第7場面「連れ戻せない」
「結構気に入ってるわ」
その言葉が。
令嬢レティシアの胸に残っていた。
黒薔薇館へ戻る道。
二人は、しばらく何も話さなかった。
夕暮れのグランフェル。
遠くに見える村。
畑。
水路。
その向こうには、山々が連なっている。
王都とは。
何もかもが違う。
華やかな街並みもない。
大きな劇場も。
立派な舞踏会場も。
貴族たちが集まる広間もない。
けれど。
「……」
令嬢レティシアは、歩きながら周囲を見渡した。
村人が手を振る。
悪役レティシアが、軽く手を上げて応える。
「レティシア様、明日の鉱山の件、お願いします!」
「分かってるわ!」
「水路のほうも、問題ありません!」
「そう。ならよかったわ」
そんなやり取りが。
当たり前のように交わされている。
令嬢レティシアは、足を止めた。
悪役レティシアが振り返る。
「どうしたの?」
「……いえ」
令嬢は答えなかった。
ただ。
目の前の光景を見つめていた。
この人は。
ここにいる。
本当に。
ここにいるのだ。
王都から追放されたから。
仕方なくここにいるのではない。
帰る場所がないから。
ここに留まっているのでもない。
この人は。
自分で、この場所に暮らしている。
自分で人と関わり。
自分で仕事を見つけ。
自分で問題を解決して。
自分で居場所を作った。
――ここが、この人の暮らしなのだ。
令嬢レティシアの胸が。
きゅっと締まる。
「……」
思い返す。
自分がここへ来たとき。
何と言っただろう。
――迎えに来ましたわ。
あの言葉を。
今になって思い出す。
けれど。
今は。
その言葉が、少し違って聞こえた。
(私は……)
令嬢レティシアは、静かに目を伏せる。
(この人を、王都から迎えに来たのではありませんわ)
違う。
そうではない。
(この人は、もう……)
顔を上げる。
黒薔薇館が見える。
その庭には。
昨日見た工具がある。
修理途中の魔道具がある。
村から届いた書類がある。
壁には地図。
そして。
その庭を自分の家のように歩いているノワール。
そのすべてが。
この人の暮らしだった。
(この人は、もうここにいるのです)
「……」
令嬢レティシアは、胸の前で手を握った。
「……どうしたのよ?」
悪役レティシアが、もう一度尋ねる。
「さっきから、変よ」
「……そうですわね」
令嬢は、少しだけ笑った。
「自分でも、そう思いますわ」
「何か分かったの?」
「ええ」
けれど。
その答えを。
すぐに口にすることはできなかった。
まだ。
自分の中で、整理できていない。
ただ。
一つだけ。
はっきりしたことがある。
自分は。
この人を「失われた半分」だと思っていた。
だから。
取り戻そうと思った。
王都へ連れて帰ろうと思った。
元に戻す方法を考えようと思った。
けれど。
違う。
この人は。
失われたのではない。
捨てられたのでもない。
ここで。
自分の人生を始めている。
「……」
令嬢レティシアは、もう一度黒薔薇館を見る。
そして。
初めて。
「迎えに来た」という言葉を。
自分自身に問い直した。
――誰が。
――誰を。
――どこへ連れて帰るのか。
答えは。
まだ出ない。
けれど。
少なくとも。
この人を「王都へ戻すこと」が正解なのだとは。
もう思えなかった。




