第12場面
夜。
黒薔薇館は、静かな闇に包まれていた。
令嬢レティシアは、客室の窓辺に立っていた。
窓の外には、グランフェルの夜が広がっている。
王都とは違う。
街を照らす明かりも少ない。
遠くに見える家々の灯りも、まばらだ。
けれど。
その光は、不思議と暖かく見えた。
昼間に見た村。
水路。
鉱山。
庭。
使い込まれた道具。
そして。
ノワール。
そのすべてが、この場所で生きてきた彼女の時間なのだ。
令嬢は、窓の外を見つめながら思った。
(私は、この人を王都へ連れて帰るつもりでした)
最初は。
当然のことだと思っていた。
自分の半分なのだから。
失ったものなのだから。
迎えに行けばいい。
そうすれば、元に戻れる。
けれど。
今は、違う。
(けれど――)
令嬢は、静かに目を伏せる。
(この人には、もうここで生きてきた時間がある)
王都から追い出された。
それだけではない。
この場所で。
自分で決めて。
自分で選んで。
自分の手で、暮らしを作ってきた。
誰かに与えられた居場所ではない。
自分で作った居場所なのだ。
だから。
簡単に「帰ってきて」と言えるものではない。
令嬢は、窓に映った自分の顔を見る。
そこにいるのは。
自分と同じ顔。
けれど。
もう、同じ人生を歩んでいるわけではない。
(ならば)
令嬢は、少しだけ笑った。
(私も、自分の居場所を考えなければ)
王都に戻るのか。
ここに残るのか。
それとも。
別の場所を探すのか。
まだ、分からない。
けれど。
今度は。
誰かに決めてもらうつもりはなかった。
自分で決める。
それだけは、分かっている。
「……おやすみなさい」
誰に言うでもなく。
令嬢は小さく呟いた。
そして。
夜が明けた。
---
翌朝。
「レティシア」
「はい?」
朝食を終えた令嬢が顔を上げる。
そこには、悪役レティシアが立っていた。
手には、一枚の書類。
「何ですの?」
「ちょっとね」
悪役レティシアは、書類を持ったまま令嬢を見る。
「昨日、言ったでしょう」
「……何をですの?」
「一緒にいたいって」
「ええ」
令嬢は頷く。
すると。
悪役レティシアは。
ことり。
書類を机の上に置いた。
「だったら、働いて」
「…………はい?」
令嬢の目が丸くなる。
悪役レティシアは、何でもないことのように言った。
「グランフェルは人手不足なのよ」
「……」
令嬢は書類を見る。
そこには。
水路の補修計画。
村の備品管理。
鉱山の作業報告。
税の記録。
そして。
大量の未処理書類。
「…………」
令嬢の笑顔が、ゆっくり消えていく。
「これは……」
「仕事」
「……随分とありますわね」
「人手不足だから」
「……」
悪役レティシアは腕を組む。
そして。
少しだけ挑戦的な笑みを浮かべた。
「王都の侯爵令嬢様が、どれくらい役に立つのか見せてもらおうじゃない」
令嬢は書類を見つめる。
しばらく黙っていた。
そして。
ふっと。
口元に笑みを浮かべる。
「……望むところですわ」
「その顔、覚悟しておきなさいよ」
「もちろんですわ」
令嬢は一枚目の書類を手に取った。
「それで?」
「ん?」
「まず、何から始めればよろしいのでしょう?」
悪役レティシアが、少しだけ笑う。
「それを自分で考えるところからよ」
「…………」
令嬢は目を瞬かせ。
そして。
今度こそ。
楽しそうに笑った。
「では、考えてみますわ」




