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神様のうっかりと地球の日常

「……はて?」


 国吉善吉くによしぜんきちは、都会の喧騒のなかで呆然と立ち尽くしていました。


 九十五歳で静かに息を引き取り、愛する多くの子供たち|《子、孫、ひ孫》に見守られながらの大往生。そのまま輪廻の輪へ行くはずでした。そんな魂を掬い上げたのは、「全宇宙の管理者」を自称する、どこか調子の良さそうな存在でした。


「君の善性は素晴らしい!どうか、滅びゆく私の星を救ってくれ!」


 そう言って見せられた映像は、魔物が跋扈し、空が割れ、人々が泣き叫ぶ地獄絵図。根が真っ直ぐで優しい善吉は、老骨に鞭を打ちその願いを承諾しました。

「長い戦いに備えた若返りと不老」「隕石落としや毒の魔法に耐える頑健さ」「どんな相手にも対応できる様々な魔法」――。

 てんこ盛りの超能力スーパーパワーを叩き込まれ、いざ異世界へ!というその瞬間。


『ちょっと待ちなさいっ!!』


 身体を貫く落雷のような怒号。

 我らが「地球の神」が、勝手に魂を持ち出そうとした「ろくでなし神」のもとに怒鳴り込んできたのです。


「ヒッ、バレた?!」

「何が『バレた』よ!善吉さんは地球うちの大切な魂なの!返しなさい!」

「わ、わわっ、わかった!ちょ、ちょっと揺さぶるな! 手元が狂う!転送の設定が操作できっ――」


「「あっ」」



 視界を埋め尽くしていた極光が収まったとき。

 善吉が立っていたのは地獄のような戦場ではなく、見慣れた日本の街並みでした。


 目の前のショーウィンドウには、シワ一つない瑞々しい肌、力強い眼光を宿した二十歳の自分が映っています。

 周囲を見渡せば、歩いているのはスマホを弄る若者や疲れ切ったサラリーマン。魔物の軍勢や空から降り注ぐ弓矢や魔法はありません。漂ってくるのは魔力の匂いではなく、定食屋の揚げ物の匂い。


「……日本、ですな」


 最強の救世主として仕上がった善吉は、先ほどの神々の騒動を思い出し、溜息をつきました。



@@@@@



【最強の「日雇い」現る】



「……ふむ。平和に見えますが、油断は禁物ですな」


 善吉は、自分にしか聞こえない声で呟きました。

 あの「ろくでなし神」が言っていた敵対勢力が、いつこの空を割って現れるか分かりません。この穏やかな日常を守るためにも、まずはこの地に根を張らねば。


「そのためには、まずは路銀ですな。腹が減っては戦も人助けもできませぬ」


 善吉は、テレポートや飛行能力を「悪目立ちする」という理由で封印。全盛期の若々しい足取りで、駅近くにある古びた工事現場の詰め所へと向かいました。



「ここですな」


 善吉が辿り着いたのは、住宅街の一角にある年季の入った二階建て住宅の解体現場だった。周囲には防音シートが張り巡らされ重機のエンジン音が低く響いている。


「あぁん?何だ兄ちゃん。ここは立ち入り禁止だぞ」


 詰め所から出てきたのは、日に焼けた肌に深い傷跡、そしてねじり鉢巻きが似合いすぎる、絵に描いたような強面こわもての現場監督の熊田くまだだった。その眼光は鋭く、並の若者なら一睨みで退散する迫力がある。


「恐れ入ります。本日、力仕事の助っ人を募集していると伺いまして」

「助っ人ぉ?おめぇ、その細い体で何ができる。ここは遊び場じゃねえんだ。怪我でもされたら寝覚めが悪ぃ」


 善吉は、九十五年培った「枯れ木の如き自然体」で微笑んだ。若返った肉体は確かに引き締まっているが、力仕事は不慣れに見えたのだろう。


「これでも、以前の場所ではそれなりに重宝されておりました。……実は、先の『神災しんさい』で家も身分証も流してしまいまして。今日を生きる路銀が必要なのです」


 善吉の言う「神災」とは、あの「ろくでなしの自称神」が引き起こした転送トラブルという名の天災のことだが、熊田には「どこか遠くの被災地から流れてきた苦労人」として伝わったらしい。


「……チッ、訳ありか。いいだろう、今日一日だけだ。そこの瓦をトラックに積め。それから奥の離れの土壁をブチ壊せ。バールは貸してやる」



【現場、午前10時】


「おい、兄ちゃん!無理すんなよ!」


 先に働いていたベテラン作業員の佐藤さとうが声をかける。善吉の目の前には撤去された大量のコンクリート瓦が積まれていた。一枚数キログラム、それを十数枚まとめて運ぶのがこの現場の「普通」だ。


「いえいえ、お気遣いなく。……これくらいなら、ひ孫《子供》を高い高いするようなものですわい」


 善吉は、あろうことか瓦を五十枚ほど一気に抱え上げた。 重さにして200キロは下らない。


「……は?」


 佐藤の顎が漫画のように落ちた。


 善吉は、羽毛でも持っているかのように軽々とトラックへ歩いていく。しかも、よろめくような危なげなさは微塵もない。


「よっ……と」


 音もなく、丁寧に瓦を荷台に下ろす。それを10回ほど繰り返しただけで、一時間はかかるはずの運搬作業が5分で終わってしまった。


「お、おい……今の見たかよ」

「なんだあの兄ちゃん、サイボーグか?」


 ざわつく現場を余所に、善吉は次の指示である「離れの解体」へ向かった。



【現場、午前11時】


「さて、この壁ですな」


 目の前には、竹小舞たけこまいを芯にした頑丈な土壁。本来なら数人がかりでバールを叩き込み、時間をかけて崩していく代物だ。

 善吉は借りたバールを手に取ったが、ふと考えた。

(……これ、バールを使うより直接突いた方が早そうですな。いや、しかし道具は大事にせねば)


 善吉は「超能力」の一つ、身体強化を極めて微弱に指先だけに集中させた。


「せいっ」


 小さな気合と共にバールを軽く壁に押し当てる。

 ドォォォォン!!

 凄まじい衝撃音が響き、厚い土壁が一瞬で粉砕された。まるで大型の破砕機ブレーカーを打ち込んだかのような破壊跡。


「な、なんだ?事故か?!」


 血相を変えて駆けつけた熊田が見たのは、粉塵の中で「おっと、少し力が入りすぎましたかな」と頭をかく善吉と、跡形もなく崩落した壁だった。


「おめぇ、その細腕のどこにそんなパワーが……」

「いえ、コツを掴めば意外と脆いものですな」

「……そんなわけねぇだろ」


 熊田は呆然と立ち尽くしたが、やがてニヤリと笑った。


「ハッ、面白い兄ちゃんだ。その腕っぷし気に入ったぜ!」


 昼休憩。善吉の周りには、さっきまで不審がっていた作業員たちが「兄ちゃん、どこのジム通ってるんだ?」と弁当片手に集まってきた。


 善吉は、彼らの笑顔を見渡しながら静かに確信した。

 この平和で少し騒がしい日常。それを壊そうとするものが来るというのなら――。


(この力、惜しみなく使わせてもらいましょう)


 善吉は支給された冷たいお茶を飲み干し、午後の仕事に向けてゆったりと腰を上げた。

 その後、善吉が重機よりも早く解体を終わらせてしまい、現場が予定より三日も早く片付いたのは、界隈での語り草となるのだが――それはまた、別のお話。



@@@@@



 念願の報酬、手渡されたのは1万円札が2枚。

「明日も来てくれ!」という監督の熱烈なスカウトを丁重に断り、善吉は一目散に定食屋へ向かいました――。



「お待たせしました。特大トンカツ定食、ご飯大盛りです!」


 目の前に置かれたその光景に善吉は思わず息を呑んだ。

 運ばれてきたのは、もはや芸術品と呼んでも差し支えない黄金の山。きめ細やかな衣が店内の暖色系のライトを反射してキラキラと輝いている。


「おぉ……これです、これですわい……」


 善吉は震える手で割り箸を割った。

 九十五歳の老人だった彼にとって揚げ物は「毒」に等しかった。家族の優しさという名の食事制限。医者からの「脂物は控えましょうね」という宣告。晩年の食事は、柔らかく煮た野菜やお粥ばかり。

 もちろん、それはそれで美味しかった。だが、揚げ物《毒》には命を懸けてでも喰らいたい瞬間があるのだ。


 まずは、何もつけずに一切れ。

 隕石の直撃に耐える頑強な顎が、今はただ、この三元豚を最高の状態で味わうために動く。


――サクッ。


 鼓膜に響く軽快で心地よい音。

 その直後、二十歳の若々しい舌を襲ったのは怒涛のように溢れ出す肉汁だ。三元豚特有の、くどさのない、しかし暴力的なまでに濃厚な脂の甘みが口内を支配する。


「ん、んん~~っ!!」


 善吉は思わず天を仰いだ。

 細胞の一つ一つが歓喜の叫びを上げているのがわかる。神が授けてくれた「青年期の肉体」は、この脂を受け止めるためにこそあったのではないか。そう錯覚するほどの衝撃だった。


「次は、ソースとカラシ……。これですな」


 濃厚なソースの酸味と鼻に抜けるカラシの刺激。それが豚肉の旨みをさらに引き立てる。そこへ炊き立てで艶やかな白い飯をかき込む。


(……生きてて良かった。いや、一度死んで良かった。自称神様、ろくでなしとか思ってすみませんでした。感謝します)


 心の中で、異次元の神に深々と頭を下げる。

 隣の席で安っい牛丼を胃に流し込んでいるサラリーマンが、善吉の尋常ならざる「恍惚とした表情」を二度見しているが、そんなことはどうでもいい。


 シャキシャキのキャベツを合間に挟み、出汁の効いた味噌汁で喉を潤す。

 かつては「塩分が……」と気にしていた味噌汁も、今の善吉にとっては最高のご飯の友だ。


 一枚、また一枚と厚切りのかつが消えていく。

 普通なら、二十代の若者でも後半は胃にくるボリュームだ。しかし、善吉の身体は超人的な代謝を誇っている。入ってきたカロリーは即座に純粋なエネルギーへと変換され、満腹感というよりは「充足感」だけがひたすらに積み重なっていく。


 最後の一切れを、大切に、大切に噛みしめる。


「……ふう」


 食後のお茶を飲み干し、善吉は満足げな溜息をついた。


「ごちそうさまでした。本当に、本当に美味しゅうございました」


 誰に言うでもなく呟き、善吉は席を立った。

 日雇いの重労働で得た1万円札で支払い、お釣りを受け取る。


 店の外に出ると夕暮れの街風が頬を撫でた。

 腹を満たし、心に余裕が生まれた善吉の瞳に不意に違和感が映る。

 はるか上空。夜の帳が下りようとする空の端に、先ほどニュースで流れていた「流星」とは明らかに違う不自然な光の歪みが蠢いていた。


「……やれやれ。飯を食わせてくれないほど無粋な敵ではなさそうですな」


 善吉は唇に残ったソースを指で拭い口元を緩めた。

 最強の力は、この「美味い飯が食える平和」を守るためにある。

 九十五歳の魂を持つ青年は、静かに、しかし力強く、アスファルトの一歩を踏み出した。


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