第2場面「王都では何をしていたの?」
「……王都、ね」
悪役レティシアが、ぽつりと呟いた。
令嬢レティシアは、その横顔を見る。
さっきまでとは違う。
どこか遠くを見るような目。
まるで。
ここにはいない誰かを見ているようだった。
「……あの」
「何?」
「少し、聞いてもよろしいでしょうか?」
「内容によるわね」
「あなたは……」
令嬢は少し迷った。
そして。
「王都では、どんなふうに働いていたのですか?」
悪役レティシアは、すぐには答えなかった。
机の上に並べられた書類を見る。
水路。
鉱山。
税。
物資。
人員。
そして。
その一番上に置かれた、さっき令嬢が整理した書類。
「……」
しばらくして。
悪役は小さく息を吐いた。
「働いていたわよ」
「……?」
令嬢は目を瞬かせる。
悪役は、少しだけ眉を寄せた。
「何、その顔」
「いえ……」
「まるで、私が王都では何もしてなかったみたいじゃない」
「そんなつもりでは……」
「分かってるわ」
悪役は椅子に背を預ける。
そして。
静かに言った。
「私は王都で、何もしていなかったわけじゃない」
令嬢は黙った。
その言葉には。
妙な重みがあった。
「むしろ……」
悪役は少し考える。
「面倒な仕事ばかりしていたわね」
「面倒な仕事?」
「誰もやりたがらない仕事」
そう言って。
指を一本立てる。
「問題が起きれば、私が呼ばれた」
二本目。
「揉め事が起きれば、私が間に入った」
三本目。
「誰かが失敗すれば、その尻拭いをした」
四本目。
「予算が合わなければ、私が帳尻を合わせた」
令嬢は、黙って聞いている。
悪役は淡々と続けた。
「王宮の書類なんて、誰が見ても分かるように作ってあると思うでしょう?」
「……はい」
「実際には、そんなことないのよ」
「まあ……」
「書いた本人にしか分からないような報告書」
「…………」
「数字の合わない予算案」
「…………」
「貴族同士で押しつけ合ってる責任」
「…………」
「殿下が『みんなで話し合えば何とかなる』って言って、そのまま話し合いだけが三日続いたこともあったわ」
「……」
令嬢の口元が、ほんの少しだけ引きつる。
「それは……」
「でしょう?」
悪役はため息をついた。
「結局、最後に私が全部整理するの」
「……」
「誰が何を担当するのか」
「何をいつまでにやるのか」
「どこに問題があるのか」
「誰が責任を持つのか」
一つずつ。
当たり前のように。
けれど。
誰もやりたがらない仕事を。
悪役レティシアは引き受けていた。
「派閥同士が揉めれば、双方の言い分を聞いて」
「落としどころを作って」
「それでも納得しない相手には、何が問題なのかを直接言った」
令嬢は静かに尋ねる。
「……だから、嫌われたのですか?」
「それもあるでしょうね」
悪役は苦笑した。
「『それは無理です』」
「『その案では危険です』」
「『その責任は、あなたが負うべきでしょう』」
「そういうことを、私は平気で言ってたから」
令嬢は少し考える。
それは。
今の自分なら、きっと言えない言葉だった。
けれど。
同時に。
それを言っていた自分の半分がいたからこそ。
王都の仕事が回っていたのだろうとも思う。
悪役は、机の上の書類を指で軽く叩いた。
「誰かがやらなきゃいけないことだったのよ」
「……」
「だから、私がやった」
それだけ。
まるで。
特別なことではないように。
令嬢は悪役の横顔を見つめる。
そして。
ふと。
第17話で聞いた言葉を思い出した。
――私はここで必要とされているから。
あのとき。
この人はそう言った。
王都では。
違ったのだろうか。
「……あなたは」
令嬢が、静かに口を開く。
「王都でも、必要だったのですね」
悪役の目が動いた。
「……」
一瞬。
何も言わなかった。
そして。
小さく笑う。
「そうね」
その笑みは。
いつもの強気なものとは少し違った。
「必要だった」
令嬢は驚いた。
悪役は続ける。
「私がいなければ、困る人間はたくさんいたわ」
「……」
「私がいなくなったら、誰かがその仕事をやらなきゃいけない」
「……はい」
「だから」
悪役は、令嬢を見る。
「私は、王都で必要だった」
その言葉が。
令嬢の胸に残った。
必要だった。
王都でも。
この人は。
ちゃんと必要とされていた。
ただ。
それは。
令嬢が思っていた「必要」とは、少し違う気がした。
令嬢が王都で感じていたのは。
「レティシアだから頼られる」という感覚だった。
けれど。
この人は。
必要な仕事を。
必要なことだからと。
自分の意思で引き受けていた。
令嬢は、もう一度。
悪役レティシアを見る。
すると。
彼女は少しだけ目を伏せていた。
「……でも」
「はい?」
悪役は。
しばらく黙ってから。
ぽつりと言った。
「必要だったからって、好きだったわけじゃないけどね」
「……」
その言葉だけが。
妙に静かに。
黒薔薇館の食堂に残った。




