26.泥だらけの英雄
巨大蟹のハサミが引き抜かれた直後、違和感を感じた。
「……手応えが軽い…?」
『これは、自切よ!ガズくん!』
自切、外敵に襲われた際や強いストレスを感じた時に、自らの意思で脚やハサミを切り離す防衛行動だ。
防御、即ちそれは、攻撃に転じる前の動作だ。
「自切部位は破棄!蟹は!?」
『了解!…目標、目の前!これは……』
巨大蟹は、泡を吹く。それも尋常な量ではない。まるで、巨大の蟹の前に泡の壁を作る勢いで吐き出している。そして、それを盾にするように巨大蟹は後退を選んだ。
『泡は…エラを湿らせて酸素を取り込むため…もしくは苦しみのサイン…』
「攻撃が効いているのか?踏む込む!」
「!?…待って!!」
その制止は間に合わなかった。一歩踏み込んだ時、予想に反してそれは深く干潟に入り込んだ。
『罠よ!泡を受けた干潟が沼地のようになってるわ!』
「分かった!泡を避けて回り込む!」
干潟での戦闘。二足歩行のフェリドゥンでの歩行、走行は問題ない、という分析が出ていた。しかし…
「クソ!また泡だ!」
巨大蟹の泡を受けた干潟は別なようだ。
もし先ほど、構わず踏み込んでいたら、どこまでフェリドゥンの足が沈みこんだのか、分かったものではない。
そして、徐々に泡は消えていく、沼状になった干潟の土地を残して。狡猾な罠だ。
『周辺地図上にマッピング!泡に囲まれないように経路を選択して!』
「了解!」
ただし、対策はこちらも打っている。
現在、サブモニターの一つには、バランサーユニットからエルのサポートで干潟の地図が表示されている。
そこには、泡の散布された場所、沼状になった進行危険地帯が映っている。
「『左手武装』、決め手になると思うか?」
『難しいわね。つくづく泡が厄介、せめて接近出来れば……』
今回、予測された巨大災害の中で、甲殻類は最も警戒した生物だった。
変則的な動き、装甲のような外骨格はもちろん、そのコアの場所のわかりずらさも。
俺達がもっとも避けるべきなのは、コアを外して致命傷を与えること。そうなれば、漁港一帯は『ハザードマテリアル』汚染区画になってしまう。
それ故の『左手武装』だったのだが、接近出来ないと使えないのだ。
罠に掛かるのを待つ巨大蟹、罠を見極めるも未だ接近出来ないフェリドゥン。
互いに攻め手なし。そして、先に焦れたのは腕一本で後が無い巨大蟹。
『対象!突っ込んでくるわ!』
巨大蟹の突撃は、一度目より勢いがなかった。足場の影響を受けるのは、フェリドゥンだけでは無い。
八脚の巨大蟹も当然のように脚を捕らえる。まるで、自分の仕掛けた罠に掛かるように、その行動は愚かにも見える。
「了解!残った腕も捕らえて……いや、違う!」
巨大蟹が目指したのは、俺達では無かった。フェリドゥンの攻撃圏内を離れ、後ろへ。俺達を無視して、漁港に…?
「まさか…!」
『そんなことって…!?』
フェリドゥンを振り向かせる。メインカメラに写ったのは、信じられない光景。
特に、生物学を勉強してきたエルさんにとっては、より強い衝撃だったのだろう。
――ジジジィッ!
巨大蟹は、自切したハサミを拾い、掲げていた。
道具を使う動物、珍しいが確かに存在する。
石で木の実を割る霊長類、枝で虫を捕る鳥類も確認されている。
そして、甲殻類にまで範囲を広げれば、蟹もその一員である。
キンチャクガニ。「ボクサーガニ(Boxer Crab)」や「ポンポンガニ(Pom-pom Crab)」とも呼ばれる。
その蟹は、両方のハサミで小さなイソギンチャクを掴み、近づく外敵を威嚇、撃退する「盾」や「武器」として利用する。
「エル、蟹が武器を持った持ったとしたら、どんな動きが予測できる?」
『把握力は不安定、関節の可動範囲、避けられた時まで考慮するなら……打ち下ろし、ね』
自分たちでも驚くほど、動揺した時間は短かった。もとより『巨大災害』、巨大生物では無い。
人が超えるべき、災害なのだ。
「『左手武装』を使う。同時に右、超油圧クローブレーカの準備、並列作業、いけるか?」
『了解。そちらこそ、きっちり避けてね?』
言葉にせずとも伝わった。俺達が狙うのはカウンター。
打ち下ろしを避け、『左手武装』で拘束し、必殺のクローブレーカでコアを打ち抜く。
シンプルな勝利条件。猶予は無し、避け損ねれば質量の暴力にさらされる。
干潟に沈むのはどちらか、次の一撃で全てが決まる。
――ジジジジジィッ!
硬い駆動音を悲鳴のように響かせ、巨大蟹が跳んだ。
失ったはずのハサミを不格好に掲げ、沼地を爆発させて肉薄する。質量そのものが降ってくるような錯覚。上空を覆う巨大な影が、俺たちを潰そうと真っ直ぐに振り下ろされる。
「今だ……っ!」
泥を踏みしめ、フェリドゥンの腰部を鋭く捻る。シミュレーターで体に叩き込んだ、極限の回避ステップ。鼻先をかすめるような恐怖と同時に、左腕を正面へ突き出した。
「喰らい、やがれッ!!」
『左手武装、ランチャーネット、射出!』
エルさんの叫びと同時に、高圧ガスが爆ぜる音が響く。
放たれたワイヤーネットが、打ち下ろしの勢いのまま身を乗り出していた巨大蟹の五体を絡めとった。
肉を締め上げる金属繊維の網。しかし、敵もただでは倒れない。
――ギギギギガガガガッ!
網を破ろうと、巨大蟹が狂ったように暴れ狂う。激しくのたうつ多脚が干潟の泥を巻き上げ、大量の泡混じりの泥水がフェリドゥンのカメラへ容赦なく叩きつけられた。
バチャバチャと激しい音が響き、一瞬で視界が泥の色に染まる。
「視界ロスト…!」
『ガズくん!ランチャーネット付属のサーチ機構が生きているわ!メインモニタ切り替え!』
エルさんが送ってくれたのはランチャーネットからのセンサーデータ。
泥の向こう側、激しく暴れ狂う巨大蟹の輪郭。そこに浮かび上がる明確な一点『巨大災害』の心臓部であるコアが、鮮烈な赤色で浮かび上がった。
見えなくたって、関係ない。目ではなく、センサーを信じる。いや、機体を、エルさんを、今日まで重ねてきた訓練の記憶を信じる。
「右、超油圧クローブレーカ、最大出力!!」
右レバーを限界まで押し込む。体に染み付いた要領のまま、暗闇の向こうの「赤点」めがけて、クローを真っ直ぐに突き出した。クローが体表に固定される。
その中心から、コアを砕くべくブレーカは、射出された。
機体全体に伝わってきた激しい振動が、巨大蟹の抵抗が、一瞬ののちにピタリと止まる。
静寂。メインカメラは泥で潰れたまま。手応えはあった。
しかし、泥の向こうで蟹がどうなったのか、視界からは何も分からない。心臓の鼓動だけが、耳の奥でうるさいほどに鳴り響いていた。息を詰めて、次の動きを待つ。
『……目標、コアの完全破壊を確認』
スピーカーから聞こえてきたのは、ふぅ、と深く、長い息を吐き出すエルさんの声だった。
『運用実験第二回、終了。巨大災害の討伐に成功よ。……やったわね、ガズくん』
その声を聞いた瞬間、全身の力が一気に抜けた。汚れたモニターの向こうから、ようやく、俺たちの勝利の報せが届いた。
鋼の機械は勝利の咆吼をあげない。故に泥だらけの英雄は、干潟にてその両腕を掲げた。
やがて、駆動音さえ収まった戦場に仲間からの通信が入る。それは、泥だらけの英雄に捧ぐ勝利の凱歌だった。




