第18話「王都では必要だった」 第1場面「朝の仕事」
翌朝。
黒薔薇館の食堂。
令嬢レティシアは、机の上を見つめていた。
「…………」
積み上げられた書類。
右にも。
左にも。
そして。
正面にも。
「…………これは」
令嬢は一枚の紙を手に取る。
水路の補修計画。
その隣には鉱山の作業報告。
さらに。
村ごとの税の記録。
物資の在庫表。
人員配置。
修繕予定。
未処理の申請書。
「…………」
一枚。
また一枚。
めくっていく。
「…………多すぎません?」
「そう?」
向かいに座っている悪役レティシアは、平然としていた。
「普通よ」
「これが……普通?」
「グランフェルは人手不足なの」
「それは昨日も聞きましたわ」
令嬢は書類の山を見つめる。
「ですが……」
一番上の書類を持ち上げる。
「この量は、侯爵家の執務室でも、そうそう見ませんでしたわよ?」
「じゃあ、いい経験になるわね」
「…………」
悪役は、涼しい顔でお茶を飲んでいる。
「頑張って」
「…………」
令嬢はじっと悪役を見る。
悪役は視線を逸らした。
「何よ」
「いえ」
令嬢は小さく息を吐く。
そして。
書類を一枚、机の中央へ置いた。
「では、始めますわ」
「そうこなくちゃ」
令嬢はまず、書類を一枚ずつ確認していく。
水路。
鉱山。
税。
物資。
人員。
ざっと目を通しただけで、いくつか気になるところが出てきた。
「……これは」
令嬢が一枚の報告書を取り上げる。
「水路の補修が、予定より三日遅れていますわ」
「そう」
「原因は?」
「雨」
「……」
令嬢は別の書類を見る。
「こちらには、資材不足とありますけれど」
「それも原因」
「では、雨で作業が遅れたうえに、資材の到着も遅れている?」
「そういうこと」
令嬢は少し考える。
そして。
「でしたら、こちらの作業員を一時的に回せば――」
「それは無理」
「なぜですの?」
「鉱山のほうが、今週は人手が足りないから」
「……」
令嬢は鉱山の書類を見る。
「でしたら、鉱山側の作業を一部延期して――」
「鉱山の出荷予定があるから無理」
「…………」
令嬢は黙った。
そして。
書類を三枚、並べた。
「なるほど」
「何が?」
「単純に人手を増やせばいいという問題ではありませんのね」
「そうよ」
令嬢は少し考える。
水路。
鉱山。
資材。
出荷。
それぞれの予定を並べ直す。
「……でしたら、水路の補修を区画ごとに分けますわ」
「ほう?」
「一度に全部を直そうとするから、人手が必要になるのです」
令嬢は紙に簡単な図を書き始めた。
「優先度の高い場所から補修する」
「……」
「鉱山から人を回すのではなく、水路側の作業を一時的に分散する」
「…………」
「そして、資材が届くまでの間に、人手だけでできる作業を先に進めます」
悪役レティシアは、黙ってその紙を見る。
「これなら、作業を完全に止めずに済みますわ」
「……」
「どうでしょう?」
悪役は少しだけ口元を上げた。
「……意外とできるじゃない」
「まあ」
令嬢は胸を張る。
「これくらいはできますわ」
「昨日まで書類を見て固まってたくせに」
「それは……」
令嬢は少しだけ頬を膨らませる。
「こちらの仕事が、あまりにも多かったからですわ」
「そう?」
「ええ」
令嬢は書類を整理しながら答える。
「王都では、こういう仕事ばかりしていましたもの」
その瞬間。
悪役レティシアの手が止まった。
「……そうだったわね」
さっきまでの軽い調子とは違う。
ほんの少しだけ。
声が低くなった。
令嬢は気づかず、次の書類を手に取る。
「予算の調整もしていましたし」
「……」
「王宮の行事の準備も」
「……」
「貴族間の問題が起きたときの調整もしていましたわ」
一枚。
また一枚。
「陛下や殿下に提出する書類の確認も」
悪役は黙っている。
令嬢は懐かしそうに話す。
「急な予定変更なんて日常茶飯事でしたし」
「誰かが失敗したら、その対応を考えて」
「誰かが揉めたら、間に入って」
「人手が足りなければ、私が引き受けて……」
そこまで言って。
令嬢は、ふと顔を上げた。
「……どうしましたの?」
悪役は答えなかった。
ただ。
机の上に置かれた書類を見つめている。
その横顔には。
どこか複雑な色が浮かんでいた。
令嬢は不思議そうに首を傾げる。
「レティシア?」
「……なんでもないわ」
悪役はそう言って。
視線を逸らした。
けれど。
その表情は。
いつものような、強気なものではなかった。
「……王都、ね」
小さく。
その言葉だけが、こぼれた。




