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ことぶき荘の聖域管理人 〜若返った最強おじいちゃんは、掃除ついでに世界を救う〜  作者: 渡部安恵
第一

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3/25

新しい生活は散歩から

【管理人さんの朝】


「ふぁ……。やはり畳の上は腰が落ち着きますわい」


 清々しい朝の光が木造アパート「ことぶき荘」の窓から差し込みます。

 九十五歳の精神を持つ影響のためか、善吉の目覚めは早い。自称神に授けられた青年期の肉体は、たった3時間の睡眠でフルチャージを完了して、みなぎるエネルギーを抑えるのが大変なほどでした。


「さて、まずは管理人の仕事《掃除》ですな」


 善吉は、工事現場でもらったタオルを頭に巻いて共用廊下へと出ました。

 魔法を使えば一瞬で埃一つなく浄化できますが、彼はあえて古びたほうきを手に取ります。


「はっ、せいっ、ほっ」


 超人的な体幹とスピードを、あえて「丁寧な掃除」に全振りする。

 端から見れば、異様にキレのある動きで廊下を掃き清める不思議な青年です。天井隅の蜘蛛の巣を払う際、少し跳躍しただけで天井を突き破りそうになり「おっと、いかんいかん」と苦笑い。


 一通り掃除を終えてアパートの前に出ると、一人の老婦人がゴミを出しにやってきました。


「おや、新しい管理人さん?お若いのに精が出るわねぇ」

「おはようございます。昨日からお世話になっております、国吉善吉くによしぜんきちと申します。以後、お見知りおきを」


 善吉が九十五歳仕込みの完璧な「深々としたお辞儀」を披露すると、老婦人は目を丸くしました。


「あら、まあ!とても礼儀正しいのね。私は202号室の佐藤よ。よろしくね善吉さん」

「こちらこそ。佐藤様、そのゴミ袋……少し重そうですな。わしが持っていきましょう」


 善吉はひょいと袋を預かりました。中身は不燃ゴミで老婦人にはかなりの重量をしていましたが、彼にとっては羽毛も同然。

 そのまま集積所まで軽快に運び、戻っってきた善吉に佐藤さんは庭の隅のプランターで育てていた小松菜を一束くれました。


「いい子ねぇ。これ、お浸しにでもして食べなさいな」

「おお、これは有り難い。土の匂いのする野菜は一番の贅沢ですわい」


 善吉は小松菜を抱え、深々と感謝しました。

 近所付き合いの基本は笑顔と奉仕。

 九十五年で学んだ「ご近所平和の知恵」は、この世でも十分に通用するようです。


 しかし、野菜は手に入ったものの、肝心の「主食も調味料」それに「布団」もありません。

 手元には昨夜の残りの3千4百円。


「……まずは散策がてら、この肉体の馬力を存分に活かせる『食費稼ぎ』の場を探しに行きましょう」



@@@@@



【魔法の無駄遣いと、港の力仕事】


「さて、このまま置いていっては瑞々しさが損なわれてしまいますな」


 善吉はもらった小松菜を手に自室へ戻りました。冷蔵庫などという文明の利器は、四畳半の部屋にはまだありません。


 善吉は小松菜を床に置くと、その周囲に指先でスッと円を描きました。


「このくらいに力を抑えて……」


 自称神から授けられた4大属性魔法の一つ、氷結魔法。本来なら軍隊を一瞬で凍土に沈めるほどの強大な魔法ですが、善吉はそれを「野菜をシャキッと保つための、半径三十センチの保冷空間」として極微量に発動させました。

 部屋の隅に、うっすらと幻想的な白銀の霧が漂い、小松菜は理想的な低温状態で保存されます。


「よし、これで安心ですわい」


 自称神が見たら卒倒しそうな魔法の使い道に満足し、善吉は再び街へ出ました。



@@@@@



『昼下がりの東京湾、コンテナ埠頭』


「兄ちゃん、やる気あるのはいいが……その恰好で本気か?」


 善吉が辿り着いたのは、大型トラックがひっきりなしに行き交う湾岸の物流拠点でした。

 そこにいたのは、昼間の解体現場の監督よりもさらに一回りガタイのいい港湾労働の責任者。


「はい。着替えはございませんが体力と頑健さには自信がございます。何なりとお申し付けを」

「……ふん。じゃあ、あそこの隅にある荷崩れしてフォークリフトが入らねぇ重量貨物を、あっちのパレットまで運んでみな。1個100キロはあるぞ」

「承知いたしました」


 善吉は袖をまくり作業に取り掛かりました。

 周囲のベテラン作業員たちが「おいおい、腰をやるぞ」とニヤニヤしながら見守る中、善吉は100キロの木箱を、まるでティッシュの箱でも持つかのように両腕に持ち上げました。


「せいっ、ほっ、せいっ」


 リズム良く、軽快に。

 鯨サイズのドラゴンを振り回せるように改造された筋力からすれば、100キロなど誤差のようなもの。善吉は重力の法則を無視したような足取りで、瞬く間に山のような荷物を移し替えました。


「お、おい……今の見たか?」

「あぁ……100キロだぞ、あれ。息一つ乱れてねぇぞ……」


 作業員たちが絶句する中、善吉は1時間もしないうちに、本来なら半日かかる作業を完璧に終わらせてしまいました。



「……おめぇ、人間じゃねぇだろ。いや、助かったよ」


 責任者の男は、呆れと感心が混ざった表情で、善吉に2万円の報酬と近くの市場で仕入れた大きなアジの干物を2枚、新聞紙に包んで持たせてくれました。


「ありがとうございます。これでようやく寝床が整えられそうですわい」


 善吉は、手に入れた2万円とアジの干物を大切に抱え、意気揚々と湾岸を後にしました。

 残金は、前夜の分を合わせて2万3千円。

 これで硬い畳を卒業し、ふかふかの安らぎを手に入れる準備が整ったのです。


「さて、まずは何処から行きますかね」


 善吉の頬を撫でる海風は、どこまでも穏やかでした。



@@@@@



『至福の晩酌とふかふかの夜』


 港の稼ぎを合わせた2万3千円を握りしめ、庶民の味方であるホームセンターが併設されたスーパーへ向かいました。


「さて、まずは『生活の形』を整えねばなりませんな」


 九十五歳の魂が求めるのは、贅沢よりも丁寧な暮らしです。

 まず善吉が手に取ったのは、木目の美しい箸、手に馴染む厚手の茶碗、そして素朴なガラスのコップでした。


「器が整うと心が落ち着きますわい」


 日用品売り場を歩いていると、歯ブラシに目に留まりました。

「病気無効」の肉体を持つ善吉。彼の強靭なエナメル質を前にすれば、虫歯菌など門前払いを食らうだけでしょう。しかし、善吉は迷わず一番柔らかい毛先のものをカゴに入れました。


「たとえ菌が寄り付かずとも、身だしなみを整えるのは心の洗濯ですからなぁ」


 清潔感は、かつてのひ孫たちと遊ぶための必須条件でした。その習慣は肉体が若返っても変わることはありません。


 満足のいった品を手に食品売り場へ。夕飯の買い出しにきた主婦で賑わう中、善吉は米の棚の前で立ち止まっていました。


「ふむ……最近の米は実に種類が豊富ですな」


 棚には『コシヒカリ』『あきたこまち』『つや姫』といった銘柄が並びます。善吉は神に授けられた、微細な生命エネルギーを感知する「救世主の視力」を、無駄に米袋の鑑定に使用しました。


「この『コシヒカリ』は粘りが強そうだ。だが、今夜のアジの干物にはもう少し粒立ちの良い……おや、この『ななつぼし』は冷めても旨いのですな」


 善吉は5キロの米袋を手に取り、精米時期を老眼知らずの瞳でチェックしました。


「精米から3日、鮮度は抜群ですな」


 次に彼が向かったのは、少し肌寒さを感じる酒類コーナーでした。

 棚に整えられた酒たち。金色のラベル、漆黒の瓶、様々な意匠が彼を誘います。


「さて、わしの新しい門出を祝う一杯は……」


 善吉は一本の『純米酒』の前で指を止めました。

 吟醸や大吟醸のような華やかな香りも良いですが、米の旨みがどっしりと感じられる辛口の純米酒。それが質素な干物と小松菜には一番合うことを、彼は長い経験から知っていました。


「おっ、これですな。『特別純米とくべつじゅんまい辛口からくち』。ラベルに描かれた素朴な山の絵が、なんとも潔い」


 善吉は四合瓶を手に取り、光に透かして色を確認しました。

 透明度の中に、わずかに黄金色の光が混じる。それは丁寧に醸された証です。


「これを先ほどの小松菜のお浸しに少しだけ垂らして、あとはキンキンに冷やして頂く。……カカカ!想像しただけで堪りませんわい」


 左手に米5キロ、右手に四合瓶。

 善吉は、二十歳の逞しい身体で子供のような笑みを浮かべてレジへと向かいました。



 そして、本日のメインイベントである寝具売り場へ。

 三つ折りのマットレスとふかふかの羽毛布団。そして、そば殻に近い感触の枕。


「おお……これです、この弾力。昨夜の硬い畳も風情がありましたが、やはり睡眠は『無』に帰れる時間が一番ですわい」


 大きな布団セットを背負い、両手には米と日用品。

 普通なら配達を頼むか軽トラが必要な荷物量ですが、善吉はそれらを涼しい顔で担ぎ、沈みゆく夕日の中を「ことぶき荘」へと歩きました。



 夕闇がことぶき荘を包み込む頃、101号室では善吉の「ささやかな、しかし最高の贅沢」が始まろうとしていました。


 まずは買ってきたばかりの日用品の儀式です。


「さて、まずは道具を清めねば。門出の食事ですからな」


 善吉は買ってきたばかりの物《茶碗、箸、コップ》を畳の上に並べ、その上に右手をかざしました。


「『浄化のクレンズ』」


 本来なら広域の瘴気や呪いを一掃する救世主の魔法が、ごく狭い範囲に柔らかな光となって降り注ぎます。工場での製造過程や棚に並んでいた際についた微細な汚れ、あるいは運搬中の邪気までもが一瞬で光の中に霧散しました。新品以上に輝きを増した茶碗は、月の光を浴びたように白く澄んでいます。


「よし。次は火と水、そして風ですな」


 善吉は、本来なら万を超す大軍を焼き尽くすはずの火炎魔法と、荒れ狂う嵐を呼ぶ風魔法を極限まで弱めて精密に制御し、空中で交差させました。


 コンロがない不便さを、彼は魔法で解決します。

 空間に浮かぶ熱の球体。そこにアジの干物をかざすと、ジュウゥッという官能的な音と共に脂がパチパチと弾けました。火を直接当てるのではなく、熱風の対流で包み込む。外はパリッと中はふっくら。プロの職人でも数十年かかる完璧な焼き加減を、善吉は鼻歌まじりに数秒で実現させました。


「お次は、ご飯ですな」


 先ほどの風魔法を使用して研ぎ、万物を癒す魔法の水に浸しておいた米が入った茶碗に直接熱量魔法を注ぎ込みます。

 茶碗の中では、一粒一粒の米が踊るように対流し、中心まで一気に火が通っていく。蒸らしの時間さえも魔法で加速させ、数分で「蟹の穴」が点々と開いた理想的な銀シャリが炊き上がりました。


 仕上げは、あの冷気で保存していた小松菜。

 熱湯を魔法で生成して一瞬で潜らせ、すぐさま冷気で締める。


「醤油を少し……おっと、先ほどの酒も一滴。これで香りが立ちますわい」


 まずは、魔法で冷やしておいた日本酒をコップに注ぎ、クイッと一口。


 畳の上に、一汁一菜ならぬ「一魚一菜」が整いました。


「……頂きます」


 善吉はまず、四合瓶から冷やしておいた酒をコップに注ぎました。

トクトクと心地よい音が響き、米の香りが鼻腔をくすぐります。


「くぅ……ッ。五臓六腑に染み渡りますなぁ。あの『ろくでなし自称神』の後光より、よっぽど神々しい味がしますわい」


 酒で口を湿らせた後、ふっくらと炊き上がった『ななつぼし』を一口。

 噛むほどに甘みが広がり、そこにアジの干物の塩気が絶妙に重なります。魔法で焼いたアジは、頭から尻尾までサクサクと食べられ、濃厚な旨みが酒をさらに進ませます。


「コンロや皿もあれば便利ですが、こうして魔法を『暮らし』に使うのも一興。……戦うだけが力ではありませぬからな」


 善吉は満足げに目を細めました。

 九十五歳の知恵が、最強の魔力を『最高の晩酌』へと昇華させていく。


 窓の外では、依然として不穏な『星』の予兆が空を歪めています。

 しかし、丁寧に歯を磨き、ふかふかの布団に入った善吉の耳には、もはや世界を滅ぼす足音など聞こえていません。


 聞こえるのは、夜の街に響く車の走行音と、自分自身の穏やかな寝息だけ。

 明日、もし地球に危機が訪れたとしても。

 この最強の元おじいちゃんは、きっと朝の散歩のついでにゴミを拾うような手軽さで世界を救ってしまうのでしょう。

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