第10場面「それでも、あなたは私の半分」
黒薔薇館の庭を、二人のレティシアが並んで歩いていた。
王都の侯爵邸にあるような、整然と刈り込まれた庭ではない。
ところどころ伸びた草。
小さな花。
使い込まれた道具。
そして、庭の隅には何かの魔道具らしきものまで置かれている。
けれど。
令嬢レティシアには、不思議と居心地が悪くなかった。
むしろ。
少しだけ、好きになり始めていた。
隣を歩く悪役レティシアは、庭の様子を確認しながら歩いている。
「あそこ、また伸びてるわね……」
「まあ」
令嬢が指差された場所を見る。
「お庭のお手入れも、ご自身でなさっているのですか?」
「全部じゃないわよ」
「そうなのですか?」
「村の人にも手伝ってもらってるわ。私一人で全部やる必要なんてないもの」
その言葉に。
令嬢は小さく目を瞬かせた。
以前の自分なら。
「私がやらなければ」
そう思っていたかもしれない。
けれど。
この人は違う。
自分で決める。
必要なら人に頼る。
そして。
必要がなければ、自分で抱え込まない。
それもまた、この人なりの「自分で決める」なのだろう。
しばらく歩いて。
令嬢が口を開いた。
「……では」
「ん?」
「私は、どうすればよいのでしょう?」
悪役レティシアが足を止めた。
「何が?」
「これから、ですわ」
令嬢は少しだけ困ったように笑った。
「私は王都に戻らないあなたを、無理に連れて帰るつもりはありません」
「そうね」
「けれど……」
少し考える。
「私は、あなたと一緒にいたいと思っています」
悪役レティシアは黙っている。
「でしたら、私はどうすればよいのでしょう?」
その問いに。
悪役レティシアは、あっさりと言った。
「知らないわよ」
「……」
あまりにも迷いのない返答だった。
令嬢は目を丸くする。
「知らない、ですの?」
「知らないわよ」
「……」
「あなたの人生でしょう?」
悪役レティシアは、呆れたように肩をすくめた。
「自分で決めなさい」
その言葉を聞いて。
令嬢は、しばらく黙っていた。
そして。
ふっと。
小さく笑った。
「……そうですわね」
悪役レティシアが横目で見る。
「何よ」
「いえ」
令嬢は、庭の先を見る。
青い空。
風に揺れる木々。
遠くには、グランフェルの町が見えている。
王都とは違う景色。
王都とは違う暮らし。
そして。
王都とは違う、自分の半分が生きている場所。
令嬢は思う。
(自分で決めなさい)
それは、突き放す言葉ではなかった。
「あなたのことは、あなたが決めていい」
そういう意味なのだ。
(それが、あなたの言う「自分で決める」ということなのですね)
令嬢は、少しだけ笑った。
これまでの自分は。
誰かの意見を聞くことと。
誰かに決めてもらうことを。
同じものだと思っていた。
けれど。
違う。
相手の言葉を聞く。
相手の気持ちを考える。
そのうえで。
最後に、自分で決める。
それが「自分で決める」ということなのだ。
そして。
目の前の彼女もまた。
自分とは違う。
怒る。
嫌だと言う。
譲らない。
必要なら、人とぶつかる。
けれど。
それは間違いなのではない。
自分が大切にしてきたものとは、違うだけだ。
「……あなたと私は」
令嬢がぽつりと言った。
「やっぱり、ずいぶん違いますわね」
「今さら気づいたの?」
「ふふ」
令嬢は笑った。
「はい。今さらですわ」
悪役レティシアも、ほんの少しだけ口元を緩める。
「でも」
令嬢が続ける。
「それで、よいのかもしれませんわね」
「……」
「私は、あなたと同じになる必要はありませんもの」
悪役レティシアは何も言わない。
「あなたも、私と同じになる必要はありませんわ」
風が吹いた。
二人の髪が、同じように揺れる。
同じ顔。
同じ声。
同じ記憶。
それでも。
今の二人は、もう同じ人間ではない。
それぞれが、それぞれの場所で生きている。
それぞれの考えを持っている。
それぞれの「嫌だ」と。
それぞれの「こうしたい」がある。
だからこそ。
令嬢は思った。
(それでも、あなたは私の半分ですわ)
失ったもの。
切り離されてしまったもの。
けれど。
もう一度、無理に一つに戻す必要はない。
ただ。
「あなたが、あなたであること」を。
認めればいい。
悪役レティシアが、前を向いたまま言った。
「……まあ」
「はい?」
「違うからって、別に嫌いになる必要もないでしょう」
令嬢は目を見開く。
そして。
嬉しそうに笑った。
「ええ」
二人は、再び歩き出した。
同じ道を。
けれど。
同じ方向へ行くとは限らない。
それでも。
今は、それでよかった。




