ⅩⅢ・グレイブ・ヤード
「お父さん、早くしないと…」
台所の方から、妻が叫ぶ。
三歳になったばかりの長男が足にまとわりつき、生後六ヶ月になる娘の鳴き声が響きわたる。
「わかってるよ!」
私は、慣れないネクタイに手こずりながら怒鳴った。
学生時代、それまで縁もゆかりもなかった土地からやって来た女性と知り合い、いっしょになったが…。
どうやら私は、「時代」に必要とされる存在ではなかったようだ。
あれから、進学・就職・結婚・出産と、人並な人生を歩んで十数年の歳月が流れた。
私は喪服を着、黒いネクタイを締めて家を出る。
「チェッ!」
真夏の強い陽射しがうらめしい。
「地球温暖化」なんて言われているが、要因はいろいろある。
だいたい・あの頃とは、「暑さ」の質が違う。室内を冷やすための熱気を、屋外に放出している。どう考えたって「悪循環」だ。
だから、こんな田舎にだって、街中ともなれば、「ヒート・アイランド現象」があるはずだ。
『あの頃とは違うよ…』
あの頃、時間は止まったかのようだった。
でも確実に、時は過ぎていた。その後の人生の長さを考えると、一瞬の出来事だったようにも思われる。
「ふう~」
時代は変わった。
家を出ると、すぐ裏手に見える高架の上を、黄色っぽい、変な色の新幹線が通り過ぎる。たぶん、点検車両か何かだろう。
幼いころ憧れていた新幹線が、今では自分の家のすぐ裏を走っているなんて…。
『新幹線なんて、あって当たり前のぼくの子供たちは、いったい何に憧れて成長していくのだろう?』
「情報化社会」
でも、世の中の事がわかりすぎてしまうのも、退屈なものだ。
絶海の孤島に、謎の種族や怪獣。地底都市や金星人に火星人…小学生にだって、笑われてしまいそうだ。
『ぼくの子供たちは、いったい何を夢見て育っていくのだろう?』
ちょっと心配だ。
都会の大学を卒業した後、郷里に戻って再就職して以来、ふたたび・この家に住んでいる。
(私の年齢と・ほぼいっしょだから、築数十年。最近、外壁だけサイディングした)。
今では家のすぐ脇を、線路のこちらと向こう側を結ぶ地下道が走り、交通量は一気に増えていた。
浪人・大学・そして最初の仕事と、時代が大きく移り変わる時期を他の土地で過ごした私は、Uターンで戻って来た自分の生まれ故郷に対し、大きな喪失感を抱かざるを得なかった。
移り変わりが、いっそう加速している現代。十年近い歳月は、あの頃の数倍に匹敵する。
…市役所の裏手にあった、私の通っていた幼稚園は、時代の流れか郊外に移り、市役所すら別の場所に移され、もうそこには無い。
…家から歩いて十数分の所にあった小学校も、新幹線が・その敷地をかすめる事になったためか、別の場所に移り、中学校よりも遠くになってしまった。名前は昔のままだが、もはや自分の母校という感覚は、まったくない。
…中学校も、とうの昔に卒業してしまった人間には近寄り難く、かたく門を閉ざしている。
…あの当時、やっとこの地にたどり着いた高速道路は、今ではずっと先まで延長され、新幹線の開通は、まだ未開の状態に近かった駅の反対側の土地を、ビルが建ち並ぶオフィス街に変えた。
街は・どんどん外側に伸びて行き、郊外に造られた工業団地は、多くの企業を招き入れた。
(土がコンクリートやアスファルトで覆われたぶん、夏の霧も、めったに立たなくなっていた)。
道行く女性はきれいになったが、多くの「よそ者」が、大手を振って歩いている。
(誰が・どこで何をしているのか、ほとんど知らなかったし、知る由も術も無かった)。
遅れて帰って来た私は、そんな変化に疎外感を抱き、抵抗と反発を覚えた。
(でも、無駄なこと…取り残されてしまった私の方が、よっぽど「よそ者」だった)。
「ふう〜!」
私は、顔をしかめて歩き出す。
今日は近所の「組内」で、不幸があったので、仕事を休んで葬式の手伝いだ。
(まだ父親名義の家とはいえ、世帯主はこの私だし、アパートや新興住宅地ならいざ知らず、このあたりは、昔ながらのしきたりや付き合いが残っている)。
まずは市役所の出張所へ向かい、埋葬手続き。
「組内」の中で一番若造の私は「つかいっぱ」だが、かえってそちらの方が気が楽だ。
でも・いずれは、「仕切り役」が回ってくる日が訪れるはずだ。もっとも・その頃には、「組内」なんて付き合い自体、残っていないかもしれないが…。
(「制度が崩壊する」以前に、その構成員がいなくなっているだろう。街中には、子供がいないのだ。近所にあった三軒の駄菓子屋が、店をたたんでから久しい。残っているのは一軒だけ…それも、「細々と営業を続けている」といった感じだ。
『ヨイショ…ット』
家から徒歩で十~十五分。きょう葬儀を出した家が檀家になっている寺の墓地。
ここは、「半土葬」と呼ばれる埋葬形式。敷石をどけて、骨壷を収めるための穴を掘らなくてはならない。
一番若い、私の役目だ。
「ふ~」
真夏の真昼の暑い時間。
穴を掘り終えた私は、汗を拭いながら、焼香の列の一番後ろに下がる。
手持ち無沙汰に…
汗で張り付くYシャツをあおりながら…
何とはなしに、あたりを見回していると…
『ん?』
その近くにあった墓石。フト目にとまった苗字。
「○○家 先祖代々」
見慣れた名前だ。でも・だからといって、心当たりがあるわけではなかった。
私は何気なく、その横に彫られた墓碑銘に目を走らす。
『!!』
そこには、思い当たる名前が刻まれてあった。
『そんな歳で…』
没年と享年を計算すれば、まず間違いない。
『…』
私は声も出なかった。
…蒸し暑い夏の日。
…わき立つ入道雲。
…青い空に響き渡る、木魚の音。
…あたりに漂う線香の香り。
『…』
私は思い出していた。こんな事でもなければ、黄泉帰る事もなかったのかもしれない…
忘れかけ、思い出す事もなかった日々。
もう帰れない・取り戻せない日々。
「あんな日々」は、もう無いのだろう。でも、誰にだってあったはずだ。素直に無邪気になれた日々が…。
でも、こんな狭い所に閉じ込められるのは嫌だった。
最後に私は思った。
『せめて、冷たい墓に入れないでくれ』…と。
〈了〉




