第6場面 令嬢レティシアの本音
王宮の廊下を歩きながら、レティシアは先ほどの会議を思い返していた。
婚約者が二人になる。
どちらか一人を選ぶ。
もう一人を、別の存在として扱う。
文官たちが口にした言葉が、何度も頭の中を巡っている。
(制度の問題として考えれば、仕方のないことなのかもしれませんわ)
王家の婚約者は、基本的に一人だ。
侯爵令嬢としての身分も、一人分しかない。
だからこそ、文官たちは困り果てていた。
けれど。
レティシアは、窓の外へ目を向ける。
青空の下、王宮の庭園が広がっていた。
整えられた花壇。
静かに流れる噴水。
風に揺れる白い花。
いつもと変わらない、穏やかな景色。
それなのに、胸の奥には小さな引っかかりが残っていた。
(私は、あの人を連れ戻したい)
それは、間違いなかった。
グランフェルへ行きたい。
もう一人のレティシアに会いたい。
話をしたい。
自分に何が欠けているのか、確かめたい。
けれど。
(それは、本当に「あの人を連れ戻す」ということなのでしょうか)
最初に旅を決めたとき、レティシアはそう考えていた。
自分の半分を迎えに行く。
失ったものを取り戻す。
怒りや誇りを、もう一度自分の中へ戻す。
そうすれば、元の一人に戻れるのではないか。
そうすれば、胸の奥にある空白も埋まるのではないか。
けれど、今はもう、そう単純には考えられなかった。
悪役レティシアは、グランフェルで暮らしている。
壊れた水路を直した。
鉱山の設備を改善した。
倉庫の管理を見直した。
辺境の人々に頼られ、仕事を任されている。
黒薔薇館では、魔獣ノワールと暮らしている。
王都で「悪い部分」と呼ばれた彼女は。
もう、誰かの中に戻るためだけに存在しているのではない。
彼女自身の生活を持っている。
彼女自身の居場所を持っている。
そのことを知ってしまった。
(あの人の生活を、私の都合で奪ってはいけませんわ)
レティシアは、窓枠にそっと指を触れた。
自分に足りないものを取り戻したい。
その気持ちは、確かにある。
けれど、それを理由に、あの人の人生を終わらせてよいはずがない。
あの人の怒りや誇りを、もう一度自分のものにしたいわけではない。
あの人を自分の中へ戻し、元の一人に戻りたいわけでもない。
彼女は、彼女自身として生きている。
ならば、自分もまた、自分自身として向き合わなければならない。
「……私は」
レティシアは、小さく呟いた。
誰もいない廊下に、その声だけが落ちる。
「私は、あの人を連れ戻したいのではなくて」
そこで、一度言葉を止めた。
胸の奥にある思いを、ゆっくりと探す。
「……あの人と、どうすれば一緒にいられるのかを考えたいのですわ」
口にした瞬間。
胸の中にあったものが、少しだけ形を持った。
連れ戻すのではなく。
奪うのでもなく。
自分の中へ押し込めるのでもなく。
あの人が、あの人として生きていることを認める。
そのうえで、二人でこれからのことを話し合う。
王都へ戻りたいのか。
グランフェルに残りたいのか。
別々に暮らしたいのか。
それとも、どこか別の場所で一緒に暮らしたいのか。
答えは、まだ分からない。
けれど、その答えを自分だけで決めてはいけないことだけは分かっていた。
(まずは、あの人の話を聞かなければ)
レティシアは、ゆっくりと歩き始めた。
これまでの自分なら、きっと周囲の望む答えを探していた。
父が安心する答え。
母が喜ぶ答え。
王家が受け入れられる答え。
貴族たちが納得する答え。
けれど、今回は違う。
自分が何を望んでいるのかを考えた。
そして、その望みを叶えるために、相手の望みも聞こうとしている。
それは、以前の自分とは少し違う優しさだった。
ただ相手に合わせるのではなく。
自分の意思を持ったまま、相手の意思も尊重する。
そんな関係を、もう一人の自分と築けるのだろうか。
レティシアには、まだ分からなかった。
きっと、簡単ではない。
あの人は、口が悪い。
怒りっぽい。
すぐに反論する。
自分とは、何もかもが違うように見える。
けれど。
あの人もまた、自分なのだ。
自分が知らなかった自分。
自分が切り捨ててしまった自分。
そして今、自分とは別の場所で生きている一人の人間。
レティシアは、廊下の先にある扉を見つめた。
その向こうには、侯爵邸へ戻るための馬車が待っている。
旅の準備は、すでに始まっていた。
グランフェルへ向かう日も、近い。
最初の目的は――。
――私の半分を迎えに行く。
けれど、今の目的は違う。
レティシアは、胸の中で静かに言い直した。
――もう一人の私と、これからどう生きるかを話し合いに行く。
その言葉は、以前よりもずっと重かった。
けれど同時に。
自分で選んだものだからこそ、確かな温かさもあった。
レティシアは、静かに微笑む。
「お会いするのが、楽しみですわ」
その声には、わずかな不安と。
それ以上の、決意が込められていた。




