第5場面「必要とされるということ」
夕方。
黒薔薇館へ戻る道を、二人のレティシアが並んで歩いていた。
昼間の仕事を終えた村は、少しずつ静かになっている。
遠くから聞こえていた人々の声も、次第に少なくなっていく。
令嬢レティシアは、隣を歩く悪役レティシアを見た。
泥のついた靴。
少し乱れた髪。
袖をまくったままの服。
王都にいた頃の自分なら。
とても人前には出られない格好だった。
けれど。
今の彼女は。
そんなことを、まるで気にしていない。
「……」
令嬢レティシアは、しばらく迷った。
けれど。
聞いてみたいと思った。
「あなたは……」
悪役レティシアが振り返る。
「何?」
「ここが好きなのですか?」
悪役レティシアは。
少しだけ考えた。
すぐには答えない。
やがて。
視線を前に戻しながら。
「……嫌いじゃないわ」
「ふふ」
「何よ」
「いえ」
令嬢レティシアは微笑んだ。
「素直ではありませんのね」
「うるさいわね」
悪役レティシアは、少しだけ顔をしかめる。
けれど。
そのまま歩きながら、ぽつりと続けた。
「まあ……不便だけどね」
「不便?」
「ええ」
悪役レティシアは、指を折るように数えていく。
「冬は寒い」
「……それは、大変そうですわ」
「王都みたいに何でも揃ってるわけじゃない」
「ええ」
「欲しいものがあっても、すぐ手に入るとは限らない」
「なるほど……」
「貴族らしい生活だってできないわよ」
そこまで言って。
悪役レティシアは肩をすくめた。
「お茶会もないし、舞踏会もないし、毎朝侍女が何人も起こしに来ることもない」
「それは……」
令嬢レティシアは少し考えた。
「少し寂しくありませんの?」
「最初はね」
悪役レティシアは答えた。
「でも、慣れるわ」
「……」
「それに」
そこで。
悪役レティシアは足を止めた。
夕暮れのグランフェルを眺める。
遠くに村が見える。
その向こうには山々。
王都とは違う。
何もかもが。
けれど。
悪役レティシアは、静かに言った。
「ここでは、自分で決められるから」
令嬢レティシアの足が止まった。
「……自分で?」
「ええ」
悪役レティシアは振り返る。
「何をするかも」
一つ。
指を立てる。
「誰を助けるかも」
二つ。
そして。
「何を放っておくかも」
三つ。
令嬢レティシアは、黙って聞いていた。
悪役レティシアは、最後に。
静かに言った。
「全部、自分で決められる」
「……」
その言葉が。
胸の奥に落ちた。
深く。
静かに。
自分で決める。
その言葉なら。
自分も知っている。
そう思っていた。
けれど。
令嬢レティシアは、気づいてしまった。
王都にいた頃。
自分は。
どれだけ「自分で決めて」いただろう。
誰かが困っていれば、助けた。
誰かが望めば、応えた。
皆が賛成していれば、それに従った。
誰かが迷っていれば。
「皆様がよろしいと思うほうで」
そう言っていた。
それを。
優しさだと思っていた。
相手の意見を尊重することだと思っていた。
けれど。
違ったのかもしれない。
「……」
令嬢レティシアは、自分の手を見る。
何をするか。
誰を助けるか。
何を放っておくか。
それを。
自分で決める。
「……それは」
令嬢は、ゆっくりと口を開いた。
「とても、大切なことですわね」
悪役レティシアは、不思議そうに眉を上げる。
「そう?」
「ええ」
令嬢レティシアは、小さく頷いた。
「私には……足りなかったものですわ」
悪役レティシアの表情が変わった。
「……」
令嬢レティシアは続ける。
「王都では、たくさんの人に必要としていただきました」
「……」
「けれど」
一度、言葉を止める。
「自分が何をしたいのかを、考えることは……少なかったのかもしれません」
悪役レティシアは、何も言わない。
ただ。
静かに聞いている。
「誰かのために何かをすることは、たくさんありました」
「……ええ」
「でも」
令嬢レティシアは、悪役レティシアを見る。
「自分がそうしたいから、という理由で何かを選んだことは……」
そこで。
言葉が止まった。
思い出せない。
いつからだろう。
いつから。
「みんなが望むほう」を選ぶことが。
「自分で選ぶこと」になっていたのだろう。
「……ありませんでしたわ」
その言葉に。
悪役レティシアは、ほんの少しだけ目を細めた。
「だから、息苦しかったのかもしれないわね」
「……え?」
「王都で幸せだったのに」
悪役レティシアは前を向く。
「何かが足りないって顔をしてたでしょう?」
令嬢レティシアは、目を見開いた。
「……」
否定できなかった。
「あなたは」
悪役レティシアが言う。
「人に必要とされてたんじゃなくて」
少しだけ間を置いて。
「人に必要とされることを、必要としてたんじゃない?」
「……」
胸の奥を。
静かに突かれた気がした。
令嬢レティシアは答えられなかった。
ただ。
目の前のもう一人の自分が。
自分の失ったものを。
自分より先に見つけていたような気がした。




