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悪役令嬢レティシア、二人になりました  作者: 南蛇井


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Scene 7 レティシアの心の中

大広間が。


 少しずつ遠くなっていく。


 誰かが何かを話している。


 文官が書類をめくる音。


 貴族たちの囁き声。


 アルベルトの声。


 けれど。


 もう、よく聞こえなかった。


 ――悪役令嬢。


 その言葉だけが。


 何度も。


 何度も。


 頭の中で繰り返される。


 悪役令嬢。


 悪役。


 私は。


 そんな人間だったのかしら。


「……」


 レティシアは静かに目を伏せた。


 すると。


 忘れていたはずの言葉が。


 ひとつ。


 またひとつ。


 頭の奥から浮かび上がってきた。


 


『またレティシア様が怒っている』


 


 いつだっただろう。


 王立学園に通っていた頃。


 廊下の向こうから、そんな声が聞こえた。


 その日は。


 授業に遅れてきた令嬢に注意しただけだった。


 彼女は何度も遅刻を繰り返していた。


 教師にも注意されていた。


 それでも。


 今日も遅れてきた。


 だから。


 レティシアは言った。


『約束の時間を守れないのであれば、最初から参加するとおっしゃらなければよろしいでしょう』


 少し言い方がきつかっただろうか。


 今なら。


 そう思う。


 けれど。


 怒っていたわけではなかった。


 ただ。


 皆が時間通りに集まっている中で。


 一人だけが何度も遅れてくるのは。


 どうしても納得できなかった。


 だから。


 注意した。


 それだけだった。


 


『怖い方ね』


 


 別の記憶。


 社交界。


 まだレティシアが十六歳の頃。


 年下の令嬢が、侍女に強く当たっていた。


 些細な失敗だった。


 茶の温度が少し違った。


 それだけ。


 それなのに。


 令嬢は侍女を大勢の前で怒鳴りつけていた。


 泣きそうになっている侍女を見て。


 レティシアは言った。


『それ以上はおやめなさい』


 相手の令嬢は驚いた顔をした。


『レティシア様、これは私の家の問題です』


『だから何ですの?』


『え?』


『あなたの家の使用人だからといって、人前でどのように扱ってもよいということにはなりませんわ』


 その令嬢は泣いた。


 そして。


 周囲はレティシアを見ていた。


 怖いものを見るような目で。


 


『レティシア様って、怖い方なのね』


 


 また。


 その言葉。


 レティシアは。


 何が間違っていたのか分からなかった。


 


『もっと殿下に相応しい女性が……』


 


 その言葉を聞いたのは。


 王城の庭園だった。


 偶然。


 本当に偶然。


 茂みの向こうから聞こえた。


『レティシア様では、殿下もお可哀想だわ』


『あの方は厳しすぎますもの』


『もっと優しくて』


『もっと可愛らしい方が』


『殿下にはお似合いですわ』


 


 レティシアは。


 その場から離れた。


 聞かなかったことにした。


 そうするしかなかった。


 アルベルトは優しい。


 誰にでも優しい。


 だから。


 きっと。


 自分より。


 もっと優しい女性の方が似合うのだろう。


 そう。


 思ったこともある。


 けれど。


 自分は変われなかった。


 誰かが間違っていると思えば。


 やはり。


 言ってしまう。


 それを見過ごすことが。


 どうしてもできなかった。


 


『あの方は、人の気持ちが分からない』


 


 その言葉だけは。


 今でも覚えている。


 忘れられなかった。


 


『レティシア様は、正しいことばかりおっしゃるけれど』


『言われた方の気持ちを考えたことがあるのかしら』


 


 レティシアは。


 そのとき。


 反論できなかった。


 正しいと思っていた。


 だから言った。


 けれど。


 正しいことを言えば。


 誰かが傷つくこともある。


 そんなことは。


 分かっていたはずだった。


 なのに。


(私は……)


 レティシアの指先が。


 ゆっくりと握られる。


(言い返した)


 理不尽なことを言われれば。


 言い返した。


 間違っていると思えば。


 注意した。


 嫌なことをされれば。


 嫌だと言った。


 それだけ。


 それだけのはずだった。


 けれど。


 その「それだけ」が。


 周囲には。


 違って見えていたのだろうか。


 


 ――傲慢。


 


 ――冷酷。


 


 ――悪意。


 


 自分の言葉が。


 自分の知らないところで。


 そんな言葉に変わっていった。


 レティシアは。


 自分の両手を見つめた。


(……私は)


 何か。


 間違えていたのだろうか。


 今まで。


 自分は。


 間違ったことをしたつもりはなかった。


 誰かを傷つけるために。


 言葉を選んだこともない。


 誰かを泣かせるために。


 注意したこともない。


 けれど。


 結果として。


 傷つけていたのなら。


 泣かせていたのなら。


 それは。


 やはり。


 自分が悪かったのだろうか。


「…………」


 胸の奥が。


 妙に重かった。


 今までなら。


 きっと反論できた。


 証拠を出してください。


 具体的に申し上げてください。


 何が悪かったのですか、と。


 そう言えた。


 けれど。


 今は。


 何を聞けばいいのか分からない。


 なぜなら。


 自分自身が。


 少しだけ。


 分からなくなっていたからだ。


(私は)


(本当に……)


 その続きを。


 レティシアは口にできなかった。


 言葉にしてしまえば。


 何かが決まってしまうような気がした。


 だから。


 ただ。


 大広間に立ったまま。


 遠くで響く声を聞いていた。


 


 ――悪役令嬢。


 


 また。


 誰かがそう言った。


 レティシアは目を閉じた。


 そして。


 誰にも聞こえない心の中で。


 初めて。


 そんなことを願った。


(もしも)


(私の中に……)


(本当に)


(皆が嫌うような部分があるのだとしたら)


 ――その部分だけ。


 ――なくなってしまえばいいのに。


 それは。


 ほんの一瞬。


 胸の奥を通り過ぎただけの。


 小さな願いだった。


 けれど。


 その願いを。


 この世界には。


 聞き逃さない者がいた。

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