Scene 8 令嬢レティシアの「小さな違和感」
――同じ頃。
王都のとある貴族邸。
華やかな音楽が流れる広間で、令嬢レティシアは貴族たちに囲まれていた。
「レティシア様。実は、少しお願いしたいことがあるのですが……」
一人の貴族が、申し訳なさそうに頭を下げる。
それは決して簡単な頼みではなかった。
以前のレティシアなら。
少し困った顔をして。
それから――
「仕方ありませんわね」
そう言って、引き受けていただろう。
そして今も。
「ええ、構いませんわ」
にこり。
レティシアは笑った。
「ありがとうございます! なんてお優しいのでしょう!」
周囲から感嘆の声が上がる。
「さすがは白百合の令嬢ですわ!」
「本当にお心の広い方ね」
「私もレティシア様にお願いしてみようかしら」
その言葉を聞いて、レティシアは嬉しそうに微笑んだ。
(……よかった)
誰も怒っていない。
誰も困っていない。
誰も、自分を嫌っていない。
――なら。
これでいい。
そう思った。
ところが。
「レティシア様、もう一つお願いが……」
「ええ、もちろん」
また一つ。
そして、さらに一つ。
「あの件についても、お願いできますか?」
「はい。大丈夫ですわ」
「本当に助かります!」
「ありがとうございます、レティシア様!」
次々と頼まれる。
断る理由はいくらでもあった。
自分でやればいい。
誰か別の人に頼めばいい。
少し待ってもらえばいい。
けれど。
その言葉が、喉まで出かかって――消える。
(……駄目ですわ)
断ったら、困らせてしまう。
嫌な顔をされたら、どうしよう。
せっかく仲良くなれたのに。
だから。
「大丈夫ですわ」
笑う。
「お気になさらないでください」
また笑う。
そうしているうちに、手元の仕事は少しずつ増えていった。
一つ。
また一つ。
気がつけば、最初に頼まれたものとは比べものにならないほどになっている。
それでも。
レティシアは笑っていた。
「皆様が喜んでくださるなら、それで……」
その言葉を口にした瞬間。
――胸の奥が、ほんの少しだけ痛んだ。
「…………」
レティシアは、そっと胸元に手を当てる。
(……大丈夫?)
自分に問いかける。
けれど。
何が大丈夫なのか。
何が大丈夫ではないのか。
自分でも分からなかった。
周囲では、まだ笑顔が咲いている。
「本当に素敵な方ですわね」
「ええ。以前とはまるで別人みたい」
「白百合の令嬢……ぴったりですわ」
その声を聞いて。
レティシアも微笑んだ。
「……ありがとうございます」
胸の奥に残った、小さな違和感には。
気づかないふりをして。




