第4場面 初めての決断
「……」
レティシアは、街道の前に立っていた。
目の前には三つの選択肢がある。
崩れた街道。
遠回りの迂回路。
そして、山道。
どれを選んでも、問題がないわけではない。
迂回路なら安全だ。
けれど、グランフェルへの到着は半日ほど遅れる。
山道なら距離は短い。
しかし、道幅が狭く、馬車で進むには危険がある。
そして――。
「……この道」
レティシアは、崩れた街道を見た。
完全に通れなくなっているわけではない。
道の一部が崩れているだけだ。
街道の脇では、近隣の村人たちが集まっていた。
土砂を取り除こうとしている。
「よいしょ!」
「そっちへ運んでくれ!」
「道具をこっちに!」
「待て、そこに置くな!」
声が飛び交っている。
けれど。
どうにも作業が噛み合っていない。
土砂を運んでいる人の横を、別の人が道具を持って通ろうとしてぶつかる。
「すまん!」
「気をつけろ!」
道具は一か所に集められているため、必要な人がそのたびに取りに戻っている。
作業する人間も、どこで何をすればいいのか明確に決まっていない。
レティシアは、しばらくその様子を見ていた。
そして――。
無意識に、考え始めていた。
(……土砂を運ぶ人が足りない)
視線が動く。
(道具が一か所に集まりすぎている。あれでは取りに行くだけで時間がかかる)
さらに、崩れた斜面を見る。
(それから……)
水。
昨夜の雨で崩れたのなら。
(排水の流れを確保しなければ、また雨が降ったときに同じ場所が崩れる可能性がある)
レティシアの目が細くなる。
そして、道の端を見る。
(ここなら……)
崩れていない部分を使えば、人が一人ずつ通れる程度の仮設通路を作れる。
そこまで考えたところで。
レティシアは、はっとした。
「……」
胸の奥が、小さく震える。
(今……私、何を考えていたの?)
気づけば。
さっきまで見えていなかったものが、次々と目に入っていた。
人の配置。
道具の位置。
水の流れ。
道の状態。
必要な作業。
以前の自分なら、当たり前のようにやっていたこと。
問題を見つければ、原因を探す。
原因を見つければ、どうすれば改善できるか考える。
そして――。
必要なら、人に指示を出す。
(そうだった)
レティシアは、目の前の光景を見つめる。
(私は、こうしていた)
けれど。
その記憶に浸っているだけでは、何も変わらない。
今ここで必要なのは、思い出すことではない。
どうするかを決めることだ。
「お嬢様?」
護衛騎士の声がした。
レティシアは振り返る。
騎士たちは、まだ判断を待っている。
ニーナも。
クラリスも。
村人たちも。
誰もレティシアに答えを押しつけてはいない。
ただ、彼女の決断を待っている。
レティシアは、もう一度崩れた街道を見る。
そして、近くで作業していた村人に声をかけた。
「すみません」
「はい?」
突然、侯爵令嬢から声をかけられ、村人が慌てて振り返る。
「この道は、今日中に通れるようになる見込みはありますか?」
「え?」
村人は崩れた道を見た。
それから、周囲の仲間たちを見る。
「人手があれば……日暮れまでには、何とか」
「そう」
レティシアは頷いた。
そのとき、護衛騎士が口を挟む。
「ですが、お嬢様。作業中に馬車を通すのは難しいかと」
「ええ」
レティシアは頷く。
「それは分かっていますわ」
そして、地図を開いた。
三つの道を、もう一度見る。
迂回路。
山道。
崩れた街道。
しばらく黙っていた。
やがて。
レティシアは、指先で迂回路を示した。
「では、馬車は遠回りの道を進みます」
ニーナが頷きかける。
「はい。それが――」
「ですが」
レティシアが続けた。
「その前に、私たちも少しだけ手を貸しましょう」
「……え?」
ニーナの動きが止まった。
クラリスも目を丸くする。
護衛騎士たちも顔を見合わせた。
「お嬢様……?」
レティシアは、もう一度崩れた街道を見る。
頭の中には、先ほど見えた問題が並んでいた。
「まず、馬車を安全な場所へ移動させてください」
護衛騎士が反射的に姿勢を正す。
「承知しました」
「村の皆様は、今まで通り土砂の除去を。ですが、道具を一か所に集めないでください」
レティシアは周囲を指差す。
「必要な場所ごとに分けましょう。土砂を運ぶ場所、道具を置く場所、それから――」
水の流れを確認する。
「ここ。排水を確保してください。次に雨が降ったとき、また崩れたら意味がありませんわ」
「なるほど……」
村人が頷く。
レティシアはさらに道の端を見る。
「それから、人が通れる程度の仮設通路を作りましょう」
「人だけなら、通せるかもしれません」
「ええ。そうすれば、反対側へ行きたい人たちも困らないでしょう」
次々と指示が出てくる。
それは、かつてのレティシアと同じだった。
けれど。
以前とは、少し違っていた。
彼女は一人で決めているわけではない。
村人の話を聞いた。
護衛騎士の意見も聞いた。
安全性も考えた。
そのうえで――。
自分で決めた。
「お嬢様は、どうなさるおつもりですか?」
護衛騎士が尋ねた。
レティシアは、一瞬だけ黙った。
そして。
「私は、ここに残りますわ」
「お嬢様が?」
ニーナが目を見開く。
「はい」
「ですが、馬車は先に――」
「分かっていますわ」
レティシアは、静かに頷いた。
「馬車は迂回路へ向かわせてください。私は、こちらがある程度片づくまで残ります」
ニーナは何か言おうとした。
けれど。
レティシアの顔を見て、口を閉じた。
その表情には、いつものような「皆様がよろしいのでしたら」という迷いがない。
レティシア自身が、決めた顔をしていた。
「……本当に、よろしいのですね?」
ニーナが確認する。
レティシアは、ニーナを見る。
そして――。
はっきりと答えた。
「ええ」
少しだけ胸を張る。
「私が決めました」
その言葉を口にした瞬間。
レティシア自身が、一番驚いていた。
(私が……決めた)
誰かに勧められたわけではない。
誰かに命じられたわけでもない。
誰かが望んだからでもない。
自分が、そうしたいと思った。
だから、決めた。
レティシアは崩れた街道へ向き直った。
「さあ、始めましょう」
その声には。
ほんの少しだけ――。
かつての自分に似た強さが戻っていた。




