負けなら負けで、納得のいく負け方がしたかった。
「ん…?」
ぼくが水から上がり、すぐ近くのフェンスにもたれかかって、ひとり黙って座っていると…
「シコンブ〜…」
そこに、「シュン」がやって来る。
「あのさ~」
ぼくは続いて、「リレー」も泳いだ。「リレー」代表だった「シュン」こと「春一」に、頼まれたのだ。
「先生には、体調悪いって言うから…」
ぼくに異存は無い。
だいたい、脳ミソまで筋肉でできているようなぼくらの担任「K先生」は、時々気遣いの無い事をする。
小柄で細くて水泳の苦手なシュンは、25メーターを泳ぐのもやっとなのだ。先生にしてみれば「鍛錬」のつもりなのだろうが、はっきり言って「イジメ」に近い。
(唯一、自慢できる事は…同級生の男子全員が、何かにつけK先生に鉄棒の「蹴上がり」を強制され、おそらく・ほぼ全員ができるようになった事ぐらいだ。高校に行った時、他の中学から来た奴に「Y北の連中は、みんな『蹴上がり』ができる」と言わしめたが…別の学校に行った同級生も皆、同様だった事だろう)。
ぼくは周りにウムを言わせないため、「呼び出し」が掛かると、サッサとスタート台に立った。
向こうの方ではK先生が、目を丸くして・こっちを見ている。
『フン!』
鬱憤晴らしには、ちょうどいい…。
『もういっちょう!』
ぼくがプール・サイドに上がっても、他の連中はまだ水の中。ぼくの大量リードのたまものか、ぼくのクラスは、これでふたつ目の「一等賞」。
その事については、何のお咎めもなかった。
『フン!』
これで終わりだ。
* *
気だるく、暑い午後だった。
でも、泳いだ後の、心地好い疲れ。
開け放った窓から、時おり舞い込む風の中、ぼくはベッドにうつぶせになって、まどろんでいた。
『あれは、いつの事だったんだろう…?』
初めて泳いだ日。
水遊びなら、うんと小さい頃からやっていたけど、初めて「泳いだ」と言えるのは…
腰にも達しない深さのプール…あれは「どこ」だったの?
大きく傾いた、夏の太陽の光…白くフチ取られた、プール・サイドに反射してる。
もう、閉園まぢかだったのか? まだ昼間の暑さが残っていたけど、あたりは閑散としていた。
『やってみよう』
特別、何かの理由があったわけじゃない。
でも子供心に、そう決心した。
「ス~」
大きく息を吸い、ギュッと目をつむって…
「ザブン!」
水に顔を突っ込んだ。
「バシャ! バシャ! バシャ…」
そして無我夢中で腕を振り回し…
「プーッ!」
息が切れた所で立ち上がる。
「へヘン」
後ろを振り返り、ほんの少しだったけど、自分が進んだ距離を確認して、ぼくはとっても満足だった。
たぶん、小学校・低学年の事だ。
“All Summer Long…”
ステレオから流れる曲は、英語で「夏のあいだじゅう…」とコーラスを繰り返している。
ぼくは、あの映画のラスト…
青い空をバックに、双発のプロペラ機が飛んでいるシーンを、思い出していた…。




