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悪役令嬢レティシア、二人になりました  作者: 南蛇井


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Scene 4 アルベルトの婚約破棄

「……どうぞ、お続けくださいな」


 レティシアの言葉が、大広間に静かに落ちた。


「皆様が、どれほど立派な断罪をなさるのか」


「最後まで拝見させていただきますわ」


 その声には怒鳴り声もなければ、涙もなかった。


 ただ、ひどく冷たい諦めだけがあった。


 しばらく。


 誰も口を開かなかった。


 先ほどまであれほど勢いよく罪を並べ立てていた文官も、今は手元の書類を見つめている。


 貴族たちも同じだった。


 誰かが何かを言えば、それに同調する。


 誰かが「悪役令嬢だ」と言えば、自分もそう思ったような顔をする。


 けれど。


 当の本人に正面から問い返されれば、誰も答えられない。


 そんな沈黙の中。


「……レティシア」


 小さな声が響いた。


 レティシアは視線を上げる。


 アルベルトだった。


 彼は、苦しそうな顔をしていた。


 何度も見たことのある顔だった。


 幼い頃。


 教師に叱られたとき。


 二人の友人が喧嘩をして、どちらの味方もできずに困っていたとき。


 そして。


 誰かを傷つけなければならない選択を迫られたとき。


 いつも、アルベルトはそんな顔をする。


「殿下」


「……僕は」


 アルベルトはそこで言葉を止めた。


 大広間の空気が、再び張り詰める。


 誰もが彼を見ていた。


 第一王子。


 この国の未来を担う者。


 そして。


 今日、この場でレティシアを断罪する者。


「アルベルト殿下」


 不意に、年配の貴族が一歩前へ出た。


「これ以上、時間をかける必要はございません」


 アルベルトの肩が、わずかに揺れる。


「しかし……」


「殿下」


 今度は別の男が口を開いた。


「すでに調査は終わっております」


「多くの証言も集まっております」


「これ以上、彼女の言葉に耳を貸す必要はないでしょう」


 レティシアの眉が、ぴくりと動いた。


 ――調査は終わっている。


 そう言った。


 それならば。


 なぜ、その結果を自分には見せないのか。


 なぜ、証人を呼ばないのか。


 なぜ。


 何一つ説明しないのか。


 けれど、もう質問する気にはなれなかった。


「殿下」


 また別の声が続く。


「この件は、すでに決定しております」


「……決定?」


 アルベルトが小さく呟く。


「はい」


 男は当然のように頷いた。


「王太子として、毅然とした態度をお示しください」


 毅然とした態度。


 その言葉に。


 レティシアは、ほんの少しだけ目を細めた。


(……そういうことですのね)


 誰かが決めた。


 そして。


 アルベルトは、それに従う。


 いつものことだった。


 誰かが決める。


 皆が納得したと言う。


 アルベルトは最後に頷く。


 そして、その決定は「王子の決断」になる。


 レティシアは小さく息を吐いた。


(やはり)


(何も変わっていませんわね)


 アルベルトは、まだ何かを言おうとしていた。


 レティシアが本当に罪を犯したのか。


 彼自身、確信していないのだろう。


 先ほどの問いにも答えなかった。


 答えられなかった。


 それでも。


 彼は王子だった。


 多くの人間が彼を見ている。


 多くの人間が、彼に決断を求めている。


「……」


 アルベルトは、ゆっくりと息を吸った。


 そして。


「レティシア・ヴァレンフォール」


 その声を聞いた瞬間。


 大広間の誰もが息を呑んだ。


 レティシアは黙って彼を見る。


 アルベルトの青い瞳が揺れていた。


「君との婚約を」


 そこで。


 一瞬だけ。


 彼の言葉が止まる。


「…………」


 レティシアは待った。


 もしかしたら。


 まだ。


 何か言うのかもしれない。


 やはり調べ直す、と。


 少なくとも。


 証拠を確認すると。


 そう言うかもしれない。


 けれど。


 アルベルトは目を伏せた。


「破棄する」


 ざわめきが起きた。


 大広間が一気に騒がしくなる。


「ついに……」


「やはり婚約破棄か」


「当然だ」


「悪役令嬢には相応しい末路だ」


 そんな声が、遠くから聞こえた。


 けれど。


 レティシアには、ほとんど届いていなかった。


 ただ。


 目の前の男を見ていた。


「…………」


 婚約破棄。


 幼い頃から決められていた。


 王子と侯爵令嬢。


 いずれ結ばれる。


 王太子と王太子妃になる。


 そう思っていた。


 愛していたのか。


 と問われれば。


 分からない。


 けれど。


 少なくとも。


 嫌いではなかった。


 アルベルトは優しかった。


 人を傷つけることを嫌う。


 困っている人を放っておけない。


 だからこそ。


 自分は彼の隣にいる必要があるのだと思っていた。


 彼が誰かを選べないなら。


 自分が一緒に考える。


 彼が間違った方向へ進むなら。


 止める。


 誰かに嫌われる決断をしなければならないなら。


 隣で一緒に嫌われればいい。


 ――そう思っていた。


 けれど。


(ああ)


 レティシアは、そこでようやく理解した。


(私だけが、そう思っていたのですわね)


 アルベルトは彼女を見ていた。


「レティシア……」


 何かを言いたそうだった。


 謝罪か。


 言い訳か。


 それとも。


 助けを求める言葉か。


 しかし。


 レティシアは、それを待たなかった。


「……そうですか」


 静かに。


 それだけを言った。


 あまりにも簡単な返事だったため。


 アルベルトが目を見開く。


「レティシア?」


「承知しましたわ」


 レティシアは背筋を伸ばした。


 いつものように。


 何事もなかったかのように。


「殿下がそうお決めになったのであれば」


 その瞬間。


 アルベルトの表情が、さらに苦しそうに歪んだ。


 レティシアは気づいていた。


 彼は、自分で決めたわけではない。


 だから。


 少しだけ意地悪をした。


「……婚約破棄、謹んでお受けいたします」


 深く頭を下げる。


 大広間が静まり返った。


 誰もが。


 もっと激しく反発すると思っていたのだろう。


 泣き叫ぶ。


 クラリスに掴みかかる。


 アルベルトに縋りつく。


 そんな姿を期待していた者もいたのかもしれない。


 けれど。


 レティシアは何もしなかった。


 ただ。


 婚約破棄を受け入れた。


「……それだけ、ですか?」


 誰かが小さく呟いた。


 レティシアは顔を上げた。


「他に、何か申し上げる必要が?」


「い、いえ……」


「では」


 レティシアは再びアルベルトを見る。


「殿下」


「……なんだい」


「どうぞ」


 レティシアは、わずかに笑った。


「続きを」


 その笑顔を見て。


 アルベルトは、初めて。


 自分が何かを失ったのだと理解した。


 けれど。


 まだ、このときの彼は知らなかった。


 婚約者を失ったのではない。


 もっと厄介なものを。


 ――二人分のレティシアを失うことになるのだと。

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