Scene 3 ハロルド辺境伯
扉が開いた。
「――入れ」
低く、よく響く声だった。
レティシアは一瞬だけ息を止める。
部屋の奥に、一人の男が座っていた。
六十代後半。
白髪の混じった髪に、深く刻まれた皺。
そして何より目を引くのは、その大柄な体格だった。
広い肩。
太い腕。
背筋はまっすぐ伸びている。
豪華な衣装を身につけているわけではない。
むしろ簡素だ。
装飾品もほとんどなく、机の上には領地の書類と地図が積まれている。
けれど、それだけで分かる。
この男は、かつて戦場にいた。
グランフェル辺境伯――ハロルド・グランフェル。
レティシアは背筋を伸ばした。
「お初にお目にかかります。レティシア・ヴァレンフォールです」
「……」
ハロルドは答えない。
ただ、じっとレティシアを見ていた。
その視線は鋭い。
まるで、書類ではなく本人を見ているようだった。
レティシアは無意識に指先へ力を込める。
(……怖いわね)
王都の貴族たちとは違う。
嫌味を言うわけでもない。
見下しているようにも見えない。
ただ、観察している。
それがかえって落ち着かなかった。
やがてハロルドが口を開いた。
「お前がレティシアか」
「はい」
短い返事。
ハロルドはまた彼女を見る。
「王都から追放されてきた令嬢だな」
「……ええ」
その瞬間。
レティシアの身体がわずかに強張った。
追放。
その言葉には、どうしても反応してしまう。
王都で浴びせられた言葉。
悪役令嬢。
嫌われ者。
本物ではない。
悪い部分。
思い出したくもない言葉が、頭の中を一瞬だけ駆け抜ける。
(……この人も、私をそういう目で見るのかしら)
レティシアは警戒した。
ここは王都ではない。
そう分かっている。
水路を直した。
畑の相談にも乗った。
ノワールも受け入れてもらえた。
けれど、この男は違う。
この領地を預かる辺境伯だ。
自分がどういう人間なのか。
きっと、すでに調べている。
ハロルドはしばらく何も言わなかった。
そして――
「王都で何をした?」
「…………」
あまりにも率直な質問だった。
レティシアは思わず瞬きをする。
「……何を、と申しますと?」
「そのままだ」
ハロルドは腕を組む。
「何をして、王都から追い出された?」
レティシアは答えようとして――やめた。
どう説明すればいいのだろう。
自分でも、いまだによく分からない。
悪役だったから。
嫌われていたから。
そして、自分の中の「嫌な部分」を魔女に消してもらおうとしたら――二人になった。
そんな話をして、信じてもらえるとは思えない。
レティシアは小さく息を吐いた。
そして。
少しだけ胸を張った。
「……正論を言いすぎたから、でしょうね」
「…………」
部屋が静まり返った。
ニーナが隣で、わずかに目を見開く。
ハロルドは――
何も言わなかった。




