第9場面 悪役レティシアの戸惑い
「……」
悪役レティシアは、黙っていた。
頭の中で。
何度も、今までの会話を思い返している。
自分は。
もっと単純な話だと思っていた。
王都から来た令嬢が。
自分を連れ戻そうとしている。
だったら。
拒絶すればいい。
「帰りなさい」
そう言って。
「嫌よ」
と答えればいい。
それだけだと思っていた。
実際。
最初は、その通りだった。
「帰りなさい」
「嫌です」
そこまでは。
いつも通りだった。
けれど。
その先が。
おかしい。
目の前の令嬢は。
自分を無理やり連れて帰ろうとはしない。
「あなたは王都へ戻るべきですわ」
とも言わない。
代わりに。
「何をしたの?」
「誰と出会ったの?」
「何を守りたいの?」
「何をしたいの?」
そんなことばかり聞いてくる。
そして。
「あなたが戻りたいと思っているのかどうか、私は知りませんもの」
そんなことまで言った。
「……」
悪役レティシアは、困った。
本当に。
どうしていいのか分からない。
「……そんなこと」
ぽつりと。
言葉が漏れた。
レティシアが顔を上げる。
「……?」
悪役レティシアは、視線を落とした。
「そんなこと……今まで聞かれたことないわ」
「……」
レティシアの目が、少しだけ見開かれる。
悪役レティシアは続けた。
「王都にいたときも」
「……」
「ここへ来てからも」
「……」
「誰も、私がどうしたいのかなんて聞かなかった」
その言葉には。
怒りがあった。
けれど。
それ以上に。
戸惑いがあった。
自分自身でさえ。
考えたことがなかったのだ。
何をしたいのか。
どこへ行きたいのか。
誰といたいのか。
ここへ来てからは。
目の前にある問題を解決して。
困っている人間がいれば手を貸して。
嫌なものには「嫌だ」と言って。
それで十分だった。
自分の望みを。
わざわざ言葉にしたことなどなかった。
「……」
悪役レティシアは、少しだけ苦笑する。
「だから……困ってるのよ」
レティシアは黙って聞いていた。
そして。
しばらくして。
静かに答えた。
「私も、聞いたことがありませんでしたわ」
「……え?」
悪役レティシアが顔を上げる。
レティシアは、少し寂しそうに笑った。
「私も……自分が何をしたいのかなんて」
「……」
「考えたことがありませんでした」
誰かが望むこと。
家族が喜ぶこと。
周囲が安心すること。
それを選んでいれば。
きっと間違いない。
そう思っていた。
「私は、皆様が望むことを選んでいればいいと思っていました」
悪役レティシアは黙る。
「だから」
レティシアは続けた。
「あなたに聞いているのです」
「……」
「私も、自分のことを知りたいから」
「……」
二人の間に。
沈黙が落ちた。
庭を風が通り抜ける。
木々の葉が、かすかに揺れる。
誰も。
口を開かない。
けれど。
その沈黙は。
先ほどまでのものとは違っていた。
拒絶でも。
警戒でもない。
二人とも。
同じことに気づいていた。
性格は。
まるで違う。
一人は、相手の顔色を見てしまう。
もう一人は、相手が何を言おうと自分の意見を曲げない。
一人は、嫌われないように自分を抑える。
もう一人は、嫌われることを恐れずに自分を守る。
それなのに。
根っこのところでは。
二人とも。
「自分がどうしたいのか」
それを問われたことがなかった。
「……」
悪役レティシアが。
初めて。
目の前の自分を。
少しだけ違う目で見た。
レティシアも。
同じだった。
自分とは正反対だと思っていた。
けれど。
もしかしたら。
この人は。
自分が失ったものだけではなく。
自分が知らなかったものまで。
持っているのかもしれない。
二人は。
しばらく何も言わず。
ただ。
同じ顔を見つめ合っていた。




