第8場面「私は、あなたを連れて帰りたい」
黒薔薇館の前まで戻ってきても。
令嬢レティシアは、すぐには中へ入らなかった。
夕暮れの光が。
二人の足元を長く伸ばしている。
悪役レティシアは、そんな彼女を不思議そうに見た。
「……さっきから、何を考えてるの?」
「……」
令嬢レティシアは、少しだけ俯いた。
そして。
ゆっくりと顔を上げる。
「一つだけ」
「何?」
「どうしても、伝えておきたいことがありますの」
悪役レティシアが黙って待つ。
令嬢レティシアは。
一度、息を吸った。
「……それでも」
言葉を選ぶ。
けれど。
今度は。
逃げなかった。
「それでも、私はあなたと一緒にいたいですわ」
悪役レティシアの目が、わずかに見開かれる。
「……私と?」
「はい」
「王都に帰るんじゃなくて?」
「ええ」
令嬢レティシアは頷いた。
「王都へ帰らなくても構いません」
「……」
悪役レティシアは、何も言わない。
令嬢レティシアは続けた。
「あなたがここにいたいのなら」
一歩。
悪役レティシアへ近づく。
「私がここへ来てもいいと思っています」
「……は?」
悪役レティシアが、思わず間の抜けた声を漏らした。
「ちょっと待って」
「はい?」
「あなたが?」
「ええ」
「この辺境に?」
「はい」
「……本気?」
「本気ですわ」
あまりにも迷いなく答えたので。
悪役レティシアは、しばらく固まった。
「……王都の侯爵令嬢が?」
「元、ですけれど」
「いや、そういう問題じゃなくて……」
悪役レティシアが頭を抱える。
「ここ、王都みたいに何でもあるわけじゃないわよ?」
「知っていますわ」
「冬は寒いし」
「伺いましたわ」
「道だって悪いし」
「昨日、実際に見ましたもの」
「貴族らしい暮らしなんてできないわよ」
「それも分かっています」
「……」
悪役レティシアは、じっと彼女を見る。
「本当に来るつもりなの?」
令嬢レティシアは。
静かに頷いた。
「あなたを連れて帰るためだけに来たのではありませんもの」
その言葉に。
悪役レティシアの表情が変わった。
令嬢レティシアは続ける。
「私は、あなたに帰ってきてほしいと思っていました」
「……」
「あなたが私の失った半分だから」
けれど。
そこで一度、言葉を止める。
「でも」
令嬢レティシアは、まっすぐに彼女を見る。
「あなたには、あなたの意思があります」
悪役レティシアは何も言わない。
「あなたがここにいたいのなら」
令嬢レティシアは、微笑んだ。
「その気持ちを、私が勝手に変えてはいけないと思いますわ」
そして。
はっきりと。
自分の望みを口にした。
「私は、あなたとどうすれば一緒にいられるのかを考えたいのです」
「……」
「王都に戻るのか」
「……」
「ここで暮らすのか」
「……」
「それとも、別の方法があるのか」
令嬢レティシアは、少しだけ困ったように笑った。
「まだ、何も分かりませんわ」
けれど。
その顔には。
以前のような迷いだけではなかった。
「でも」
令嬢レティシアは言う。
「分からないからこそ、一緒に考えたいのです」
悪役レティシアは。
しばらく黙っていた。
やがて。
「……変なの」
「そうでしょうか?」
「王都に帰れば、何もかも元通りになるでしょうに」
「……」
「あなたは、皆に愛されてる」
「ええ」
「侯爵令嬢としての生活だってある」
「ええ」
「それを捨ててまで、ここに来るの?」
令嬢レティシアは。
少しだけ考えた。
そして。
静かに答えた。
「捨てる、とは思っていませんわ」
「……」
「私は、私の人生を選びたいだけです」
悪役レティシアが。
ほんの少しだけ目を見開いた。
令嬢レティシアは、自分でも気づいていた。
その言葉は。
以前の自分なら、きっと言えなかった。
「皆様がどう思うか」ではなく。
「自分がどうしたいのか」。
その答えを。
今は、自分の言葉で口にしている。
「だから」
令嬢レティシアは笑った。
「あなたを連れて帰るのではなく」
一歩。
さらに近づく。
「あなたと一緒にいられる場所を、探したいのです」
悪役レティシアは。
しばらく彼女を見つめていた。
そして。
小さく息を吐く。
「……本当に、変わったわね」
「そうですの?」
「ええ」
悪役レティシアは、少しだけ笑った。
「前のあなたなら、絶対そんなこと言わなかった」
令嬢レティシアも。
小さく笑う。
「私も、そう思いますわ」
二人の間に。
静かな風が吹いた。
帰る場所を決めることより。
一緒にいられる場所を探すこと。
それは。
どちらか一人が、もう一人に合わせることではない。
二人が。
それぞれの意思を持ったまま。
これからを考えるということだった。




