第6場面「あなたは幸せなの?」
「ここでは、自分で決められるから」
その言葉を聞いてから。
令嬢レティシアは、しばらく黙っていた。
自分で決める。
何をするか。
誰を助けるか。
何を放っておくか。
王都にいた頃の自分には、なかったもの。
いや。
正確には。
あったはずなのに。
いつの間にか、手放していたもの。
「……」
令嬢レティシアは、隣を歩く悪役レティシアを見る。
そして。
ふと。
別の疑問が浮かんだ。
これだけ聞いて。
それでも、まだ知りたい。
「……あなたは」
悪役レティシアが振り返る。
「何?」
令嬢レティシアは、少しだけ迷ってから尋ねた。
「……あなたは、幸せですの?」
「……」
悪役レティシアの足が止まった。
予想していなかった質問だったのだろう。
目を瞬かせる。
「幸せ……?」
「はい」
「……」
悪役レティシアは、すぐには答えなかった。
空を見上げる。
夕暮れの光が、山の向こうへ沈みかけている。
風が吹いた。
庭の木々が、静かに揺れる。
しばらくして。
悪役レティシアは、小さく息を吐いた。
「……たぶん」
「……たぶん?」
令嬢レティシアが目を瞬く。
悪役レティシアは、少し苦笑した。
「だって、王都みたいに何もかも恵まれてるわけじゃないもの」
「……」
「冬は寒いし」
「はい」
「欲しいものがあっても、すぐには手に入らない」
「ええ」
「屋敷だって、もっと立派なところはいくらでもあるでしょうね」
「……そうですわね」
「食事だって、王都に比べれば質素だし」
そう言って。
悪役レティシアは、肩をすくめる。
「貴族らしい生活とは、程遠いわ」
令嬢レティシアは黙って聞いていた。
けれど。
悪役レティシアは、そこで言葉を止めた。
視線を。
黒薔薇館へ向ける。
庭には。
昼間使っていた工具が置かれている。
その隣には、修理途中の魔道具。
机の上には、村から届いた書類。
壁には、グランフェル周辺の地図。
そして。
少し離れた場所では。
ノワールが丸くなっている。
悪役レティシアは、それらを一つずつ眺めた。
水路の修理。
鉱山の調査。
村人との相談。
魔道具の修理。
ここで過ごした日々。
自分で選んだこと。
自分で動いたこと。
自分で直したもの。
「……でも」
悪役レティシアが、ぽつりと言った。
「ここで暮らすの、嫌いじゃない」
令嬢レティシアは、黙って彼女を見る。
「むしろ……」
悪役レティシアは、少しだけ言葉を探した。
それから。
ほんの少し笑った。
「結構気に入ってるわ」
「……」
令嬢レティシアは、言葉を失った。
もっと苦しんでいると思っていた。
王都を追われて。
侯爵令嬢の身分を失って。
辺境へ送られて。
何もかも奪われた。
だから。
いつか連れ戻してあげなければならない。
そう思っていた。
けれど。
違った。
この人は。
奪われただけではなかった。
ここで。
自分の手で。
新しいものを作っていた。
「……幸せ、なのですね」
令嬢レティシアが呟く。
「だから、たぶんって言ったでしょう」
悪役レティシアは少し照れたように顔を背ける。
「そんな簡単に言えるものじゃないわよ」
「ふふ……」
「何よ」
「いえ」
令嬢レティシアは笑った。
けれど。
その胸の奥には。
小さな戸惑いが残っていた。
自分は。
王都で愛されていた。
幸せだった。
それなのに。
目の前のもう一人の自分は。
王都よりずっと不便な場所で。
貴族らしい生活もできず。
泥にまみれて。
毎日忙しく働いて。
それでも。
「結構気に入っている」と笑った。
――どうして。
令嬢レティシアには。
それが少しだけ。
羨ましく思えた。




