Scene 13 魔女の呪いを知る
「……できないな、これは」
ヴァレンフォール侯爵は、深々とため息をついた。
部屋の中には。
二人のレティシア。
そして。
未だ状況を飲み込めていない使用人たち。
だが。
いつまでもこうしているわけにはいかない。
侯爵はゆっくりと顔を上げた。
「レティシア」
二人が反応する。
「「はい」」
「…………」
侯爵は一瞬だけ目を閉じた。
「……右のレティシア」
「私ですわ」
「左のレティシア」
「私よ」
「うむ」
なんとか区別できた。
今は。
「昨日、何か変わったことはなかったか?」
その質問に。
二人の表情が変わった。
「…………」
「…………」
侯爵が眉をひそめる。
「何かあったのか?」
令嬢レティシアが、そっと悪役レティシアを見る。
悪役レティシアも、令嬢を見る。
二人とも。
同じことを思い出していた。
昨日。
王城で断罪されたあと。
誰もいないはずの廊下で。
「……いましたわ」
令嬢レティシアが、ゆっくりと口を開いた。
「昨日」
「何がだ?」
「魔女が」
部屋の空気が。
止まった。
「…………」
侯爵の表情が変わる。
「……何だと?」
「魔女です」
令嬢レティシアが、もう一度言う。
「名前は……エルヴィラ」
その名前を聞いた瞬間。
侯爵の目が鋭くなった。
「エルヴィラ……?」
「ご存じなのですか?」
「いや」
侯爵は首を振る。
「だが」
声が低くなる。
「魔女だと?」
部屋の中がざわめいた。
使用人たちが顔を見合わせる。
護衛の一人が、反射的に剣の柄へ手を伸ばした。
この王国で。
「魔女」という存在は。
決して気軽に口にするものではない。
古い呪い。
正体不明の魔術。
人の願いを叶える代わりに、何かを奪う者。
民話にも。
古い記録にも。
魔女の話は残っている。
そして。
そのほとんどが。
ろくな結末を迎えていない。
「……レティシア」
侯爵の声が、明らかに険しくなった。
「昨日、その魔女に何をされた?」
二人が、また互いを見る。
令嬢レティシアが口を開いた。
「……話をしましたわ」
「話?」
「ええ」
「何を」
令嬢レティシアは、昨日の廊下を思い出した。
あのとき。
魔女は言った。
――あなた、自分の嫌なところが嫌いなんでしょう?
「……私の」
令嬢レティシアは、自分の胸元へ手を置く。
「嫌なところについて」
「嫌なところ?」
「はい」
悪役レティシアが、続きを引き取った。
「怒るところ」
「……」
「負けず嫌いなところ」
「……」
「人に譲れないところ」
「……」
「自分の正しさを曲げられないところ」
侯爵の顔が、わずかに曇る。
「それを……魔女が言ったのか?」
「ええ」
「そして」
悪役レティシアは、令嬢を見る。
「なくしてあげるって言った」
令嬢レティシアが、小さく頷いた。
「『あなたの嫌いな部分を、全部なくしてしまえばいい』と」
「…………」
エレノアの表情も、少しだけ変わった。
侯爵が尋ねる。
「それで?」
「……」
令嬢レティシアは、答えられなかった。
代わりに。
悪役レティシアが言った。
「お願いしたのよ」
「…………」
「自分の嫌なところを、なくしてほしいって」
侯爵の眉間に、深い皺が刻まれる。
「……お前が?」
「私たちが」
令嬢レティシアが訂正した。
「昨日までの、私が」
「…………」
その言葉に。
侯爵は黙り込む。
二人は、昨日まで一人だった。
なら。
魔女に願ったのも。
昨日までの一人のレティシアだ。
「魔女は」
悪役レティシアが続ける。
「願いを叶えるって言った」
「願いを……」
「私の嫌いな部分を消してくれるって」
令嬢レティシアが、昨日の記憶を辿る。
「それから」
二人の声が。
ほとんど同時に重なった。
「「光が見えました」」
「…………」
「…………」
二人は。
自分でも驚いたように顔を見合わせる。
「白い光」
令嬢レティシアが言う。
「黒い光」
悪役レティシアが続ける。
「それが」
「胸の中から」
「分かれて――」
「…………」
そこで。
二人の言葉が止まった。
侯爵。
エレノア。
そして部屋にいる全員が。
二人を見つめていた。
しばらくして。
侯爵が、ゆっくりと口を開く。
「……つまり」
二人を見る。
「その魔女の呪いによって」
「……」
「お前たちは、二人になったと?」
「…………」
「…………」
令嬢レティシアが、小さく頷く。
「……おそらく」
悪役レティシアも。
「そういうことになるわね」
部屋の中が。
再び静まり返った。
「…………」
侯爵は額を押さえた。
今度は。
さっきとは違う。
明らかな緊張があった。
「魔女の呪いか……」
低い声で呟く。
エレノアが、心配そうに二人を見る。
「体に痛みは?」
「ありませんわ」
「どこか苦しいところは?」
「ないわ」
「気分は?」
「少し混乱しているだけですわ」
「それは私も」
悪役レティシアが言う。
「体は?」
「何ともない」
「魔力は?」
「普段と変わりませんわ」
二人の答えを聞きながら。
侯爵は、じっと考えていた。
二人の体に傷はない。
苦しんでいる様子もない。
むしろ。
昨日まで一人だった人間が。
今は二人いる。
「…………」
問題は。
傷を負ったことではない。
病に倒れたことでもない。
呪いによって。
何かを失ったことですらないのかもしれない。
「なぜだ」
侯爵が呟いた。
「?」
二人が見る。
侯爵は、ゆっくりと顔を上げた。
「なぜ、お前たちは二人になった?」
誰も答えられなかった。
令嬢レティシアは。
自分の手を見る。
悪役レティシアも。
同じように自分の手を見る。
昨日。
自分は願った。
自分の嫌な部分を。
なくしてほしいと。
けれど。
なくなったのではない。
目の前にいる。
「…………」
令嬢レティシアが。
悪役レティシアを見る。
悪役レティシアも。
令嬢レティシアを見る。
「消えたんじゃない」
悪役レティシアが、ぽつりと言った。
「……え?」
「私」
自分の胸を指差す。
「消されたんじゃない」
「…………」
令嬢レティシアの目が見開かれる。
悪役レティシアは。
少しだけ笑った。
だが。
その笑顔には。
どこか苦いものがあった。
「分けられただけよ」
「…………」
部屋の空気が。
少しだけ冷えた。
昨日。
レティシアは。
自分の嫌な部分をなくしたいと願った。
しかし。
魔女エルヴィラは。
それを消さなかった。
**二つに分けた。**
「…………」
侯爵は険しい表情のまま呟く。
「……エルヴィラ」
その名を。
低く。
噛みしめるように。
「一体、何が目的だ」
もちろん。
その答えを知る者は。
まだ。
この部屋にはいなかった。




