第17話「悪役は帰らない」 第1場面「一緒に帰りましょう」
翌朝。
黒薔薇館の朝は、王都とはずいぶん違っていた。
窓の外から聞こえてくるのは、鳥の声。
遠くでは、村人たちの話し声もする。
屋敷の中は静かだった。
豪華な調度品もなければ、何人もの侍女が忙しそうに動き回っているわけでもない。
ただ、食卓の上には。
焼いたパン。
簡単なスープ。
それから、野菜と卵。
質素ではある。
けれど。
どれも温かかった。
「……おいしいですわ」
令嬢レティシアが、スープを口に運びながら言った。
向かい側では、悪役レティシアがパンをちぎっている。
「そう?」
「ええ」
「ならよかったわ」
悪役レティシアは、それ以上は何も言わない。
まるで。
それが当然のことのように。
令嬢レティシアは、そんな彼女を見つめながら、昨日から聞いていた話を思い返していた。
ここへ来てから。
悪役レティシアは、何をしていたのか。
水路の修理。
鉱山の問題。
村同士の揉め事。
壊れた魔道具の修理。
領主との相談。
村人から持ち込まれる細かな問題。
そして――。
ノワールとの生活。
「それで、水路の修理は全部終わったんですの?」
「大部分はね」
「鉱山のほうは?」
「坑道の一部に魔力の流れがおかしいところがあったから、魔道具を調整したわ」
「村同士の揉め事まで?」
「放っておくと面倒になるでしょう」
「魔道具の修理も?」
「私が直せるものならね」
「……」
聞けば聞くほど。
分からなくなってくる。
自分と同じ顔をした少女が。
ここで、これほど忙しく暮らしている。
しかも。
それを嫌々やっているようには見えない。
昨日、黒薔薇館を案内されたときもそうだった。
地図。
工具。
魔道具。
書類。
村人から預かった依頼。
どれも、ここで暮らすために必要なものだった。
そして。
それらはすべて。
悪役レティシア自身が選び、積み重ねてきたものなのだ。
「……ずいぶん、こちらの生活に慣れたのですわね」
「まあね」
悪役レティシアはパンをかじる。
「最初は何もなかったけど、暮らしてれば色々あるものよ」
「王都とは、まったく違いますわね」
「当たり前でしょう」
悪役レティシアが笑った。
「ここは辺境よ?」
「それは、そうですけれど……」
令嬢レティシアは、少しだけ考える。
そして。
ふと。
口にした。
「……一緒に帰りませんか?」
悪役レティシアの手が止まった。
けれど。
ほんの一瞬だった。
「嫌」
即答だった。
「……」
令嬢レティシアは、目を瞬かせる。
あまりにも早かった。
「なぜ?」
今度は、悪役レティシアが不思議そうな顔をした。
そして。
何でもないことのように。
パンを食べながら答えた。
「私はここで必要とされているから」
「……」
令嬢レティシアは、黙った。
必要とされている。
その言葉が。
胸の奥に、引っかかった。
王都にいた頃。
自分も、何度も言われたことがある。
「レティシア様なら大丈夫」
「レティシア様にお願いすれば安心です」
「あなたがいてくれて助かります」
頼られることは嬉しかった。
必要とされることは、嬉しかった。
だから。
頑張った。
誰かの期待に応えようとした。
誰かの望む自分でいようとした。
けれど。
今、目の前にいるもう一人の自分は。
同じ「必要とされている」という言葉を口にしたのに。
少しだけ違って聞こえた。
「……ここで?」
令嬢レティシアが、ぽつりと尋ねる。
「ええ」
「そんなに、必要とされているのですか?」
「まあね」
悪役レティシアは、あっさりとうなずいた。
「水路が壊れれば呼ばれるし、魔道具が壊れれば呼ばれる。鉱山で問題が起きれば相談される」
そして。
少しだけ笑う。
「面倒な村同士の揉め事まで持ち込まれるけどね」
「……ふふ」
令嬢レティシアも、思わず笑った。
「それは、大変ですわね」
「でしょう?」
悪役レティシアは肩をすくめる。
けれど。
その表情は、どこか楽しそうだった。
令嬢レティシアは、そんな彼女を見つめる。
自分とは違う。
同じ顔なのに。
同じ記憶を持っているのに。
この人は。
ここで、自分の居場所を作っている。
「……」
令嬢レティシアは、胸の奥に残った言葉をもう一度考えた。
――私はここで必要とされている。
その言葉は。
なぜだか、とても重かった。
そして同時に。
少しだけ羨ましいと思った。
自分は王都で、多くの人に愛されていた。
家族にも。
友人にも。
アルベルトにも。
誰からも嫌われない。
誰にも怒られない。
幸せだった。
確かに、幸せだった。
けれど。
――私は、何を必要としていたのだろう。
その答えだけは。
まだ、分からなかった。




