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悪役令嬢レティシア、二人になりました  作者: 南蛇井


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Scene 5 クラリスとの対面

「続きを」


 レティシアの言葉が、大広間に静かに響いた。


 しかし。


 誰もすぐには口を開かなかった。


 婚約破棄を告げられた。


 それにもかかわらず。


 泣きもしない。


 怒りもしない。


 縋りつきもしない。


 ただ静かに受け入れたレティシアを前にして、周囲の者たちはどこか拍子抜けしたような顔をしていた。


 アルベルトも、何かを言おうとしていた。


 けれど。


 その前に。


「……レティシア様」


 小さな声がした。


 レティシアは視線を動かす。


 そこにはクラリスがいた。


 先ほどまでアルベルトの隣に立っていた少女が、ゆっくりと一歩前へ出ている。


 栗色の髪が、わずかに揺れた。


 その顔には。


 勝ち誇ったような笑みなどない。


 むしろ。


 ひどく困惑しているように見えた。


「クラリス様」


 レティシアは彼女の名前を呼んだ。


 クラリスはびくりと肩を震わせる。


「……はい」


 大広間にいる全員が、二人を見ていた。


 婚約者を奪った女。


 そして。


 奪われた悪役令嬢。


 おそらく周囲は、そんな構図を期待しているのだろう。


 女同士の醜い争い。


 怒鳴り合い。


 罵り合い。


 そして。


 悪役令嬢が最後に醜態を晒す。


 けれど。


 レティシアはクラリスを見つめたまま、静かに口を開いた。


「一つ、お伺いしても?」


「……はい」


「あなたは」


 少しだけ間を置く。


「本当に、私が嫌いですか?」


「……え?」


 クラリスが目を丸くした。


 大広間にも、妙な空気が流れる。


 誰もが予想していなかった質問だった。


「レティシア様?」


「私は、そう聞いております」


 レティシアは淡々と言った。


「クラリス様に嫌がらせをした」


「侮辱した」


「殿下との面会を妨害した」


「だから、あなたは私を恐れているのだと」


 クラリスの顔から血の気が引いた。


「……私」


 小さな声。


「私は……」


 しかし。


 その先が続かない。


 レティシアは彼女を急かさなかった。


 ただ待つ。


 しばらくして。


 クラリスは、恐る恐る顔を上げた。


「……レティシア様は」


「はい」


「……私のことを、嫌いなのですか?」


 今度は。


 レティシアが目を瞬いた。


「私が?」


「はい」


 クラリスはぎこちなく頷いた。


「だって……」


 周囲をちらりと見る。


 そして。


 小さな声で言った。


「皆様が、そうおっしゃっていましたから」


 レティシアは黙った。


「レティシア様は、私のことがお嫌いで」


「殿下に近づく私を、邪魔だと思っていて」


「だから……」


 クラリスの声が震える。


「だから、きっと」


「私のことを……」


「…………」


 そこまで言って。


 クラリスは黙り込んだ。


 レティシアは彼女を見つめる。


(……おかしいですわね)


 先ほどまで読み上げられていた罪状。


 そこには。


 クラリスが泣きながら訴えた。


 レティシアを恐れている。


 何度も嫌がらせを受けた。


 そういった内容が含まれていた。


 けれど。


 目の前にいるクラリスは。


 まるで何も知らないような顔をしている。


「クラリス様」


「……はい」


「私は、あなたとほとんどお話したことがありません」


 クラリスの目が大きくなる。


「え?」


「社交の場で何度かご挨拶をした程度です」


「学校でも、同じ授業を受けたことはありますが」


 レティシアは少し考える。


「……まともに会話をしたのは、三回ほどでしょうか」


「三回……」


「はい」


 クラリスは困惑したように首を傾げた。


「でも……」


「はい?」


「私、レティシア様に……」


 言いかけて。


 クラリスは口を閉じた。


 そして。


 ゆっくりと周囲を見回した。


 そこには。


 自分たちを見つめる大勢の貴族たちがいる。


 先ほどまで。


 レティシアの罪を当然のように語っていた者たち。


 クラリスは、その視線に気づいた。


 そして。


 何かを言おうとした口を閉ざした。


「……どうかなさいました?」


 レティシアが尋ねる。


「いえ」


 クラリスは小さく首を振った。


「なんでも……ありません」


 その答えは。


 あまりにも不自然だった。


 レティシアはそれ以上、追及しなかった。


 代わりに。


 もう一つだけ尋ねる。


「では、最後に」


「……はい」


「私が、あなたを虐めた」


「その話は」


 クラリスの瞳を見る。


「誰から聞きましたの?」


 クラリスの表情が固まった。


「……え?」


「あなた自身が、私に虐められたのでしょう?」


「でしたら、聞く必要はありません」


「誰から聞いたのか、ではなく」


「誰にされたのか、ですもの」


 クラリスは。


 何も答えられなかった。


 大広間の空気が。


 ほんの少しだけ。


 変わった。


 先ほどまでレティシアを疑いもなく見ていた者たちの中にも。


 わずかな動揺が広がっていく。


「……クラリス嬢」


 どこかから声が飛んだ。


「無理に話す必要はありませんぞ」


 年配の貴族だった。


「恐ろしかった記憶を、今ここで思い出す必要はないでしょう」


 クラリスはそちらを見る。


「ですが……」


「あなたは十分に苦しんだ」


 男は優しい声で言った。


「これ以上、レティシア嬢と話す必要はありません」


 その言葉に。


 レティシアは、ゆっくりと目を細めた。


(……なるほど)


 先ほどから。


 誰かが。


 話を終わらせようとしている。


 自分が質問をすると。


 答えられない。


 答えられそうになると。


 誰かが止める。


 偶然だろうか。


 それとも。


「クラリス様」


 レティシアが再び名前を呼ぶ。


「……はい」


「大丈夫ですわ」


 クラリスは驚いたようにレティシアを見た。


「え?」


「今、無理に答える必要はありません」


「でも……」


「私も、少し混乱しておりますので」


 レティシアは小さく笑った。


「落ち着いたら、またお話ししましょう」


「二人で」


 クラリスの瞳が揺れる。


「……二人で?」


「ええ」


 レティシアは頷いた。


「今度は」


 大広間を見回す。


「余計な方々のいないところで」


 その言葉に。


 何人かの貴族の表情が変わった。


 レティシアは、それを見逃さなかった。


 そして。


 クラリスへ視線を戻す。


「あなたが、本当に何を知っているのか」


「私も、聞いてみたいですもの」


 クラリスはしばらく黙っていた。


 やがて。


 本当に小さく。


「……はい」


 と。


 頷いた。


 その返事を聞いて。


 レティシアは、ようやく確信する。


 ――クラリスは、敵ではない。


 少なくとも。


 この少女一人が。


 すべてを仕組んだわけではない。


 では。


 一体、誰が。


 誰が。


 自分とクラリスの間に。


 こんな話を作り上げたのだろう。


 レティシアは大広間にいる人々を見回した。


 誰もが。


 先ほどと同じように。


 こちらを見ている。


 けれど。


 その中に。


 ほんの一瞬だけ。


 レティシアと目が合った人物がいた。


 その人物は。


 すぐに視線を逸らした。


 レティシアは、その顔を覚えておくことにした。


 ――もっとも。


 このときはまだ知らなかった。


 これから先。


 その顔を探すことよりも。


 遥かに重要な問題が。


 自分の身に起きることになるのだと。

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