第16話 第8場面 「私は幸せでした」
「……」
悪役レティシアは、何も言わなかった。
レティシアも。
しばらく黙っていた。
そして。
ゆっくりと口を開く。
「私は……王都で、幸せでしたわ」
悪役レティシアが、少しだけ目を見開いた。
「……幸せ?」
「ええ」
レティシアは頷く。
「家族は、私を愛してくれました」
母も。
父も。
自分がどんな状態であっても、帰る場所を用意してくれていた。
「父も母も、私を大切にしてくれました」
悪役レティシアは黙って聞いている。
「アルベルト殿下も……優しくしてくださいました」
「……」
「クラリスとも」
レティシアは少しだけ笑う。
「以前よりも、ずっとお話ができるようになりましたわ」
断罪の日。
互いに誤解していた二人。
けれど。
少しずつ話をして。
相手のことを知って。
今では、友人と呼んでもいいと思えるほどになった。
「誰も、私を責めませんでした」
「……」
「誰も、怒らせませんでした」
レティシアはそこで一度、言葉を止める。
そして。
静かに微笑んだ。
「だから」
「……」
「私は、幸せでしたわ」
悪役レティシアの表情が。
ほんの少しだけ変わった。
意外だったのだろう。
自分が切り離されたあと。
残ったレティシアは、王都で幸せになった。
そう思っていた。
けれど。
その言葉を口にしたレティシアの表情は。
決して嘘をついているようには見えなかった。
「……じゃあ」
悪役レティシアが、ぽつりと言う。
「何が不満なのよ?」
レティシアは答えるまでに。
少しだけ時間をかけた。
「……不満、ではないのです」
「……?」
「ただ」
胸元へ手を添える。
「私は、自分が何を望んでいるのか……分からなくなりました」
悪役レティシアは黙った。
「何を選びたいのかも」
「……」
「何を嫌だと思うのかも」
一つ。
また一つ。
言葉にするたび。
レティシア自身が、あの頃の自分を思い出していく。
誰かに意見を求められれば。
「皆様がよろしいと思う方で」
そう答えていた。
何かを決めなければならなくなれば。
「私には、どちらでも構いませんわ」
そう笑っていた。
誰かが傷つきそうなら。
自分が我慢すればいいと思っていた。
「私は……」
レティシアは、ゆっくりと顔を上げた。
「皆様に愛されることを、大切にしすぎていたのかもしれません」
悪役レティシアは何も言わない。
レティシアは続ける。
「嫌われなければ、それでいいと思っていました」
「……」
「けれど」
一度、息を吸う。
そして。
まっすぐに。
目の前の自分を見る。
「その中で、自分が何を思っているのか……分からなくなってしまったのです」
悪役レティシアの表情が、少しだけ曇った。
レティシアは静かに続ける。
「だから」
「……」
「その答えの一つが、あなたなのです」
「……」
悪役レティシアは。
何も言わなかった。
ただ。
目の前にいる、自分と同じ顔をした少女を見つめていた。
「……」
その言葉が。
胸の奥に、静かに落ちていく。
自分は。
王都から捨てられた。
そう思っていた。
けれど。
もしかすると。
自分がここにいることそのものが。
目の前の彼女にとって。
自分自身を知るための、大切な手がかりになっているのかもしれない。
「……」
悪役レティシアは。
まだ何も答えなかった。




