第7場面 旅の夜
その夜。
一行は、街道沿いの宿場町にある宿へ泊まることになった。
昼間の作業で予定より遅れたものの、日が完全に落ちる前には次の宿場町へ到着することができた。
食事を終え。
身支度を整え。
ようやく一人になったレティシアは、ベッドの上に腰を下ろしていた。
窓の外から、宿場町の小さな物音が聞こえる。
人の話し声。
馬の足音。
遠くで閉まる扉の音。
王都の夜とは、ずいぶん違っていた。
レティシアは、机の上に置いていた一枚の紙を手に取った。
父から渡された意見書。
何度も読み返した、かつての自分の文章だった。
「……」
紙に目を落とす。
そこには、今の自分なら簡単には書けないような、はっきりとした言葉が並んでいる。
問題点を指摘し。
必要な対策を挙げ。
そのうえで、自分の判断を明確に示している。
『本案は、現時点では承認すべきではありません』
最後の一文。
レティシアは、そこを指でなぞった。
「……強いですわね」
以前の自分は。
こんなにも迷わず、言い切っていた。
けれど。
今日は――。
レティシアは、昼間の出来事を思い返す。
崩れた街道。
困っていた村人たち。
安全を考えて迂回路を勧めた護衛騎士。
復旧に必要な時間を教えてくれた村人。
そして。
「ここに残りますわ」
そう言った自分。
さらに。
「本当にそれでよろしいのですか?」
と聞いたニーナ。
そしてクラリスの言葉。
『皆様の意見を聞いたあとで、レティシア様ご自身が、決められました』
レティシアは、目を閉じた。
(以前の私なら……)
問題を見つけた瞬間。
きっと、すぐに言った。
――こうすべきです。
――こちらの方法が最善です。
――これで進めましょう。
それが悪かったとは思わない。
むしろ。
今日の自分が判断できたのも、以前の自分が持っていたものがあったからだ。
状況を見て。
問題を見つけて。
必要なことを考える。
その力は、今も自分の中にある。
ただ。
「……聞くことを、知らなかったのかもしれませんわね」
レティシアは呟いた。
以前の自分は、決めることができた。
けれど。
人の話を聞く前に、答えを出してしまうこともあった。
今の自分は。
人の話を聞くようになった。
相手が何を考えているのか。
何を知っているのか。
自分には見えていないものが何なのか。
それを知ることができる。
そして。
そのうえで。
最後は自分で決める。
「……」
レティシアは、意見書を見つめた。
それは、以前の自分とは違う。
けれど。
以前の自分を否定することでもなかった。
「聞くこと」と「決めること」。
どちらか一つではない。
両方が必要なのだ。
そんなことを。
今日、初めて実感した。
レティシアは、もう一度、意見書の最後を見る。
『本案は、現時点では承認すべきではありません』
そして。
静かに呟いた。
「……私も、少しずつ決められるようになるのでしょうか」
返事はない。
窓の外で、夜風が木々を揺らしている。
「……」
以前なら。
こんな問いを口にしただけで、不安になっていたかもしれない。
本当に自分にできるのか。
また間違えたらどうするのか。
誰かに嫌われたらどうするのか。
けれど。
今は、不思議と怖くなかった。
今日、自分で決めた。
ほんの小さなことだったけれど。
確かに、自分で決めた。
レティシアは、意見書を丁寧に畳んだ。
そして、机の上に置く。
代わりに、地図を広げた。
「グランフェル……」
指先が、目的地を示す。
王都から伸びる街道。
いくつもの宿場町。
山道。
そして、その先。
「まだ、遠いですわね」




