Scene 6 「悪役令嬢」
クラリスとの会話が終わったあと。
大広間には、奇妙な沈黙が残っていた。
誰も、すぐには次の言葉を発しない。
レティシアの罪を断じるために集められたはずの場所で。
当の被害者とされていたクラリスが、レティシアの質問に答えられなかった。
それどころか。
クラリス自身が。
自分が本当にレティシアを恐れていたのか、分からないような顔をしていた。
当然。
おかしい。
誰もが、そう思ったはずだった。
けれど。
その違和感を口にする者はいなかった。
大広間のどこかで。
小さな声がした。
「……やはり、噂通りだ」
レティシアの耳が、その言葉を拾う。
誰が言ったのか。
すぐには分からなかった。
人混みの中。
誰かが。
誰にも聞こえない程度の小さな声で呟いたのだ。
けれど。
静まり返った大広間では。
その一言は、あまりにもよく響いた。
「そうだ」
別の声が続く。
「見ただろう」
「殿下にあの態度を取るなど」
「なんという女だ」
「証拠を出せだの、証人を呼べだの」
「自分の立場を分かっていない」
ひそひそと。
声が広がっていく。
最初は一人。
次に二人。
そして。
気がつけば。
大広間のあちこちで同じ言葉が囁かれていた。
「傲慢だ」
「自分だけが正しいと思っている」
「昔からそうだった」
「誰に対しても容赦がない」
「やはり、恐ろしい女だ」
レティシアは黙っていた。
先ほどまで。
自分は反論していた。
証拠を尋ねた。
証人を尋ねた。
言葉の全文を確認したのかと尋ねた。
それだけだ。
それなのに。
なぜ。
その質問が。
恐ろしい女だという話になるのだろう。
「……悪役令嬢め」
その言葉を。
レティシアは、はっきりと聞いた。
悪役令嬢。
ほんの二つの言葉だった。
けれど。
なぜか。
先ほどまで聞いていた罪状よりも。
その言葉の方が。
ずっと胸に残った。
「悪役令嬢」
誰かが、もう一度言う。
「王子を困らせ」
「罪を認めず」
「最後まで自分の非を認めない」
「まさに、噂通りではないか」
レティシアの指先が。
ほんの少しだけ動いた。
「……」
自分の非を認めない。
そう言われて。
レティシアは、ふと考えた。
(私)
(そんなに間違っていましたの?)
確かに。
自分は口が強い。
言いたいことを我慢するのは苦手だ。
間違っていると思えば。
たとえ相手が王子であっても、黙ってはいられない。
それを。
可愛げがないと言われたこともある。
もっと柔らかく言えばいいのに、と。
もっと相手を立てればいいのに、と。
もっと笑っていればいいのに、と。
何度も。
何度も言われた。
(でも)
レティシアは、ゆっくりと目を伏せた。
(私は)
(ただ……)
誰かを困らせたかったわけではない。
王子を侮辱したかったわけでもない。
クラリスを傷つけたかったわけでもない。
ただ。
自分が間違っていると思ったことに。
間違っていると言っただけだった。
けれど。
それは。
傲慢だったのだろうか。
自分の正しさを信じることは。
そんなにも悪いことなのだろうか。
「……悪役令嬢」
レティシアは。
小さく呟いた。
その瞬間。
大広間の声が止まった。
レティシアは顔を上げる。
「……悪役令嬢、ですか」
その声は。
先ほどまでのレティシアの声とは違っていた。
鋭くない。
強くもない。
怒りも。
皮肉も。
含まれていなかった。
ただ。
純粋な疑問。
「私は」
レティシアは、自分自身に問いかけるように言った。
「皆様から、そう見えていたのですね」
誰も答えない。
レティシアは周囲を見る。
昔から知っている貴族たち。
何度も話をした者。
笑い合ったこともある者。
相談を受けたこともある。
助けを求められたこともある。
その顔を。
一人ずつ見る。
けれど。
誰もレティシアの目を見なかった。
それが。
答えだった。
「……そう」
レティシアの唇が、わずかに動いた。
笑おうとした。
いつものように。
何でもないことのように。
けれど。
うまく笑えなかった。
胸の奥が。
ほんの少しだけ。
痛んだ。
「…………」
怒鳴りたかったわけではない。
泣きたかったわけでもない。
ただ。
分からなかった。
自分は。
本当に。
そんな人間だったのだろうか。
誰かを傷つけ。
誰かを見下し。
自分の正しさだけを信じる。
そんな。
悪役令嬢だったのだろうか。
レティシアは、ゆっくりと視線を落とした。
そして。
誰にも聞こえないほど小さな声で呟いた。
「……私の」
言葉が。
そこで止まる。
何かを言おうとして。
けれど。
言葉にできない。
胸の奥に浮かんだものを。
自分でも。
まだ理解できなかったからだ。
ただ。
ひとつだけ。
確かなことがあった。
今まで。
どれほど理不尽なことを言われても。
レティシアは、自分が間違っているとは思わなかった。
自分の言葉には理由があった。
自分の行動にも理由があった。
だから。
反論できた。
戦えた。
けれど。
今は。
分からない。
自分のことが。
少しだけ。
分からなくなっていた。
――もしも。
――本当に。
私の中に。
皆が嫌うような部分があるのだとしたら。
その部分が。
なくなればいいのに。
そんな考えが。
まだ。
言葉にもならないまま。
レティシアの胸の奥に。
小さく。
小さく。
生まれていた。




