Scene 7 魔獣の正体
### Scene 7 魔獣の正体
黒薔薇館の地下。
追い出し作戦に失敗したレティシアは、床に座り込んでいた。
少し離れた場所では、魔獣もまた床に伏せている。
「…………」
「…………」
「…………」
三者の間に、なんとも言えない沈黙が流れていた。
さっきまで追いかけ回していたせいで、屋敷の中はすっかり散らかっている。
レティシアは小さく息を吐くと、魔獣をじっと見つめた。
「……ねえ」
「はい?」
「こいつ、どうしてここから出ないのかしら」
ニーナも魔獣を見る。
「……確かに。不思議ですね」
屋敷から追い出そうとしても出ない。
扉を開けても動かない。
食べ物で誘っても、一度外へ出そうとするとすぐに屋敷の中へ戻ってくる。
まるで――。
「……外に出るのを嫌がっている?」
レティシアは立ち上がった。
魔獣がわずかに身構える。
「動かないで」
「グル……」
「別に取って食べたりしないわよ」
「…………」
魔獣は警戒したまま、レティシアを見つめている。
レティシアはその場から少し距離を取って、魔獣の身体を観察した。
大きな身体。
黒い毛。
鋭い爪。
そして――。
「……足」
「足?」
「右後ろ足よ」
よく見ると、毛の隙間から古い傷跡が見えていた。
かなり前についたものらしい。
傷そのものは塞がっている。
だが、その足をかばうようにしているのが分かった。
「古い傷ですね」
「ええ」
レティシアは考える。
昨日今日ついた傷ではない。
それなら、この魔獣はもっと前からこの屋敷にいた可能性がある。
「……ちょっと外に出てみなさい」
「お嬢様?」
レティシアが扉を開く。
魔獣は扉の向こうを見る。
一歩。
そして――止まった。
耳が動く。
身体が低くなる。
明らかに警戒していた。
そのまま魔獣は、ゆっくりと後ろへ下がった。
「……なるほど」
レティシアは扉を閉める。
「何か分かりましたか?」
「ええ」
彼女は地下室を見回した。
この場所には、暖かい空気が流れている。
地下には古い暖炉があり、その周囲だけは冷気が入りにくい。
魔獣はいつも、その近くで眠っていた。
食べ物も、ここに持ち込んでいた。
そして外へ出そうとすると、必ず戻ってくる。
「こいつ……ここを安全な場所だと思っているのよ」
「安全な場所……」
「そう」
レティシアは魔獣を見る。
さっきまでなら、ただの厄介な居候としか思わなかった。
屋敷を荒らす。
勝手に食べ物を食べる。
追い出しても出ていかない。
だから追い出そうとした。
けれど。
「……こいつ、ここから出たくないんじゃないわ」
魔獣が顔を上げる。
レティシアは、その目を見つめた。
「ここから出られないのよ」
「…………」
ニーナが黙って魔獣を見る。
「昔、何かあったんでしょうね」
レティシアは静かに続ける。
「怪我をしたのかもしれない。誰かに追われたのかもしれない」
魔獣は何も答えない。
ただ、暖炉の近くへ身体を寄せる。
「それで、ここに逃げ込んだ」
長い時間をかけて、この場所を自分の住処にした。
誰も近づかない。
暖かい。
雨や雪も避けられる。
そして何より――追い出されない。
「……だから、出ていかないのね」
「では、この屋敷で暮らしていた魔獣が、幽霊の正体だったということですか?」
「たぶんね」
夜中に聞こえる唸り声。
廊下を歩く足音。
窓に映る黒い影。
誰もいないはずの部屋から聞こえる物音。
全部、この魔獣が原因だったのだ。
「……幽霊屋敷でも何でもなかったのね」
「そうですね」
「ただの魔獣の家だった」
「言い方が少し違う気がしますが」
レティシアは魔獣を見る。
さっきまで追い出そうとしていた相手。
けれど今は、少しだけ違って見えた。
「……困ったわね」
「何がです?」
「追い出す理由がなくなってしまったじゃない」
「最初から、それを考えるべきだったのでは?」
「うるさいわね」
ニーナが小さく笑う。
魔獣はそんな二人を見ながら、暖炉のそばで静かに目を閉じた。
レティシアはそれを見て、ほんの少しだけ考える。
――追い出す必要がある。
そう思っていた。
でも。
ここにいるのには、理由がある。
それが分かった今、同じように追い出すことはできなかった。
「……まあ」
レティシアは腕を組む。
「ここにいる理由があるなら、話は別ね」
魔獣が片目を開けた。
「ただし」
レティシアは指を一本立てる。
「屋敷を壊すのは禁止よ」
「…………」
「食べ物を勝手に取るのも禁止」
「…………」
「あと、夜中に走り回らないこと」
魔獣は黙ってレティシアを見る。
「……聞いてる?」
「グル」
「返事はできるのね」
「…………」
「なら守りなさい」
ニーナは思った。
(もう追い出す話ではなくなっていますね)
黒薔薇館に住み着いた魔獣。
そして、ここへ追いやられた令嬢。
奇妙な二人の共同生活が――。
この日、静かに始まろうとしていた。




