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今宵の宿を求めて

「ごちそうさまでした」


 暖簾をくぐり、夜の街へと踏み出した善吉の顔は満足感で火照っていた。

 二十歳の胃袋で味わう揚げ物は、前世の記憶にあるどの食事よりも力強く、命の鼓動を感じさせた。しかし、ふと我に返りズボンのポケットに手を突っ込む。


「さて……。手元に残ったのは、3千4百円、ですか」 


 日雇いの現場で稼いだ2万円。そのうち、あの豪華なトンカツ定食と道中で買ったお茶で約1万6千円が消えた計算だ。

 九十五歳の魂を持つ善吉からすれば、一食に1万6千円は贅沢の極みだが、神から授かった超人的な新陳代謝を維持するには、それだけのエネルギーが必要だったらしい。


「ふむ。この金額では立派な宿は望めそうにありませんな」


 見上げた先には煌々《こうこう》と輝くネオン。

 善吉の脳裏に「地球の神」と「ろくでなし自称神」の喧嘩の声が蘇る。


『善吉はうちの大切な魂なの!』

『ヒッ、バレた?!』


「……全く。送り先を間違えるだけでなく、宿の一軒も手配してくれぬとは。あの自称神様、後でひ孫に言い聞かせるように、みっちりとお説教してやりたい気分ですわい」


 善吉は苦笑いしながら、夜の街を歩き出した。

 巨大な隕石の直撃に耐える肉体、空を飛ぶ能力、月を穿つエネルギー砲。

 それら「神の力」を全て合わせ持っていながら、彼は「今夜どこで寝るか」という極めて人間臭い問題に直面していた。


「公園のベンチという手もありますが……。今のわしは見た目だけは若造。補導の可能性がありますかな?お巡りさんに見つかっては身分証のない身としては少々厄介です」


 善吉は前世で培った「生活の知恵」を総動員する。

 二十歳前後の若者の姿で、夜の公園で寝ていれば浮浪者というよりは家出少年に見える。不審がられるのは御免だ。


 すると、視界に飛び込んできたのは派手な看板の数々。

『ネットカフェ』『カプセルホテル』『サウナ』


「――ほう。わしのいた頃にもありましたが、最近の若者はあのような場所で夜を明かすのですな。安くて、屋根があって、寝床がある。今のわしには十分すぎます」


 善吉は、一軒のネットカフェの入り口へと向かった。

 だが、自動ドアが開こうとしたその時、善吉はふと足を止めた。


「……おや?」


 彼の研ぎ澄まされた感覚――神に授けられた災厄を察知するセンサーが、微かな「淀み」を捉えた。

 それは、夜の喧騒に紛れた誰かの小さな悲鳴。

 そして、その悲鳴の主は先ほどトンカツ屋で隣の席に座っていた、あの疲れ果てたサラリーマンのようだった。


「宿の前に、少しばかり『お助け』ですかな。これも神様が仕組んだ縁かもしれませんわい」


 善吉は3千円を握りしめたまま静かに路地裏へと踵を返した。



@@@@@



「おい、アンタ。いい加減に吐けよ。そのカバンにまだ隠してるだろ」


 薄暗い路地裏。自販機の明かりも届かない場所で数人のガラの悪い男たちが一人の男を囲んでいた。囲まれているのは先ほど定食屋で善吉の隣にいた、あの疲れ切ったサラリーマンだ。


 彼は震えながら空になった財布を差し出していた。


「ほ、本当に、これだけなんです……。明日、子供の誕生日で、ケーキを……」

「知るかよ。そんな時計してりゃ、まだ金はあんだろ!」


 男の一人が、サラリーマンの胸ぐらを掴み拳を振り上げる。

 サラリーマンが恐怖に目を閉じた――その時。


「お若いの。せっかくの夜風をそんな殺伐としたことに使うのは感心しませんな」


 静かな、しかし驚くほどよく通る声。

 男たちが振り向くと、そこにはポロシャツ姿の青年――善吉がゆるい雰囲気を纏い立っていた。


「あぁん?何だテメェ。引っ込んでろよガキが」

「ガキ?はて、わしをそう呼ぶのは九十年ぶりくらいですかな。いや、今の姿なら正解ですな。カカカ!」


 善吉は愉快そうに笑った。その余裕たっぷりの態度に苛立った男の一人が、善吉の胸元へ向かってナイフを突き出す。


「死ねよ、お節介が!」


 カキンッ!


 鈍い金属音が響いた。

 ナイフの刃は善吉の胸に当たった瞬間、まるで岩を突いたかのように根元からへし折れた。


「……は?」

「おっと。わしの体、少々丈夫にできておりましてな。服を破かなかったのは幸いです。これは支給品ですからなぁ」


 善吉は呆然とする男の手首を、そっと綿菓子でも掴むような優しさで握った。

 だが、その握力は神が授けた剛力。


「ぐ、あああああああ!離せっ、 腕が、腕が砕ける!!」

「暴力は、巡り巡って自分に返ってくるものですわい。さて、お仲間さんもこれ以上は無粋というもの、でしょう?」


 善吉が視線を向けると、残りの男たちは一瞬で理解した。目の前の青年は「人間」の皮を被った得体の知れない「何か」だと。

 彼らは悲鳴を上げながら一目散に夜の闇へと逃げ去っていった。


「大丈夫ですか?」


 善吉が手を差し伸べると、サラリーマンは腰を抜かしたまま震える声で礼を言った。


「……あ、ありがとうございます。あの、あなたは?」

「ただの通りすがりの隠居老人《若造》ですわ。それより、お子さんの誕生日おめでとうございます。ケーキを忘れずに買ってお帰りなさい」


 善吉は優しく微笑むと、再び大通りへと歩き出した。


「さて、格好良く助けに入ったのはいいですが時間が遅くなってしまいました。ねっとかふぇ、というのは今からでも入れるのですかな?」


 3千円を握り直し、再び宿探しを再開した善吉。

 しかし、そんな彼の前に一台の黒塗りの高級車が静かに停車した。



@@@@@



 スウッと音もなく停まった黒塗りの高級車の後部座席から、一人の老紳士が降りてきた。仕立てのいいスーツに身を包んだその人物は、善吉の姿を見て目じりを緩めた。


「やはり……。解体現場で熊田の横にいた青年だね?」


 その老紳士は、善吉が昼間働いていた現場の施主であり、いくつもの不動産を所有する資産家の徳川とくがわであった。彼は、重機さえ手こずる壁を一撃で粉砕した善吉の噂を聞き、興味を持って様子を伺っていたのだという。


「……ほう。昼間の施主様でしたか。このような夜更けに、奇遇ですな」

「いや、実はね。君のような逸材があの後どこへ行くのか気になっていたんだ。失礼だが住む場所には困っているのではないかね?」


 善吉は、隠し持っている3千円をポケットの中で弄びながら正直に答えた。


「左様で。今夜は、その、ねっとかふぇ……という場所を体験してみようかと思っておりました」


 徳川は苦笑し、車のドアを開けて手招きをした。


「あんな窮屈な場所は君のような傑物けつぶつには似合わない。私の管理している物件の一つに、ちょうど空きがあってね。管理人も兼ねて、そこを使ってくれないだろうか――」



【昭和レトロなアパート「ことぶき荘」】


 連れてこられたのは、高層ビル群の影にひっそりと佇む二階建ての古い木造アパートだった。

 築年数は相当なものだが、隅々まで掃除が行き届いており、どこか善吉が前世で過ごした家のような温かみのある空気が流れている。


「一階の角部屋だ。古いし、事故物件というわけではないが……少々『出る』という噂があって借り手がいなくてね。君なら幽霊の一人や二人、笑って追い返してくれそうだろう?」


 徳川は茶目っ気たっぷりに笑い、善吉に合鍵を手渡した。

「家賃はいらない。その代わり、共用部の掃除と夜の火の用心を頼めるかな?」


「……これほど有り難い話はありません。謹んでお受けいたしますわい」


 善吉が深々と頭を下げると、徳川は満足げに去っていった。

 九十五年の人生で培った「徳」が、この新しい世界でも彼を助けたのかもしれない。




【午前零時、四畳半の静寂】


 善吉は畳の匂いが残る部屋の真ん中に腰を下ろした。

 窓からは、都会の夜景と不自然に揺らめく夜空の星が見える。


「屋根があるというのは、やはり心強いものですな。さて――」


 自称神に授けられた「超能力」の一つ、『浄化の光』を指先に灯し、善吉は部屋の隅をそっと撫でた。すると徳川が言っていた「出る」という不穏な気配が、春の雪のように穏やかに消えていく。


「成仏なさい。これからここは、わしが守る場所ですからな」


 3千円は明日の朝飯代として取っておける。

 布団こそまだないが隕石や毒に耐える肉体を持つ善吉にとって、畳の上で横になるだけで十分な休息だった。


「ふふ……。新しい人生、なかなか悪くない」


 善吉は静かに目を閉じた。

 明日、この街にどんな「異変」が起きようとも。

 このボロアパートの一室には、世界で最も頼りがいのある最強の「おじいちゃん」が住んでいる。




【国吉善吉の現状報告】


住居:ことぶき荘101号室「管理人兼務」

残金:3千4百円

明日の目標:布団の調達、および周辺のパトロール


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