先生
何を釣っているのか興味があったので近づくと、釣り人に声をかけていたその男性が振り返った。少し離れた場所からではあったが、僕の方ではそれが誰かわかった。
その人は、僕が通う大学の講師だった。僕はその時、その先生の講義を大教室で受けていたのだ。
僕は挨拶をしたものかどうかと躊躇していたが、意外なことに先生の方で僕を認めた。
「おや、あなたは」と先生は言った。「私の講義を聞いている学生さんですね」
その言葉をきっかけに私は先生に挨拶をすることができた。
朝早くからどうしました、と聞かれ、「気分転換です。昨日の夕方ここへ来て、海を見ているうちに一晩ここで過ごしてしまいました。ここは気候が穏やかで海も静かで気持ちがいいです」と答えた。
釣り人と先生が一瞬目を合わせ、それから先生が静かに笑った。
「それはいい」
そして先生は、何かに気がついたように「君は、いつも最前列で講義を聞いていますね」と言った。
僕が「当たり前です」と答えると、先生は少し驚いた顔をした後で「ふむ」と頷いた。
その時、子供の嬌声を聞こえた。先生がハッとした表情をして首を回した。その視線の先には、波の満ち引きに合わせて波打ち際を走り回っている小さな子供と、それを見ながら笑う夫婦の姿があった。先生はその光景をじっと見ていたが、僕の視線に気がつくと目をそらせて釣り人に注意を戻して、それきり僕への関心をうしなってしまったようだった。僕はその背中に頭を下げてから、またブラブラと海岸を歩き出した。




